2 平穏は未だ遠く
『長く続いた豪龍組による支配が街の人々から自由と希望を奪い、追い詰められた生徒会の無策が大きな犠牲を出してしまいました。二度とこのような悲劇を繰り返さないためにも、いまこそ私たち一般生徒が力を合わせて立ち上がる時が来たのです――』
ここは水瀬学園第一校舎。
生徒会室の窓際に腰掛けて、麻布美紗子は頬杖をついていた。
拡声器越しに響く、どこかのグループの女生徒の声を遠くに聞きながら、深い溜息を吐く。
一般に『支社ビル奪還作戦』呼ばれる戦いは生徒会・フェアリーキャッツ連合軍の勝利に終わった。
豪龍組は壊滅した。
しかし、以前のような平穏は戻ってくることはなかった。
暴力で街を支配していた勢力を失ったことで、L.N.T.はさらに混沌とし始めている。
豪龍打倒を果たしたのが生徒会役員でもフェアリーキャッツでもなかったのが何よりまずかった。
トドメを刺したのは外部から来た少女、ルシール=レイン。
彼女はどういうわけか、囚われていた人質を殺害して姿をくらました。
殺された人の中には生徒たちの敬愛するミイ=ヘルサードも混じっていた可能性が高い。
豪龍に変わって新しい支配者が現れることはなかったが、各地の少年グループは豪龍組からの流出勢力を集めるのに躍起になっており、むしろ争いは拡大していると言えるだろう。
生徒会批判。
あるいは打倒ルシール=レイン。
それらの大儀を掲げ、着々と勢力を伸ばしているチームもある。
驚くべきことに、以前は決して仲間を増やそうとしなかった荏原恋歌までが、人前に立って演説を行い仲間を募っていた。
慣れ合いを嫌う恋歌がお題目を並べ、人々にとって耳触りのいい演説をしている。
以前ならばとても考えられなかったことだ。
恋歌は単独で豪龍組に挑んで敗北し、その際に仲間を多く失った。
彼女なりに団結することのの大切さを学んだのだろう。
今の恋歌はあえて道化を演じることも厭わない。
強者のそうした姿勢は脅威である。
もしかしたら、豪龍に代わって街の覇権を手に入れようと考えているのかもしれない。
フェアリーキャッツも同じように人員を増やしていた。
元より豪龍組に次ぐ規模を誇っていたチームであり、その動きは速かった。
一時的な協力関係はすでに解消されており、生徒会は彼女たちを止める力を持たなかった。
「美紗子、そろそろ新入りの顔合わせを始めるよ」
考え事をしながらボーっとしていると、副会長の中野聡美に声を掛けられた。
中学時代からの親友でもあり、決して主張するタイプではないが、頼れる友人である。
「わかった、すぐ行くわ」
生徒会は他の少年グループとは違う。
呼びかけで無造作に人数を増やすわけにはいかない。
だが、長く続く戦いの中で何人かの戦死者も出ており、人員の補充は必要なのである。
美紗子の妹、麻布紗枝。
ずっと気にかけていた綺の友人、足立美樹。
他にも何人かの候補の中から選定し、新しく五人が役員として生徒会に加入した。
今日は新役員の顔合わせ。
その後は生徒会の今後を決める会議を行うことになっている。
ようやく起き上がれるようになったエイミーも久しぶりに顔を見せてくれるらしいが、彼女の心情を思うと気持ちが重かった。
※
新役員の自己紹介も済み、生徒会室は和やかなムードになっていた。
今は話も一段落ついてお茶を飲みながら談笑中だ。
新人たちもすでに生徒会に溶け込んでいる。
綺の友人の足立美樹はだいぶ前から生徒会入りを約束されていた。
おとなしく口数も少ないが、礼儀正しく、自分の意見をはっきりと言える生徒である。
話をしてみて美紗子は彼女に好印象を持った。
少し前から活動を手伝わせている妹の紗枝は、手慣れた手つきで全員にお茶菓子を配っていた。
世話好きな性格であり、家ではだらけがちな美紗子にかわって家事の一切を引き受けてくれている。
どこに出しても自慢できる妹だ。
しかし、新役員の中でもひときわ目を引くのは速海駿也の存在だろう。
彼は水学生徒会初となる男性役員である。
今までの生徒会役員ではありえない異質な存在と言えた。
とはいえ、これまで例がなかっただけで、生徒会に男子禁制という決まりはない。
しかも、彼はもともと水瀬学園の生徒ではない。
支社ビル奪還作戦で生徒会に協力し、形式的だがそのまま水学に編入。
二日前にいきなり美紗子を訪ねて来て、自らの意思で役員に立候補したのである。
支社ビル奪還作戦での活躍は聞き及んでいたため、参加を認めることになった。
当初は懸念する声も上がったが、すっかり打ち解けて他の役員たちと会話を弾ませている。
こうやって少しずつ変わっていくのも今の生徒会には必要なことなのだと美紗子は思うようにした。
平和なおしゃべり会はしばらく続いた。
こうしていると外の不穏な情勢を忘れてしまいそうになる。
だが、ひと時の安らぎタイムは、突然開かれたドアの音とともに終わりを告げた。
「こんにちは。みんな、久しぶり」
水色のショートヘア。
女子中学生のような幼い容姿。
水学学園長のエイミー=レインである。
彼女が学内に姿を現すのは本当に久しぶりである。
少し痩せたが、目に見えてやつれているという程ではない。
笑顔の下に影があるのは、立て続けに起きた事件を思えば、無理もない。
誘拐されたまま見つかっていない子供たち。
そして行方不明に……恐らくは死亡した恋人ヘルサード。
その犯人と思われるのが、今や街中から狙われている彼女の妹なのだ。
いくらエイミーが強い女性でも耐えられなくて当然である。
だが、彼女は弱った様子をほとんど見せない。
長方形に並べられた机の議長席に座ると、全員の顔を見渡して、ねぎらいの言葉をかけてくれた。
「まずはみんな、私が寝ている間にがんばってくれてありがとう」
彼女がいない間に新しく加わった顔を認め、すこし表情を曇らせながら言葉を続ける。
「支社ビル奪還作戦の話は美紗子ちゃんから聞きました。L.N.T.に住む人たちのため命をかけて戦ってくれたみんな、ここにいない人たちも含めて、最大限の感謝をさせてもらいます」
そう言ってエイミーは深く頭を下げた。
彼女の事を思えばこちらこそ頭を下げたい気分である。
たっぷり三十秒も経ってから、エイミーはゆっくりと顔を上げた。
「さて、これからの生徒会の行動だけど……美紗子ちゃん、方針は決まった?」
「ある程度ですが、着地点は模索中です」
今後も地道な活動を続けていく。
お茶を濁すような方針は先ほど決定したばかりだ。
正直なところ、現状打破の方法など思いつかないというのが本音である。
恋歌や花子が勢力を伸ばすのを止める力もない。
ルシール打倒を掲げる者に水を差せば、一班生徒からの信頼を失うことにも繋がる。
なぜならヘルサードという人物は、すべての生徒、特に水瀬学園設立当時からこの街にいた第一期生の生徒たちにとっては無条件に尊敬の対象であったから。
人質にされていた他の女性たちも同様だ。
地域の小中学校をはじめ、いろんな場所で慕われている立派な人物ばかりだった。
そんな人たちを殺したルシールを、街の住人たちは絶対に許さない。
もし本当に彼女がヘルサードや人質たちを害した犯人なら、だが……
「ひとつ私から提案があるんだけど、いいかな?」
「はい」
美紗子が頷くと、優しい笑顔を浮かべていたエイミーの表情が急激に引き締まる。
「どんな手を使ってもいいから、妹を……ルシール=レインを殺してください」
「え……?」
エイミーの口から出た思わぬ言葉に美紗子は耳を疑った。
聞き間違いではないと主張するように、エイミーは美紗子の目を真っすぐに見て言葉を続けた。
「理由もなく罪ない人たちを殺し、多くの人々を悲しませたルシール=レインは、許せない大悪人です。放っておけば街の人たちも不安になる。それに、もし彼女がどこかの少年グループに倒されたら……」
正当性を得たと勘違いしたそのグループが、第二の豪龍組になるかもしれない。
その次は彼らを倒して王者奪還を目論む別のグループが現れる。
血で血を洗う戦国時代が始まってしまう。
「それを阻止するためにも、生徒会が率先してルシールを倒さなくちゃいけないと思うんだ」
「けど、ルシールさんはエイミーさんの妹で……」
「そんなの関係ない」
エイミーはぴしゃりと言った。
美紗子とエイミーはしばし無言で視線を交わす。
生徒会室の空気は限界まで張りつめて、口を開く者はいない。
重苦しい空気を破ったのは、ふっと笑顔を取り戻したエイミー自身だった。
「でも、提案っていうよりはお願いかな。結局がんばってもらうのは皆なんだし」
「私たちは街の平和を取り戻すためなら労力を惜しみません……!」
「ありがとう。心苦しいけど、誰かがやらなきゃいけないんだよ。それが美紗子ちゃんたち生徒会なら、この街に平和が戻るのが少しだけ早くなる……それだけのことだから」
美紗子は思わず視線を逸らした。
大切な人を亡くし、その上で肉親を討てと命令するエイミー。
彼女がどれだけ辛い思いを抱えているか、想像するだけで身がはちきれそうになる。
「……わかりました」
美紗子は席を立った。
エイミーの隣に並び、役員たちに指示を出す。
「申し訳ありませんが、先ほどの決定は生徒会長権限で覆させてもらいます。方針は変更。生徒会はルシール=レイン打倒に向けた行動を開始します。意義のある者は挙手してください」
役員全員が戸惑いの表情を浮かべる。
ふと目が合った綺は何か文句を言いそうな顔をしていた。
しかし、反対意見は誰の口からも出ることはない。
美紗子は言葉を続けた。
「ただし、ルシール=レインが多くの人を殺した悪人とはいえ、生徒会長としてはこれ以上の死者を出したくはないと考えています。標的は可能な限り生かしたまま捉えるようにしてください」
「え……」
エイミーが驚き顔で振り向いた。
美紗子はにこりと笑みを返す。
人の死に慣れた街。
それが当たり前になって欲しくない。
仮にルシールが本当に、人質を無慈悲に殺したとしてもだ。
どんな悪い人間だって生きて反省するべきなんだ。
それは外の世界もL.N.T.も変わりない。
美紗子はそう信じている。
「……ありがとう」
耳に届いたエイミーの声は、わずかに涙交じりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。