6 美紗子と爆太郎

 言うが早いか和代は美紗子の返事を待たずに颯爽と駆け出して行ってしまった。

 止めようと思う間もなく彼女の姿はすでに校舎の中に消えている。

 どうやら近道をするつもりのようだ。


「いくら美女学の生徒会長さんとはいえ、たった一人で校内をうろつくのは襲ってくれと言っているようなもんだがなあ……」

「まあ、神田さんなら大丈夫でしょ」


 溜息を一つ吐き、美紗子は近くにあったちょうどいい大きさの岩に腰かけた。

 スカートの中身が見えない程度に足を開いて膝の上で頬肘をつく。


「彼女はいつもあんな調子なんだから」

「難儀じゃのう。お互い苦労が絶えんな、美紗子」

「まったくよ。っていうかそもそも私には組織のリーダーなんて似合ってないのに」


 和代がいた時と比べて、美紗子はだいぶリラックスした態度になっている。


「ふふん。街中の尊敬を一身に集める水学の生徒会長さんのセリフとは思えんのう」

「やりたくてやってるわけじゃないわよ。あんたと違ってね、爆太郎」


 実は美紗子と豪龍は昔馴染みなのである。

 美紗子が四年前にL.N.T.にやってくるより前から、お互い良く見知った関係だ。


 和代はもちろん、水学生徒会役員たちもこの事実は知らない。

 お互いにとって仲がバレる利点もないので、誰にも喋るつもりがないのだ。

 そもそもただの腐れ縁なので、たまたま二人きりにならない限りは口を利く機会もない。


「意に沿わぬ期待をかけられるのは小学校時代から変わらんか」

「あんたはずいぶん変わったわよね。昔の弱々しかった面影なんてどこにも残ってないわ」

「ハッタリを利かせるにはまず見た目から変えんといかんからな」


 決して仲が良いわけではない。

 しかし、豪龍と話す時の美紗子は他の誰に対してよりもリラックスしている。

 旧友の前でだけは皆から期待される生徒会長としての振る舞いも必要もないとの安心感があるためだ。


「そう言えば、こうしてゆっくり喋るのは小学校の卒業式以来だな」

「あんたがL.N.T.に来たのって六月からだっけ。名簿で見覚えありすぎる名前を発見した時は本気で驚いたわ。不良たちのリーダーをやっているって知った時は耳を疑ったけど」

「いろいろあってな、いじめられっ子のままではいられんかったのよ」


 美紗子が知っている小さい頃の豪龍は、もっと貧弱で、吹けば飛ぶようなもやしっ子だった。

 いつもクラスのワルガキに虐められては泣き喚き、そのたびに美紗子が乱入して助けてやったものだ。


「爆高の頂点に立ったんなら、しっかり生徒たちを纏め上げてもらいたいわ」

「無茶を言うな。ここのバカ共は水学や美女学のいい子たちとは違うんじゃ。まともな社会に適応できない正真正銘のクズどもの集まりよ」


 言ってはみたもののわかりきったことである。

 豪龍はあくまで最大グループの長で、未だ大多数の生徒とは敵対関係にある。

 力だけがものを言う正真正銘の修羅の世界。

 それが爆撃高校である。


「まったく、クズどもばかりを集めてヘルサードも何を考えているんだか……おっと。この名は女子の前では禁句だったか」

「別に、今さら……」


 L.N.T.の創始者のひとりであり、爆撃高校の校長でもあるミイ=ヘルサード。

 その名前は美紗子だけでなく、ほぼすべての第一期生の女子にとって非常に重い意味を持つ。


 とはいえ彼が公に姿を現さなくなってから数年。

 もはや名前を聞いた程度で動揺するようなことはなくなった。

 それでも脳裏にあの仮面の下の素顔が浮かび上がれば、心がさざ波立つのを自覚する。


 会話が途切れ、無為な時間が過ぎていく。

 美紗子はここで和代が戻るのを待つつもりだったが、なぜか豪龍も立ち去ろうとはしない。

 しばし気まずい空気が流れ続けた後、豪龍の方から口を開いた。


「なあ」

「なに」

「『三帝』って聞いたことあるか?」


 唐突な話題に美紗子は思わず座ったまま豪龍の顔を見上げた。

 彼の昔からの癖で、会話をしている最中も相手の顔を見ようとはしない。

 豪龍は旧校舎の窓を眺めながら答えを待っていた。

 少し考えてから美紗子は口を開く。


「アウシュテルリッツの戦い? ナポレオンと、アレクサンドル……」

「違う。誰が世界史の知識を尋ねとるか。L.N.T.の三帝の話じゃあ。夜の住人たちの間で決して手を出してはいけないと言われている、アンタッチャブルな三人の生徒がそう呼ばれている」

「初耳ね」

「意外と情報が遅れとるのう。夜の中央じゃ常識だぞう」

「うるさいわね。取り締まる方はいちいち噂話まで気にしてないのよ。で、その三帝がどうしたの?」

「三帝は各学校から一人ずつ選ばれておる。うち二人はすぐにわかるじゃろ。荏原恋歌とアリスじゃ」


 アリスは爆校内ではある意味で豪龍以上の影響力持っている。

 たまに夜の中央に姿を現しては周囲に得体のしれない恐怖を振りまく女生徒。

 この場ですら感じる重圧感を思えば、彼女が生徒たちから恐れられる理由は十分だろう。


 荏原恋歌は現在投獄中であるが先の学園対抗試合で見せた圧倒的な力は美紗子もよく覚えている。

 その強さはもはや伝説であり、目を閉じれば鮮烈な記憶と共にその時の光景が蘇る。

 なにせ中学時代の美紗子が全く歯が立たなかったくらいなのだ。


「で、もう一人は当然、水学の生徒なんだが……」

「花子さんかしら? それとも千尋さん? まさかと思うけど私なんて言わないわよね。私はあくまで治安を維持する側であって、周りに恐怖を与えているつもりはないんだけど」

「全部ハズレじゃ」


 不良たちの間で囁かれる噂話などどうでもいいが、さすがに少し気になった。

 美紗子には今言った以外の人間の名前は思い浮かばないからだ。


「じゃあ誰よ。もったいぶらずに言いなさい」

「あの荏原恋歌を倒したと噂される新入生」

「っ!?」


 美紗子は思わず立ち上がり、座っている豪龍を上から睨みつけた。


「赤坂さんが……?」

「名までは知らん。赤い翼を持つ能力者だとは聞いておる」


 荏原恋歌が投獄されることになった、あの誘拐事件。

 完全な勝利とは言わないが、赤坂綺は確かに荏原恋歌を倒している。


 一対一では誰も敵うことがないと思われていた夜の女王。

 その荏原恋歌に対して、当時は名も知られていなかった一年生が大金星をあげたのだ。

 しかもその当人である赤坂綺あかさかあやはその事件の後、一期生以外の生徒としては初めての水学生徒会入りを果たしている。


 鮮烈な登場を果たしたスーパールーキー。

 夜の住人たちが騒ぎたくなる気持ちもわかる。

 が……


「彼女は恋歌さんやアリスさんとは違うわ。だって取り締まる側の人間だもの」

「問題は立ち位置ではない。その女は誰も倒すことはできないと思われていた荏原恋歌を倒したんじゃ。伝説を覆すことが可能だと証明してしまったと言えばわかりやすかろう」


 噂が人々の意識に与える影響は計り知れない。

 綺はすでにアリスや荏原恋歌と並んで語られるほどの人間になっているのだ。

 それほどまでに荏原恋歌の敗北は、街の能力者たちにとってショッキングな出来事だったのだろう。


「もし今後、その赤い翼の能力者やアリスが何者かに敗れるようなことが起これば……」


 美紗子を挑発するかのように豪龍はニヤリと笑ってみせる


「街の状況は一変するかもしれんのう。力を手に入れたガキ共が、いつまでも大人の描いたルールの上でおとなしくしていられるわけがないんじゃ。我こそが街の支配者になるぞと目論む人間も台頭するかもしれん。そうなった時になにかのきっかけ一つで……」

「爆太郎」


 美紗子が発した声は豪龍にしか聞こえないほどの小さな声だった。

 けれど確かな重みを持って、忌むべき未来図を語る彼の口を閉じさせた。


「あんたたちが何を望んでようが勝手だけど、大多数の生徒たちは平和な学園生活を望んでいるの。私はそんな人達の平穏を守るため生徒会長なんて似つかわしくもない役割を引き受けてる」

「どうかな。平時はそう見えるが、誰だって本当は……」

「もし」


 反論をしようとした豪龍を一言で黙らせる。


「あんたが街の平和を乱したり、多くの生徒を苦しめようとするのなら……」


 頭に浮かんだ言葉を飲み込んで言葉を切る。

 もう一度頭の中で反芻し、咀嚼して、結局は思った通りそのままを伝えた。


「水学の生徒会長として、私があなたを殺すわ」

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