6 覚悟なきテロリスト

「あと一時間を切ったな」


 第一校舎の裏手にある非常口付近の警備を任されているアカネの月メンバーの荒川仁あらかわひとしは、拳銃のグリップを左手に持ち替えて額の汗を拭った。


「ああ、あとちょっとの辛抱だ」


 警報装置の上の置時計をちらりと見ながら、同志の目黒明良めぐろあきらが答えた。

 彼ら二人ともう一人、今は外の様子を見周りに言っている世田克幸せたかつゆきを合わせた三人が、この非常口付近の警備を担当している。


 彼らは特殊な訓練を受けたプロではない。

 射撃訓練こそ事前に行っているが、緊張感を失わずに長期間の作戦行動を行えるような強靭な精神力は持っていなかった。

 もうすぐこの緊迫した状況から解放されるとなれば、自然と無駄話も始まるというものだ。


「しかし、本当に運営どもが俺たちの要求を飲むと思うか?」

「飲むさ。いくら機密が大事だからって、人質を見殺しにするわけがない」


 不安そうな明良に対し、仁は自信満々に答えた。


「けどよ、もし受け入れてもらえなかったら、俺たちはどうなるんだよ」

「エイミー学園長まで人質に加えられたんだぞ。見捨てるなんてあり得ないだろ。ギリギリまで返事をしないのは最後まで交渉を続けたぞっていう口実が欲しいだけさ」


 楽観的な考えを口にする仁自身、己に言い聞かせているところは多分にあった。

 これまでに街を運営する運営のラバースは多くの若者たちの死に見て見ぬフリをしている。

 人質という盾がなければ自分たちを殺すことになんの躊躇いも持たないだろう。


 数名の人質のために機密実験を途中で放棄するだろうか?

 だが、罪もない人たちを見殺しにすれば住民たちの不満も溜まる。

 最悪の場合、暴動だって起こるかもしれない。

 そうなったら運営も困るどころではないだろう。


 どう転ぶかはわからない。

 この作戦が成功すれば、自分たちは街を解放した英雄だ。

 しかも能力付与済みのジョイストーンまで手に入る。


 仁はクラスメートだった甲原の思想に賛同してアカネの月に参加した。

 その理由は街の解放の志と言うよりも、自分自身の欲望のためというところが大きい。


 このまま普通に暮らしていたって、どうせ下っ端生活からは抜け出せやしない。

 やってもやらなくても地獄なら、失敗した時のことなんて考えても仕方ないのだ。


「それにしても克幸のやつ、ずいぶんと遅いな」


 誰かが交代で外の見回りを行うというのは甲原からの指示ではない。

 襲撃もないのにずっと同じ場所に居続けるのは退屈である。

 気を紛らわすため彼らが勝手に考えたことなのだ。


 このような所も訓練された本物の兵士とは違う。

 これほどの事件を起こしても、どこか遊び気分なのだ。

 もちろん、同志に指示を徹底していなかった甲原も含めて。


 とはいえ四六時中各所を走り回っている伝令にも見回りの件は伝えてある。

 次にやってきた時も反対の命令はなかったから、甲原も賛同してくれたのだろう。

 そういうわけで、一時間くらい前から一〇分ずつ交代で外に出て気分転換を行っている。


 克幸が外に出たのは七時五十分より少し前だった。

 とっくに戻っていてもおかしくない時間なのだが……


「ひょっとして、ビビって逃げ出したんじゃ」

「変なこと言うんじゃない。仲間を疑うなよ」


 実を言うと仁も悪い予感がしていた。

 克幸は非常に繊細で臆病な性格の男であった。

 考えたくもないが、この緊張に耐えきれず逃亡したのでは?

 それどころか、自分の安全と引き換えに、同志の情報を売り渡したとしたら?


 いや、大丈夫だ。

 強硬手段になんて出られやしない。

 仁は右手で拳銃のグリップを握り占め、その硬さを確かめて心を落ちつける。


 L.N.T.には生徒会以外の警察機関はない。

 もちろん、彼女らは銃火器なんて持っていない。

 能力制限時間内なら絶対に無茶な行動はできないはずだ。


 それに安心できる理由はもう一つある。

 彼らに銃器を横流しした者の存在がそれだ。


 実験を中断しラバースの悪事を世間に公表したい一派。

 現体制を覆したい者たちが、運営の中にも確実に存在している。

 彼らのバックアップがあるからこそアカネの月はこんな無茶な計画を実行に移せたのだ。


「おい明良。少し外の様子を見てこいよ」

「お、俺がかよ」

「全員で持ち場を離れるわけにいかないだろ。もし不審者を見つけたら撃ってもいいからな」


 それを聞いた明良はニヤリと笑った。

 明良も長く続いた緊張状態のせいで弱気になっている。

 ここで少し気合を入れておかないと、いざという時に本当に逃げだしかねない。


 適当な息抜きは必要だ。

 交代で外に出ていると言っても、真面目に不審者を捜しているわけではない。

 茂みの裏で伝令にバレないよう一服した後、奥の茂みに向かって銃を試し打ちしているのだ。


 サイレンサーのついた銃は音が周囲に響かない。

 弾丸は大量に支給されているから、少しくらい減ったところで気づかれることもない。


「わかった、行ってくるよ」


 明良は銃を片手に昇降口から出て行った。

 一人になると、仁は銃を置いて大きなあくびをした。


 疲れた。

 もう少しで退屈な時間は終わる。

 このくだらない日々も。


 仁は二年生でありながらJの授業の第二段階にすら達していない。

 夜の住人として争いに参加したくても強力な能力者の下で生きるしかない。

 アカネの月のメンバーはみな、同じような劣等感を持つ者たちの集まりである。


 こんな不公平な街からはさっさと抜け出してしまいたい。

 そういう建前で作戦を実行した反面、彼らはこの行為自体にも刺激を求めていた。


 これまで自分たちを虐げ無視してきた能力者たち。

 そいつらを手にした銃器の力で圧倒することも妄想していた。


 実際には能力者の襲撃者もなく、能力解放の時間前には交渉期限が来てしまう。

 楽でよかったと思う反面、肩透かしを食らったような気分もあった。


 その直後、鈍い衝撃音が響いた。


 仁は銃を手にとって非常口のドアを見る。

 何かがドアにぶつかった音だった。


 小石やボールなどではない。

 もっと大きいものだ。


「明良、どうした!」


 たったいま出て言ったばかりの明良は何か見ているはずだ。

 ひょっとして、彼の身に何かがあったのでは?


「おい、明良! 返事をしろ!」


 仁はもう一度呼びかける。

 返事がないことを確認すると、銃を構えてドアに近づいた。


 そして、あと三歩という所で。

 ドアが外側から開かれた。


 ノブが壁にぶつかる。

 突風が建物に入り込んできた。

 直後、強烈な衝撃が仁を吹き飛ばす。


 何かが思いっきりぶつかってきた。

 瞳を見開く彼の視界に映ったのは、一面の赤。


 世界がぐるりと回転する。

 次の瞬間、脳天に強い衝撃を受けた仁は意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る