第17話 揺れ動く戦局

1 遺志を継ぐ少女

 無機質な灰色の壁と同色のドア。

 等間隔に並ぶのは飾り気のない白い蛍光灯。

 代わり映えしない景色が続く長い廊下を、ルシールはまっすぐに進んでいた。


 途中で何人か白衣の男とすれ違ったが、彼らはこちらを見ようともしない。

 ルシールも目に映るすべてを無視して最奥部を目指す。


 やがて、大きな扉に突き当った。

 壁に備え付けられたテンキーのパネルが光っている。

 聞いていたパスコードを打ち込むと、ドアは自動的に物々しい音を立てゆっくりと開いた。


 最初に目に入ったのは巨大なデスク。

 その向こうには書類に目を通している男がいた。

 ルシールの来訪に気づくと男は書類をデスクに置いて歓迎の笑みを浮かべた。


「やあ、よく来てくれたね」


 ラバース社長、新生浩満。

 世界的大企業ラバース社の代表であり、L.N.T.の最高責任者でもある。

 本来は東京の本社にいなくてはならない人間だが、彼はジョイストーンと能力者の研究のため、この数か月間ずっとL.N.T.に滞在していた。

 もちろん能力制限解除後もだ。


 一般社員はもちろん、専門部署に所属する者以外は、系列企業のTOPすら知らない極秘プロジェクト。

 外部から隔絶された街の中で、彼自らが指揮を執っている。


 本来の拠点だった支社ビルは豪龍に明け渡した。

 先日の騒乱でボロボロになってしまったが、社長の表情には憂いも嘆きもない。

 プロジェクト関係者の中でもさらに一部の人間しか知らないこの研究所に拠点を移し、これまでと変わらない観察と研究を続けている。


 大半の社員は能力開放によって仕事を失い争いに巻き込まれたが、そんなことは彼らに関係ない。

 荒れた街を平定するどころか、この混乱を利用して能力者たちの観察を進めている。

 そもそもテロリストによる能力制限解放自体も彼らが仕組んだことだ。


 巨悪……

 彼らを一言でいえばそれに尽きる。

 しかし、ルシールにとってはどうでもいいことでえある。


「支社ビルの最上階から身元不明の死体が見つかったそうだね」


 社長は椅子の背もたれに体重を預け、見下すようにルシールに視線を向けた。

 ルシールは表情を変えずに眉を少し動かした。

 彼は何かを察して薄く笑う。


「ヘルサードは生きているんだね?」

「ええ。二度とみんなの前に姿を現すことはないでしょうけど」


 ルシールはポケットから薄い四角形のケースを取り出した。

 中に収められているSCDをデスクに置く。


 この円盤状のメディアはラバースが独自に開発した記憶装置である。

 DVDやBDプレイヤーとも互換性があるが、記憶容量はBDの数百倍だ。


 社長は無言でSCDを手に取って稼働中のパソコンに読み込ませた。

 ディスプレイは向こうを向いているため、ルシールには見ることができない。


 そこに何が映っているのかは大体わかっている。

 キーボードとマウスでいくつかの操作を行う。

 やがて、彼の口から小さな呟きが漏れた。


「光となりて虹の彼方へ……か」


 社長はSCDを取り出してデスクの引き出しにしまった。


「ありがとう。やはり君はかけがえのない友人だ」


 天井を見上げ、目を閉じる。

 社長の表情に偽りの色は見られない。


 このSCDを新生浩満に渡すようルシールに命じたのはヘルサードである。

 二人の間にどのような友情があったのかはわからないが、ルシールにとっては面白くない。


「君はこれからどうするのかね。姿を隠したいのなら匿ってあげるが……」

「まだ他にミイさんからの頼まれごとが残っています」


 社長の視線がルシールの握りしめた拳に注がれる。

 その手の中には二つのジョイストーンがあった。


 ヘルサードから渡された≪白命剣アメノツルギ≫と≪神鏡翼ダイヤモンドウイング≫である。


「神器と呼ばれたJOYを躊躇うことなく手放すか。相変わらず彼は欲のない人間だな」

「片方は渡す相手が決まっていますが、もう片方をどうするかは私自身が見極めるよう言われました」

「君が代わりに戦い続けるのか。彼の意思を継いで」

「あの人が私にくれた最後の言葉ですから」

「……ありがとう」

「あなたにお礼を言われる筋合いはありません」


 ヘルサードの願いを全うすることがルシールに残された最後の使命。

 たとえそれがラバースに……この男に利する行為であっても。


「それから、あなた達が預かっているはずのエイミーお姉ちゃんの五人の子供ですが」


 ラバース支社での戦いの少し前、エイミーの五人の子供たちは何者かに誘拐された。

 エイミーはそれがショックで一時寝込んでしまったが、その誘拐も実はヘルサードの指示によってラバース暗部の人間が行ったらしいと聞いている。


 その子供たちが、この研究所に閉じ込められていることも。


「三男と四男はこのままあなたに預けるそうです。他の子たちは後で遣いの者に引き取りに向かわせると言っていました」

「沙羅君かね。わかった、担当の者に伝えておこう」

「……それでは、失礼します」

「最後に一つだけ聞かせてくれないか?」

「何か」


 一礼して退出しようとしていたルシールは、振り返らずに声だけで尋ねた。


「君はヘルサードから自分が何者かを聞いたはずだ。このような仕打ちを受けて、なぜ今も彼のために尽くせる? 君自身も、君が人物も、何も知らなければあるいはもっと幸せな生涯を全うできたかもしれないのに」


 彼の質問は笑ってしまうくらいくだらないものであった。

 その問いかけに対するルシールの答えは決まっている。


「あの人の望むものが何かとか、そういうことに興味はありません」


 ラバース支社でヘルサードが語った真実。

 それはルシールのこれまでの人生を覆すほど重大なものだった。

 最初は納得できなかったし、聞いた直後はルシールはそれが嘘であってほしいと願った。


 しかし、すぐに思い直す。

 そういうことではないのだ。


「私はミイ=ヘルサードを愛しています。それだけで十分でしょう?」


 都合よく使われるだけの存在だとしても、自分には自分の考え方と生き方がある。

 その結論が、彼のために身を捧げるということだ。


「そうだな……では、気休めにもならないかもしれないが、幸運を祈っているよ」


 ルシールは社長のねぎらいの言葉を最後まで聞かずに部屋を出た。

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