10 豪龍組、壊滅

 階段を上る途中で、美紗子は腐った生ゴミのような異臭に気がついた。


 上の階に近づくほど臭いは耐え難くなっていく。

 二十八階にたどり着くころには鼻を押さえずにはいられないほどだった。


 ここは下のフロアとは違って、まっすぐな廊下の左右にいくつものドアがある。

 臭いの元は特定できない。

 嫌な予感が美紗子の頭の中を駆け巡る。


 逃げだしたくなる気持ちを堪え、ドアの一つに手をかける。

 ドアは拍子抜けするほどあっけなく開いた。


 瞬間、悪臭は例えようもないほど強烈になる。

 思わず顔を覆った美紗子は指の隙間からそれを見た。


 死体。

 腹部にナイフが突き刺さっている。

 恐怖に目を見開いた腐りかけの人であったモノ。

 こみ上げる吐気を抑えながら、ドアを叩きつけるように閉めた。


「なんなのこれは……一体何が起きているの!?」


 人の死を見るのは初めてではない。

 しかし、思いもよらない状況で目にした惨殺死体は、美紗子から思考力を奪った。


 悪臭の出所はこの部屋だけではない。

 まさか、この扉の向こう、全部……?


 見たくない。

 だが、確かめないわけにはいかない。

 自分たちは人質を助けにここまでやってきたのだから。


 もしこの中にあの人がいたら……


 拳を固く握り締め、知らずに溢れていた涙をぬぐって、美紗子は別のドアに手をかけた。

 気持ちを落ち着けるため深呼吸をしようとして吐きそうになった。

 頬を叩き、思い切って次のドアを開いた。


 二十ある小さな部屋の全てに死体はあった。

 刺殺、絞殺、撲殺……死因は様々だが、共通していることがある。

 彼らはすべて後ろ手を縛られ、壁に固定されたまま、抵抗もできずに殺害されたということだ。


 死体の損傷は激しかったが、全て男であるということはなんとか判別できた。

 豪龍組に人質にされているのはヘルサード以外全員女性のはず。


 つまり、彼らは人質ではない。

 おそらく豪龍組の幹部たちだろう。


 一体、この階で何があったのか。

 本当の人質はどこに行ったのか。

 ……ルシールはこれを見たのか。


 謎は深まるばかりで、考えても答えは出ない。

 美紗子は廊下をさらに奥へと進み、上の階を目指すことにした。


 階段を上がるにつれ腐臭は遠ざかっていく。

 代わりに別の――より強烈な錆の臭いが漂ってくる。

 二十九階に上がる頃には生理的に受け付けないほどになっていった。


 この階は二十七階と同じように、階段を上った先が両開きの扉になっている。


 扉を開いてはいけない。

 頭の中で何かが警鐘を鳴らしている。

 だが、ここまで来たら見ないわけにはいかない。


 生徒会長として。

 人質の無事を願う一人の生徒として。


 使命感だけが美紗子の体を動かす。

 扉を開いた瞬間、美紗子は強烈な後悔に苛まれた。


 わけがわからない。

 頭を抱えてその場に崩れ落ちる。

 涙と一緒に胃の内容物をその場にぶちまける。


「おぇぇ……」


 美紗子は顔を伏せて震えた。

 一瞬前に目にした光景が網膜に焼きついている。

 自らの吐瀉物の臭いですら覆い隠してしまうほどの血の臭い。

 紛れもない現実である。


 いやだ。

 こんなの嘘だ。

 全部夢だ、悪い夢だ。


 そうであって欲しいと心から願う。

 それが敵わないのならせめて、自分をどこか違う場所に移して欲しい。


「みさこ」

「……っ!?」


 肩に触れる手があった。

 美紗子飛びあがりそうなほど驚いた。

 ポケットの中からジョイストーンを取り出し立ち上がる。


 目の前には確かに現実があった。

 原形を留めないほどに惨たらしく殺された無数の死体。

 縦に両断されているものもあれば、文字通りバラバラにされているものもある。


 それはすべて女性であった。

 その中に平然と立ちすくむ幼い少女がいる。

 美紗子に触れたのは彼女だろう。


「あなたは誰……? ここで一体何があったの」

「もうすぐこの建物は崩れるよ」


 少女は美紗子の質問には答えずにそう言った。


「崩れる……?」

「≪あめのつるぎ≫はルシールおねえちゃんがもっていった」


 少女の声はまるで機械音声のように無機質だった。

 誰かの伝言をそのまま口にしているみたいだ。


 しかし、言おうとしていることはわかる。

 この部屋で何が起こったのかも大体予想がついた。


 豪龍を斬り殺したルシール。

 彼女が持っていた白い剣はヘルサードのJOYなのだ。


 そして、この部屋の惨殺死体はヘルサードの知人――

 一緒に人質になっていた女性たちなのだろう。


 無駄を承知で美紗子は少女に尋ねた。


「ミイさんは無事なの?」


 少女は何も言わず、ただ首を横に振った。


 知らないということなのか。

 それとも、無事ではないということなのか。

 深く追求すべきかどうか考えていると、上の階から爆音が聞こえた。


「急いで」


 いつの間にか後ろに回っていた少女が美紗子の手を引く。

 引き返そうとしたところで、追ってきた花子と技原に出会った。


「みさっち、これは――」


 下の階の惨状を見たのだろう、花子の顔には血の気がなかった。

 美紗子の肩越しに奥を見るとさらに表情が真っ青になる。

 彼女は口元を抑えたまま、ふと意識を失った。


「花子さん!」


 美紗子が倒れる花子の体を支えると、同時に二度目の爆発が起こった。


「生徒会長、こいつは俺が運ぶ。あんたはそっちのおチビちゃんを」

「わ、わかったわ」


 技原の申し出を美紗子は素直に受け入れた。

 気絶した花子を技原に任せ、後からついてくる少女を抱きかかえた。


 先行する技原が花子を背負ったまま階段を二段飛ばしで駆け降りる。

 美紗子もできるだけ急いで彼の後に続いた。


 二人は全速力で駆けた。

 エレベーターは危険と判断し、階段を使って一階ずつ降りていく。

 体力の限界も超え、ようやく一階までたどり着くと、正面口から外へと飛び出した。


「建物が崩れます! はやく避難してください!」


 外での戦闘はすでに収束しているようだ。

 美紗子が警告すると、みな一目散に建物から離れ始めた。


 わき目もふらずに必死に走って、なんとか街道沿いまでたどり着く。

 ようやく落ち着いたので、美紗子は振り返って支社ビルを眺めた。


 すでに爆発は止んでいた。

 建物が倒壊する気配はない。


「どういうこと……あっ!」


 抱いていた少女が美紗子の腕をすり抜け、あっという間に路地裏へと逃げ込んで言った。

 美紗子は追いかける気にもなれず、少女がいなくなった方向を呆然と眺める。


「なんだったの、あの子……」

「よっ、と」


 技原が背負っていた花子を降ろし、地面に横たえる。


「会長さんよ。一体何なんだよ、あの死体は。上には人質がいるはずだったんだろ?」

「そんなの……私にもわからないわよ……」


 豪龍組幹部たちの死体。

 人質たちの死体。

 謎の爆発。


 理解不能な状況が続く中、美紗子には一つだけわかったことがあった。

 ヘルサードのJOYを持って姿を消したルシールだけが上の階であった何かを知っている。




   ※


 豪龍の死によって、争いは終結した。

 豪龍組はリーダーによる求心力を失って瓦解。

 三か月に及ぶ豪龍組の暴虐的な支配は幕を下ろした。


 結局、支社ビルは倒壊しなかった。

 後日改めてラバース社員による調査員が派遣。

 調査の結果、二十八階の死体はやはり豪龍組のメンバーとわかった。


 二十九階の死体はヘルサードの友人である人質の女性たちで間違いないとのこと。

 犠牲者たちはみな一様に恐ろしく鋭利な刃物で切り刻まれていたそうだ。


 爆発があったのは最上階である三十階。

 そこは何があったのかもわからないほどにメチャクチャになっていた。


 その中で性別すらわからない死体がひとつ見つかったそうだ。

 調査員はハッキリ言わなかったが、状況からそれが誰であるのかをみな薄々と感じていた。


 三十階の爆発の原因については未だに謎が解けていない。

 しかし、犠牲となった豪龍組幹部や人質たちの死に関しては、≪白命剣アメノツルギ≫を持って行方をくらました、ルシール=レインがその犯人として断定された――

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