第21話 散り逝く乙女たち

1 花散ル

 ここは菜井地区の閑静な住宅街。

 スピーカーを通して拡大された無粋な演説の音だけ響き渡る。

 度重なる戦いの連続に、もはや演説を聞くため表に出てくる住人の姿はなかった。


 自由派による演説はイコール平和派との戦闘の前触れ。

 もはや誰からもそう思れてしまっているのだ。


 それでも声は家の中まで届いているはず。

 フリーダムゲイナーズによる地道な活動は続けられていた。


「ふぁ……」


 第一護衛隊長である花子はバス停のベンチに腰掛けてあくびをかみ殺していた。

 傍らにはティッシュ箱のような大型の無線機が放り出されている。


 敵襲と同時に即時撤退を繰り返す消極策は許容するしかない。

 とはいえ、逃げる仲間を誘導するだけの日々は退屈だった。


 赤坂綺はともかく四天王とか呼ばれてる奴ら程度ならぶっ飛ばしてやれるのに。

 そう内心では思っていても、チームの和を乱すようなことはしたくない。


 街の解放のために何をするべきかといった小難しいことは花子にはよくわからない。

 計画を立てるのはリーダーである古大路偉樹。

 フリーダムゲイナーズの一員である以上、決まったことには従うべきだ。

 自分もまた一つの組織のリーダーだったという経験が花子に強い自制心を働かせている。


 今日は頼りになる相棒も休息日。

 花子はいつでも動けるように準備をしつつ、演説の終了か、もしくは敵襲の知らせを待った。


「た、大変です!」


 撤退方向、つまり水学とは逆の方向から走ってくる生徒の姿があった。

 スピーカー越しの演説にも負けないほどの声を張り上げながら、まっすぐに花子の下へやってくる。


「どしたの。何かあった?」


 撤退を円滑にするため要所に待機させているメンバーである。

 迅速かつ隠密性の高い行動を可能にするべく、撤退経路には多くの人員を割いている。


「とっ、逃走経路に、平和派の奇襲部隊が出現! その数およそ三十! 誘導役の人員を全滅させた後、こちらへと向かって来ています!」

「なんだって!?」


 正面からでなく逃走経路を潰されるなどこれまでにないことであった。

 油断していたわけではなく、普通は背後に回られる以前に報告が入るはずだ。


 内通者がいたということか……?

 あるいは逃走経路を割り出されていたか……


 いや、今は考えても仕方ない。


「演説中止! すぐに部隊を引き返して、背後の敵を迎え撃――」


 ぞくり。

 命令を出そうとした花子の背筋に悪寒が走った。

 これと同じ感覚を、この一か月と少しで何度か味わっている。


 しかし、そんなはずはない。

 まだ接近確認の無線は入っていないじゃないか。


 奴が、来るはずは。


「赤坂だぁーっ!」


 誰かの叫び声が演説の声をかき消した。

 赤い髪の女が坂の下の角を曲がってやってくる。

 それは砂煙を立て、あっという間にこちらに接近してきた。


「撤退開始! 能力者が前を固めて、撤退経路の敵を蹴散らして逃げろっ!」

「は、花子さんはどうするんですかっ?」

「あたしはあいつを食い止める!」


 挟み撃ちの格好になった以上、誰かが赤坂綺の足止めをしなくてはならない。

 そして、これは他の誰にも任せられることではない。

 覚悟を決めるしかなかった。


 ジョイストーンを取り出す。

 迫りくる真っ赤な翼に向かい合う。

 その瞬間、赤坂綺の乗るZ1が急停止した。


 翼が天空に舞い広がる。


「なんだ、あれ……」


 その異様な風体に花子は思わず能力を発動させることを忘れた。

 赤坂綺の背から生える翼は以前とは少し形状が違っていた。


 先端部には骨のように突き出た角。

 羽部分は爬虫類めいた鱗がいくつも組み合わさったよう。

 翼の中央には目のように真っ赤な宝玉が埋め込まれ、羽の色も以前と比べて赤黒い。


 左右三対、計六枚の翼。


 まるで悪魔だった。

 天使のような神々しさは微塵もない。

 赤坂綺の姿は地獄からやってきた使者そのものだった。


「JOYの次段階への進化……!? 本当にあったのか……」


 ずっと昔にJ授業で聞いた話を思い出す。

 持ち主の成長によってJOYは姿を変えるという。

 しかし、今までそれを実際に成したものは誰もいなかった。


 あまりに非現実的な光景に花子は息を飲んだ。

 直後、六枚翼を翻した赤坂綺が花子の頭上を越えた。

 自分を無視して撤退する仲間たちに襲い掛かるつもりだ。


「やめっ――」


 叫ぶ間もなかった。

 赤坂綺は演説役の生徒めがけて急降下する。


「ぎゃあああーっ!」


 回転しながら振った≪断罪の双剣カンビクター≫によって、演説役の生徒は隣にいた護衛ごと真っ二つにされた。


「このっ!」


 花子はすぐさま能力を発動させた。

 ≪大英雄の短銃センチメンタルヒーロー≫の遠距離射撃でなんとか赤坂を止めようとする。

 この距離では周りにいる生徒に当たる可能性もあるが、もはやなりふり構ってはいられてなかった。


「あはっ」


 赤坂綺は翼の一枚で顔を覆う。

 それだけで弾丸はすべて防がれてしまう。

 鉄板でもひしゃげる程の威力があっても、赤坂綺の翼には傷一つつけられない。


「あははははははっ!」


 狂ったような笑い声と共に赤坂綺は六枚翼を広げた。

 翼の中央にあるルビーの目が不気味に輝く。


 鱗のような無数の羽が翼から分離。

 辺り一帯を縦横無尽に飛翔し始めた。


「いぎゃあ!」

「ぐえっ!」

「うっぎゃあっ!」


 羽は赤い閃光となって周囲にいた生徒たちを次々と貫いていく。

 花子が守るべきだった仲間たちが次々と倒れていく。

 まるで悪夢でも見ているようだった。


「やぁーっと捕まえた。逃げられてばっかりでつまらなかったんだもん」


 小型ミサイルと化した羽が周囲の人間を一掃すると、機械的な動きで赤坂綺の翼に戻っていく。

 六枚翼は殺された生徒たちの血によって一層より赤黒く染まっていた。


 フリーダムゲイナーズのメンバーたちが死屍累々と倒れている。

 その中心で赤坂綺は自らの所業に劣らぬ悪魔のような笑みを浮かべていた。


「深川花子さん。今日はたっぷり楽しみましょうね」


 こうして向かい合っているだけで足が竦む。

 怖い、逃げたい、それが敵わないのなら、今すぐ跪いて許しを乞いたい。


 臆病な気持ちが花子の心を蝕もうとしている。

 だが。


「ふざけるなっ!」


 煮えたぎる怒りがあらゆる恐れを吹き飛ばした。


「遊んでるつもりかよっ! あんたは何様のつもりだっ!」


 戦いの中で命を奪った経験は花子にだってある。

 けど、人を殺した直後にこんな風に笑うやつがあるもんか。


 麻布美紗子が殺されたと聞いた時は彼女に同情の念も感じた。

 しかし今の赤坂綺に対しては吐き気を催すほどの嫌悪感しか覚えない。


 仲間の仇討ちなんて言うつもりはない。

 正直に言って、挑んで勝てる相手とも思えない。


 それでも、こんな奴に背を向けて逃げ出すのだけは絶対に嫌だった。


「この野郎っ!」


 銃を手に地面を蹴る。

 素早さなら誰にも負けない自信があるんだ。

 最初の一撃に勝負を賭けてやる。

 いくら防御が硬くても、脳天に銃弾を撃ち込めばどうだ!


「ふふっ、おいで。遊んであげるわ」


 花子が駆ける。赤坂はその場を動かない。もう奴は目の前だ。腕を振り上げ銃を構える。

 引き金に指を賭ける。瞬間、目標を見失う。銃声。弾丸。空に消える敵。地面。映る影。

 殺気。背後。振り向く。悪魔。刃。反射光。激痛。絶叫。振り下ろされるもう片方の刃。


 最期は痛みも恐怖もなかった。

 こんなにも呆気なく終わりなのか。

 頭の中に過った感想はそれだけだった。


 深川花子の意識は永遠の闇に閉ざされた。

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