3 生徒会長のヒミツの楽しみ

 深川花子は腹の底が煮えたぎるほどの怒りを感じていた。

 言われるまでもなく、自分がどれほど危険な状況にいるかは理解している。


 荏原恋歌の恐ろしさは誰よりもよく知っているつもりだ。

 中等部時代に行われた対校試合の時に嫌と言うほど思い知らされた。


 あの日、花子の試合相手は別の相手だった。

 自分の試合に勝利し、試合上のリングを降りようとした時のこと。

 後頭部に突然の不意打ちを食らい花子はわけもわからないまま気を失った。

 それが荏原恋歌が気晴らしに放った攻撃だったと知ったのは、丸一日後に目覚めた時である。


 忘れたいと思っても忘れられない。

 今でもまだ夢に見る、本当に屈辱的な過去だ。


 あの女には敵わない。

 いくら能力を鍛えようと悪夢からは逃れられない。

 それがわかっているからこそ、花子はグループを大きくすることに拘った。


 恋歌に比べれば他の能力者なんてこれっぽっちも怖くない。

 個人の力ではあいつに勝てなくても、グループとして手を出させないほどの力を手に入れよう。


 そして花子のフェアリーキャッツは夜のL.N.T.で最大の勢力となった。

 先日の一件で豪龍組に一泡吹かせてからは、中央の覇者と呼ばれるようになったほどだ。


 今の花子にはもはや恋歌でさえも手を出せない。

 そう思っていた。


 だが、この数日の奴の行動はなんだ。

 恋歌のグループが――おそらくほとんどは恋歌が一人で行ったことだろうが――短期間で中規模グループを五つも壊滅させた。

 ひとつひとつのグループの頭数は少ないとはいえ、五つ合わせればフェアリーキャッツに匹敵する規模になる。


 恋歌が本気を出せば、それだけの勢力を容易く潰すことも可能だということだ。

 じゃあ、今までフェアリーキャッツが戦いを免れたのはなぜか?

 手を出せなかったんじゃなくて、単にやつにとって興味がなかったからでは?

 次に自分たちが恋歌の襲撃を受けたら――


 果たして、生きて明日を迎えることができるのだろうか。


「くそっ!」


 苛立ちと迫りくる恐怖。

 花子は壁を殴って八つ当たりすることしかできなかった。


「きゃっ」


 小さな悲鳴が聞こえた。

 目の前に前に紙束を抱えた女生徒が立っている。


「あ、あの。私がなにか」

「別にあんたに言ったわけじゃないよ。脅かして悪かったね」


 上履きの色を見るに一年生だろう。

 夜の覇者ともあろう者が、下級生の前でみっともない姿を見せてしまった。


「その……失礼します!」

「待った。生徒会室に行くの?」


 一礼をして花子の横を通り過ぎていく一年生。

 花子が呼び止めると、彼女はびくりと肩を震わせ、恐る恐る振り返った。


「は、はい」

「たぶん、今は取り込み中だと思うよ。急ぎじゃないなら後にしておきな」


 美紗子も今回の件でかなりストレスがたまっているはずだ。

 昔からの友人である花子にはわかる。

 今頃きっとだろう。


「でも、今日中にクラスのアンケートを生徒会長さんに提出するよう、先生から言われてて……」

「あんた、学級委員長?」

「はい。一年四十二組の赤坂綺あかさかあやです」

「そっか、あたしは二年の深川花子。脅かしたお詫びといっちゃなんだけど、もし誰かに絡まれたりしたらあたしの名前を出しな」


 赤坂という一年生はよくわからないといった顔をしながら、花子に一礼をして生徒会室の方へ駆けていった。


 まあ、いいさ。

 どうせお楽しみの真っ最中なら、生徒会室には入れないだろうしね。




   ※


 美紗子は生徒会室の床に四つん這いになっていた。

 首には犬用の首輪が巻かれ、繋がれたチェーンの先を聡美が握っている。


「情けない格好ですね、動物みたい」


 別の役員が見下すような視線を向ける。

 彼女は汚れた上履きで美紗子の背中を踏みつけた。

 美紗子のワイシャツに無残な灰色の足跡がつく。


「ひぃんっ……」


 甘い喜悦の声が美紗子の口から洩れた。


「うわ、なに喜んでるんですか」

「だ、だってぇ、強く踏まれて痛かったからぁ……」

「こんなのが生徒会長の本性だって知ったら生徒たちはガッカリするわね」

「弾劾ものですよ。期待を裏切った罪は免職だけじゃすみませんね。今の格好をビデオに撮って全校生徒に見てもらいましょうか」

「ひあっ、ごめんなさいっ、それだけは許してください、謝りますからぁ」

「謝って済むと思ってるの!?」


 聡美はなわとびのロープを振り上げ、鞭のようにしならせ美紗子の背中に叩きつけた。


「ひぃっ!」

「あははっ。いい声で鳴くわね」

「はひっ、はひっ。ごめんなさい、ごめんなさいっ」

「必死に這いつくばる姿はあなたにお似合いよ。まるで豚ね。ほら、私は豚ですって言ってご覧なさい」

「はひっ、私は豚ですぅ、美紗子はメス豚生徒会長ですぅ!」

「自覚してんなら芸の一つもやってもらわなきゃね。ほらお手」

「は、はひっ」

「豚が喋るな!」

「ぶひっ!?」


 聡美の平手打ちが美紗子の頬を打つ、乾いた音が生徒会室に響いた。

 不安定なつま先立ちでしゃがんでいた美紗子は不様な姿で床に転がってしまう。


「サイテー」

「こんなのが生徒会長とかマジ終わってるし」

「つーかコイツ、豚のくせにいつまで人間様の服とか着てるわけ?」

「ぜんぶ脱がせちゃおうよ」

「あはは、みっともなーい」

「おーい。バケツに水汲んで来たわよー」

「ナイス。ほら流すぞ、そーれっ。じゃばー」

「うわ汚いなぁ、ちゃんと掃除しておきなさいよ」

「ほら役立たず生徒会長。申し訳ないと思ってるならしっかり床を舐めなさいよ」

「はひっ、はひっ」


 次々と罵声が浴びせられ、制服をはぎ取られ、頭から水を掛けられ、全員に体中を何度も踏まれ、誰のかわからない上履きを無理やり舐めさせられる。


 こんなひどい扱いを受けながらも美紗子の顔は喜悦に充ちていた。


 もちろん美紗子は役員から恨まれているわけでも、イジメを受けているわけでもない。

 水瀬学園の生徒会は全員が水瀬学園設立当時からの仲間であり気の置けない友人同士である。

 だからこそ美紗子が本当に望むものも周りはみんな知っていた。


 これは美紗子の楽しみ。

 彼女なりのストレス発散方なのある。

 誤解のないように言えば、決して周りの役員たちは楽しんでいるわけではない。

 その証拠に苛烈な責めに反して役員たちの表情はどこかぎこちなく、むしろ美紗子の方が一点の曇りもない愉悦を浮かべ喜んでいる。


 幼い頃から文武両道。

 大人たちから愛情と期待を一身に受けていた才女。

 褒められ、ちやほやされるのが当たり前だった、何一つ不自由のない生活。


 いつしか美紗子は人から与えられる痛みや蔑みに喜びを見出すようになっていた。

 花子や和代が自分の立場を利用して欲求を満たしているように、美紗子も自己の快楽のために生徒会長の職権を乱用をしている。


 全校生徒の憧れである理想の生徒会長。

 その自分がこんな被虐的変態行為を楽しんでいるとバレたらどうなるか……

 それを考えるとさらに背徳的な快感が全身を駆け巡る。


「ほら豚! 黙ってないで何をして欲しいか言いなさいよ!」

「……×にぃ」

「聞こえない」

「×に……×××に欲しいのぉ! 変態××生徒会長、美紗子の××な××の×に、×××くて×××しい×××を××××で欲しいですぅ!」

「……ふふ、本当にどうしようもない淫乱メス豚だね。いいわ、それじゃお望みどおりに――」


 ばさり。


 あり得ない音がした。

 全員が一斉に生徒会室のドアを見る。

 入り口のところに女生徒が立っていた。

 今のは彼女が持っていた書類が床に落ちた音のようだ。


 生徒会室は完全防音でドアもオートロック。

 鍵をかければ絶対に役員以外は外から開けることができない。

 そして現在、生徒会役員は全員が部屋の中にいる。

 ドアさえ閉めていれば絶対に安全のはずだった。

 つまりドアが少し開いていたということだ。


「あ、あの……ノックはしたんですけど、返事がなくて。中から叫び声がしたから」


 人には見せられない恰好のまま、突然の闖入者を見上げる美紗子。

 その女生徒と視線が交差する。


「その、えっと、ごめんなさい! 誰にも言いませんから!」


 闖入者は頬を真っ赤に染めて逃げるように走りだした。


田岡たおか杉田すぎたは急いで彼女を確保! 聡美は万が一のことを考えて昇降口に先回りして! 他のみんなは周囲に誰もいないか確認を! 部外者を見つけたら問答無用で拘束! 急いで!」

「了解!」


 即座に生徒会長の顔に戻った美紗子が素早く命令を下す。

 的確な指示を受けた役員たちは一斉に秘密を知った生徒を捕えるため行動を開始した。

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