2 動き出す最強

「も、もう勘弁してくれ……」


 千田中央ちだちゅうおう駅周辺を縄張りとする夜の住人の中でも第四位の規模を誇るグループ、『ブラウンソルト』のリーダー竹原たけはらが、泣きながら足元にしがみついて懇願する。

 恋歌はその様を冷酷な笑みを浮かべて見下し、躊躇なく彼の頭を踏みつけた。


「情けない男。手を汚す価値もないわ」

「じゃ、じゃあ助け――」


 希望を感じて頭を上げた竹原の背中に、絶大なエネルギーを持った光球が叩きつけられた。

 声にならない絶叫を発して竹原は二度と動かなくなった。


 これこそ恋歌のJOY。

 強力なエネルギーの塊である七つの光球を自在に操る≪七星霊珠セブンジュエル≫である。


「す、すごい……あのブラウンソルトを、ほとんど一人で……」

「さすが恋歌さんですわ、貴女についてきてよかった」

「見事と言う他ない完璧な戦いぶりです……恐ろしいほどに」


 取り巻きのチームメイトたちが口々に恋歌の戦いぶりを称える。

 その周囲には二十数名のブラウンソルトのメンバーたちが転がっていた。

 蹲ってうめき声をあげる者、ピクリとも動かない者もいる。


 彼らはすべて恋歌一人に倒された。

 すでに死んでいる人間もいるかもしれない。

 だとしたところで『転校』したとして処理されるだけだ。


 現在の夜の中央は奇妙なバランスで成り立っていた。

 最大勢力であるフェアリーキャッツと爆撃高校の豪龍組をツートップとし、その他にもいくつかのチームが水面下の争いを繰り広げている。


 その中で何物にも染まらず、自由気ままを貫いてきたのが恋歌たちだった。

 恋歌を含めてわずか九人の小グループだが、その影響力はツートップに準ずる。

 もしも恋歌が本腰を入れて勢力争いに参加すれば、この街の勢力図は一変するだろうとは、前々から言われ続けていた。


 そして、ついに恋歌は動いた。


 特別な心境の変化が合ったわけではない。

 自由気ままな暮らしにも飽きて新しい刺激が欲しくなっただけだ。

 新入生が入ったことによる他チームの勢力拡大や、生徒会によるパトロールが煩わしかったのもある。


 豪龍組がフェアリーキャッツに謝罪した先日の事件も理由の一つに挙げられるが、それらも総合して一言でいうのなら「なんとなく」でしかない。


 恋歌にはそれが許されるだけの力がある。

 彼女を恐れている者たちの想像以上の恐怖を振りまくことができる。

 それを証明するかのように、恋歌はこれら中規模グループを次々と襲撃していった。

 ブラウンソルト以外にも今週だけで四つのグループを壊滅に追い込んでいる。


「もう夜明けね」


 ブラウンソルトの本拠地である雑居ビルの窓から外の景色を見た。

 東の空がうっすらと白み始めている。

 もうすぐ能力を使える時間は終わり、街には嘘のような平和が戻る。

 狂乱の夜の熱を冷ますような穏やかな一日が始まるのだ。


「恋歌さん、明日もやるんですか?」

「当然よ」


 仲間の質問に、恋歌は視線も向けずに答える。


「けど、さすがに生徒会も黙ってませんよ。もしかしたら今日あたり釘を刺されるかも」

「関係ないわ。それに今日は学校には行かないの。今夜のための準備をするからね」

「準備ってことは、まさか……」

「明日は一番厄介な敵を潰す。覚悟はできてるわね?」


 チームメンバーたちが唾を飲む音が聞こえた。

 誰もが一大戦争になることを予感している。


 だが、この程度で怖気づく仲間たちなら最初から恋歌の取り巻きにはなっていない。

 彼女たちは恋歌を信じ、恋歌に従っていれば大丈夫ということを知っている。

 だからこそ彼女たちは恋歌を恐れることがないし、恋歌もまた彼女たちを信頼して傍に置いている。


「わかりました、いよいよやるんですね。フェアリーキャッツを」

「いいえ、違うわ」


 恋歌は首を振った。

 我が物顔で中央の頂点を自称するフェアリーキャッツは確かに目障りである。

 そのリーダーである深川花子もうっとおしい存在であることは間違いない。

 だが、それ以上に目障りな組織がある。

 恋歌は仲間たちを見渡し、うっすらと笑みを浮かべて宣言した。


「それよりももっと厄介なやつら――水瀬学園生徒会を潰すのよ」




   ※


「何度も言いますよ。もし荏原さんたちが手を出してきても、決して相手をしないでくださいね」

「んなの無理だよ。あっちがやる気なら、いつかはやり合うことになるって」

「……でしたら、しばらく夜間の外出は控えてください。近いうちに美女学の生徒会が彼女に厳重注意を与えるそうですから」

「それこそ逃げじゃん。フェアリーキャッツは荏原恋歌が怖くて逃げてるなんて噂が立ったら、あたしはいい笑い物だよ」

「プライドと命のどっちが大事だと思ってるんですか」

「どっちも。プライドを守って戦いにも勝つ。これがあたしの信条だね」

「……もういいです、下がって結構」


 水瀬学園生徒会長麻布美紗子あざぶみさこは大きく溜息を吐いた。

 これ以上はもう何を言っても無駄だろう。


「お願いだから大きな騒ぎだけは起こさないようにしてね。先日は奇麗にまとまったけど、次も上手くいくとは限らないんだから」

「それは相手次第だね」


 不敵な笑みを浮かべ、フェアリーキャッツのリーダー深川花子ふかがわはなこは生徒会室から出て行った。

 もう一度、美紗子は大きく溜息を吐く。


「あの調子じゃ言うことを聞きそうにはないね」


 美紗子の補佐を務める書記の中野聡美なかのさとみが言った。

 情けないが、美紗子も聡美と同意見だった。


 夏休みが明けて二学期が始まった早々に大変な事件が発生した。

 荏原恋歌率いるグループが昨日までに五つのグループを壊滅に追い込んだのだ。


 ついに恐れていた出来事が起こってしまった。

 美紗子はあらゆる手で最悪の事態を回避しよう画策した。

 美女学に問い合わせてみたが、恋歌とその仲間たちは学校を休んで連絡も取れずじまい。

 せめてもの対処として花子を呼び出してみてもこのザマだ。


「昔はもっと素直ないい子だったのに、どうしてあんな風になっちゃったのかしら……」


 美紗子と花子はL.N.T.初年度からの知り合いである。

 共に三年半前の対校試合を戦った仲間でもあった。

 あの頃の花子は今みたいにひねくれていない、小猫みたいな可愛い子だったのに。


 いや、原因ははっきりわかっている。

 美紗子と同様に三年前のが、彼女の心に今も大きな傷痕となって残っているのだ。

 だからこそ美紗子も強くは言えない。


 それにしても……千田中央ちだちゅうおう最大の火種と言われながらも、これまで頑なに勢力争いに参加してこなかった荏原恋歌が、なぜ今頃になって動き出したのだろう?


 考えてもわからないし、嘆いてみても状況は変わらない。

 まったく胃に穴が空きそうだ。


「どちらにしても荏原恋歌と連絡が取れない以上、私たちにできることはないわよ。それより今後起こりうる事態を想定して備えておくべきでしょう」

「そうね。やるだけのことはやったと信じたいけれど……」


 これまでの地道な治安維持活動を否定されたような悔しい気分は拭えない。


「もし荏原さんが本気で暴れたら、止められるのは美紗子しかいないわ。辛いと思うけど気持ちを切り替えてちょうだい」

「私が恋歌さんに勝てるとは思えないけど……はあ、もう疲れちゃった」


 美紗子は全身を脱力させ机に突っ伏した。

 普段は周囲に弱いところを見せない彼女だが、このところ様々な問題が重なったため、さすがに精神が疲弊しきってしまっている。


 一番辛かったのは、前副会長の蒲田稟かまたりんが生徒会を脱退してしまったことである。

 元から過激な思考の持ち主で、美紗子とはそりが合わないところがあったが、確かな実務能力でサポートしてくれた優秀な相方だったのに。


 稟は独断専行で美女学生徒会長に危害を加えて二週間の投獄の罰を受けた。

 すでに刑期は終えて牢獄から出てきたが、流石に前科者に生徒会の役職は与えられない。

 残念だがもう二度と戻ってくることはないだろう。


 次の副会長には聡美を予定しているが、稟のこなしていた仕事を覚え、完全に役職を引き継いでもらうにはもう少し時間がかかる。


 そして、先日起こったフェアリーキャッツと豪龍組の抗争事件。

 こちらは大きな問題になる前に運営が介入して事なきを得たが、あの時は本当にもうダメだと思った。


 そして今回の荏原恋歌の暴走である。

 いい加減にストレスも限界に達していた。


 美紗子顔を上げてちらりと役員たちの方を見る。


「ねえ……久しぶりに気分転換に付き合ってくれないかしら?」

「いいわよ。そろそろ言い出す頃だと思って、準備しておいたわ」


 美紗子の口元が緩む。

 頬が熱くなり、だらしなく表情が崩れる。

 溜まったストレスを発散したい欲求はもう止められなかった。

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