第5話 恋歌う女帝
1 恋歌う女帝
名前は
年が離れていたこともあって、彼女は恋歌のことをとても可愛がってくれていた。
片親の恋歌にとって、真夏は姉であり母代わりでもあった。
恋歌は真夏を尊敬していた。
彼女は何でもできる完璧な姉だったし、たまに家に連れてくる友だちからもよく慕われていた。
小さい頃はよく姉の友人たちに混じって遊んでもらったものだ。
真夏はいつでも仲間の中心で笑っていた。
そして真夏は強かった。
真夏の通っていた小学校のクラスは男女仲が悪く、くだらない対立をしてはよく争っていた。
その様子は事細かに真夏から聞いていたし、実際に生傷を作って帰ってくることもあった。
まだ幼稚園だった恋歌が真夏と一緒に公園で遊んでいたある日のことである。
真夏のクラスの男子から待ち伏せされ、突然の襲撃を受けた。
真夏は恋歌を守るために悪ガキ三人を相手に戦った。
妹がいるから今日はやめてなどとは口が裂けても言わない。
力には力をもって抗う本当に強い人だった。
真夏は女子のリーダー的存在だった。
彼女はさまざまな戦術を駆使し力で勝る男子を追いこんでいく。
女子たちの中でも真夏は別格で、格闘技を習っているわけでもないのに男子には決して負けなかった。
誰よりも強くかっこいい姉。
恋歌はそんな真夏を誰よりも慕っていた。
彼女の人生における目指すべき最大の目標でもあったと言って良いだろう。
小学校に上がったら、姉みたいになりたいとずっと思っていた。
しかし、恋歌が小学校に入学する頃、真夏は変わってしまった。
※
真夏は中学生になった。
ちょうどその頃に荏原家は引っ越して、新しい街で暮らし始めることになった。
真夏も不安だったと言っていたが、恋歌は彼女ならどこだろうと強くあると信じて疑わなかった。
それは半分正解で、半分間違っていた。
真夏は新しい学校でも一番だった。
恋歌が小学校で友だちづくりに苦戦している頃、隣の中学校から下校する姉と、彼女を慕って取り囲む友人たちを何度も横目で見ていた。
だが、間もなくして姉に信じられない変化が起こった。
「好きな人ができたんだ」
姉の口から発せられた言葉の意味を恋歌はまったく理解できなかった。
恋歌は少女マンガなんか読まないし、テレビドラマもほとんど見たことがない。
繰り返し姉から男子の醜悪さを聞き続けていたことも、男女関係に対する理解を遅れさせた要因だったかもしれない。
だから恋歌は姉もそんなことは興味がないと思っていた。
実際に小学校まで男は敵だったはずだ。
そんな姉が男を好きになった。
それから急激に真夏は変わっていった。
おしゃれな服を着るようになり、しゃべり方や仕草までがおとなしくなった。
根本的な性格やリーダーシップは変わらなかったが、友だちと家で遊んでも話すのは色恋事ばかり。
家でも興味なかったはずの恋愛ドラマを見るようになった。
相手の男には興味がなかった。
ただ、変わっていく真夏がたまらなく嫌だった。
恋歌にとって最大のショックは、姉が自宅で男の名を口にしながら信じられない行為に耽っているのを目撃した時だった。
憧れていた姉の見るに堪えない浅ましい姿。
それは幼い恋歌にとって両親の夜の営みを見てしまう以上の衝撃だった。
結局、真夏はその男と付き合うことはなかったようだが、中学が終わる頃には完全に脆く儚いその辺の女子と変わらなくなっていた。
恋歌は憧れの対象を失った。
逆恨みだとしても、裏切られたという気持ちは拭えない。
恋歌の通っていた小学校は男女仲も良かったが、かつての姉のようになりたいという思いが先行し、なにというとすぐ男子にいらぬ暴力を奮う人間になってしまった。
恋歌は次第に学校で孤立していった。
そして高校に入ると、真夏はさらにおかしくなった。
恋する少女などという可愛らしいものではない。
盲目的に男のことしか見えていない淫売女。
そんな感じになってしまった。
しかも相手の男は真夏を愛していたわけではない。
普段から大勢の女をとっかえひっかえしているような最低な男だった。
真夏はそれを知った上で彼の傍にいることを喜び、さらには男と会う時間をつくるために学校を辞め、男に貢ぐためにアルバイトを始めた。
まるで奴隷のようだと恋歌は思った。
何人もの若い女がその男に奴隷のようにつき従っている。
あの素晴らしかった姉がその中の一人に成り下がってしまったことに恋歌は深く失望した。
そして、その日はやってきた。
真夜中の公園で姉がその男に暴行を受けた。
寒空の中、一方的な欲望の捌け口として使われる姉。
恋歌は物影で震えながらその様子を一部始終見続けていた。
男がいなくなった後、恋歌は放置された姉に泣きながら駆け寄った。
そして愕然とした。
真夏は笑っていたのだ。
そんな風に扱われても、男に喜んでもらえたことが嬉しかったのか。
彼女は幸せそうにだらしなく笑っていた。
その姿を見たとき、恋歌の中で何かが切れた。
恋歌は姉を蹴り飛ばして公園を去り、そのまま二度と家に帰らなかった。
※
十歳にして恋歌はストリートチルドレンになった。
彼女はそれからの三年間を港湾のスラム地区で過ごすことになる。
通行人の荷物を盗んだり、同じ浮浪児たちとと食べ物を奪い合ったり。
命を繋ぐことだけが生きる目的。
毎日が死と隣り合わせの日々だった。
大人に集団でボコボコにされたこともあったし、倍以上も体格の違う男に犯されたこともあった。
強制される行為は不快かつ醜悪でしかなく、男に対する嫌悪感はそのたびに増していった。
生来のゆがんだ性格と、十歳までは一般家庭で過ごしたという引け目もあって、仲間と呼べる人間はほとんどできなかった。
暴力と騙し合いの地獄のような毎日。
だが、恋歌は姉のような負け犬にはならないと強く心に誓っていた。
どんな恐怖や痛みにも決して屈しなかった。
そんなある日、恋歌はとある女からスカウトを受ける。
スラム街で暮らす過剰に男嫌いな少女の噂を聞きつけたその女は、恋歌の手を取ってこう言った。
「貴女に特別な力をあげる。一緒に薄汚い男共を屈服させてやりましょう」
男という存在に嫌な記憶しか持たない恋歌は、彼女……
弾妃の目的は女性主導の新学園の設立。
恋歌はその誘いに得も言われぬ魅力を感じた。
彼女がくれた『ジョイストーン』は恋歌にさらなる力を与えてくれた。
※
そして恋歌は
設立されたばかりの美隷女学院に入学し、弾妃に言われるまま能力者の素質がある者を勧誘した。
主な対象は敵対組織である水瀬学園の生徒。
後の生徒会長である
L.N.T.では何人かの気になる人間と出会った。
一人目は姉の真夏。
こともあろうに彼女は、教師としてL.N.T.の水瀬学園に赴任していたのだ。
真夏は恋歌との再開を喜んでいたが、恋歌にとってもはや姉などどうでもよかった。
差し伸べられた姉の手を振り払って以来、一度も会話を交わしていない。
二人目はエイミー=レインという女。
水瀬学園の学園長であり、ふざけた水色の髪をした子供みたいな女だ。
第一印象は気に喰わないやつ。
しかしその実力は確かである。
これまでに恋歌の能力による全力攻撃を防ぎ切ったのはこの女をおいて他におらず、腑抜けになった姉などよりよほど興味を引く相手だと言える。
三人目はその名を口にするのも憚られる者。
姉を狂わせた元凶である、あの男。
通称『ミイ=ヘルサード』と呼ばれ、本名は不詳。
現在は爆撃高校の校長を務めている。
本来ならば殺しても殺し足りないほど憎い相手なのだが、恋歌は彼との接触を避けた。
一目見た瞬間、こいつとだけは争ってはいけないと悟ってしまったからだ。
勝てないとかそういう次元ではない。
やつを前にすると自己を保てない。
自分の中の何かが強烈に揺さぶられてしまう。
まともに相対していられないのだ。
姉が狂ったのも、単に色恋に迷っただけでないと今ならわかる。
この男の持つ異様な力に心を塗り変えられてしまったのだ。
恋歌は今もこの男にだけは近づくまいと決めている。
その三人を除けば恋歌の興味を引くほどの人物はいなかった。
四年前の対校試合、団体戦こそ負けたが恋歌の相手になるような能力者はいなかった。
神田和代も偉そうなこと言っていた割に水学の四谷千尋とかいう女に不様に敗北した。
情けない仲間たちに変わって、試合終了後に気が緩んだ水学の代表者をまとめてぶっ飛ばしてやったときは爽快だった。
夜の街という遊び場も同じ。
恋歌は誰の指図も受けず、自由気ままに暮らしてきた。
人を殺しても誰からも咎められない街。
ここは恋歌の性に合っている。
無条件に自分を慕う数名の仲間以外に味方を増やそうとはしなかった。
仲間は少数でも、ただ居るだけで恐れられる最強の存在として恋歌は夜の街に君臨していた。
そう、昨日までは。
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