7 魔天使の恐怖
「カッコいいでしょ、これ。900スーパー4って言うんだって」
車体を愛しそうに撫でながら、赤坂綺はうっとりとした表情を浮かべる。
サイドカバーに900の文字。
やたらと細いタイヤに左右計四本のマフラー。
オレンジ色のタンクに光る白いKAWASAKIのロゴ。
奇麗に磨かれてはいるようが、全体的に古い印象の二輪車だ。
新幹線のような速度で走ってきたマシンとは到底思えない。
「ラバースの人からもらったのよ。外観は古いバイクなんだけど、中身は駆動系からブレーキまで最新技術の塊でね。特に燃料にはジョイストーンの研究で得られた新エネルギーを使用してるそうよ。最高時速は三〇〇キロ近くも出せるんだって」
赤坂はもう一人ののっぺりした金髪の少女に向かって陶酔したように説明する。
「科学技術の進歩ってものすごいわよね。数年後には巨大ロボも夢じゃない気がしてきたわ」
「ロボットかぁ。もし綺ちゃんが乗るんだったら、カッコイイ名前をつけてあげたいね」
「名前と言えばこのバイクにも別の名前があったよね。速海君が言ってたの、なんだったかな」
「たしか『ゼットワン』だったと思うよ」
「そうそれ、Z1。いいわよね。まさに主人公の愛機に相応しい名前だわ!」
「綺ちゃんの愛車にぴったりだよ」
「どうせなら戦隊全員の分も欲しいわね。ゼットツーとかゼットスリーとか存在しないのかしら」
こちらを無視して喋り始める二人の少女。
隙だらけなのに、蜜はまったく動くことができない。
完全に気おされてしまっているのだ。
あいつはただ、友達との会話を楽しんでいるだけだというのに。
荏原恋歌を前にしたときもこんなことはなかった。
下手に動けば即座に殺されてしまいそうに感じるこの恐怖。
ストレスで血管が破裂してしまいそうなほど気が張り詰めてしまう。
赤坂綺がこちらを見た。
それだけで膝が崩れになる。
「改めましてこんにちは。本郷蜜さんだったわよね?」
「……ええ、こんにちは。赤坂綺さん」
精一杯の気迫を込めて睨み返す。
が、喉から出た声は悔しいほどに上擦っていた。
「そんなに硬くならないでもいいのよ。今日はあなたと話がしたいだけだか――」
「赤坂綺、覚悟!」
左右から、そして背後から。
三人の能力者が一斉に赤坂綺に襲い掛かった。
蜜が身も竦むほど恐怖していたのは、相手の力を肌で感じているからである。
そうでない者にとっては今の赤坂綺は全くの隙だらけに見えたことだろう。
だが、目の前の恐怖が理解できない者は自らの足で死地に飛び込むだけである。
彼らの攻撃は赤坂綺の体を包むように広がった血よりも赤い翼によってあっさりと防がれた。
「な――」
次の瞬間には赤坂綺は反撃を終えていた。
目にも留らぬ速さで拡げた翼ごと体を回転させる。
彼女は舞いを演じるように両の手に握った剣を振った。
瞬きひとつ。
その間に三つの首が宙に飛ぶ。
「ちょっと痛い目を見なきゃわからないのかしら」
三人の能力者を屠った後、赤坂綺は周囲の非能力者たちを斬りつけ始めた。
「ぎゃあっ!」
「あはは! そーれっ!」
「やめ……っ!」
蜜は弾かれたように飛び出した。
JOY≪
圧縮した空気を掌に包んで叩きつける。
しかし、蜜の渾身の一撃はやはり真っ赤な翼によってあっさりと防がれてしまった。
高機動ユニット兼絶対防御障壁のJOY≪
その防御はあまりにも強固だ。
動きを止めた蜜の喉元に剣の切っ先が突きつけられる。
前生徒会長麻布美紗子のJOYであり、今は赤坂綺が遺志と共に継いだ≪
「そこまでにして。今日は話がしたいだけって言ったでしょう」
「……っ、私の仲間を殺しておいて何がっ」
「先に手を出したのはそっち。私は正当防衛をしただけよ」
赤坂綺が持つ二つのJOYは最強クラスの矛と盾である。
実力差は歴然、加えて人の命をあっさりと奪っておきながらこの落ち着き様。
どうやっても敵う相手ではなく、一歩でも動けば今度こそ蜜の首は胴から離れるだろう。
「心配しなくても最初の三人以外は殺してないわよ。放っておけば死んじゃうかもだけど。彼らのためにも話し合いは円滑に進めた方がいいと思うんだけど、どうかしら?」
「……何を話し合おうというのですか」
「本郷さんさあ、フリーダムなんとかなんて抜けて、うちに来ない?」
それは予想もしなかった申し入れだった。
「そこそこ強い能力を持ってて、北部住宅街の人たちををまとめてた実績もある。聞いた話だと人望も厚いそうじゃない。そんなあなたが悪の一味に参加しておくのはもったいないと思うのよ」
「私を平和派に勧誘しようというのですか……」
「うん。いちおうあなたも水学生徒だしね。今は平和を乱すおバカさんたちとの戦いで忙しいけど、それが終わったら今度は街を立て直さなきゃいけないじゃない? その時にあなたみたいな人に居てもらえるとすごく助かるのよ。悪い話じゃないと思うわよ? あなたどうせ、どっちかの陣営に所属しておかないと仲間が危険だと思ったから、なんとなく自由派に肩入れしてるだけなんでしょ?」
赤坂綺の言うとおりだった。
別に蜜は自由派の主張に賛同しているわけではない。
真の自由なんてものだって、それほど価値があるとは思わない。
仲間を守るためには孤立したままではいられない。
そう思ったからフリーダムゲイナーズに参加しただけだ。
元々蜜は水学の生徒である。
生徒会側に肩入れしてもおかしくない立場ではあるが……
「残念ですが、私の一存では決められません」
「あら」
「今の私はフリーダムゲイナーズの一員ですが、弦架地区の人々の命を預かる自警団のリーダーでもあります。彼らを捨てて自分だけ安全な所に逃げることはしたくありません」
この言葉は蜜の本心である。
だが、正直に言えば生徒会に所属したいとは思えない。
昨日までならば考えは違ったかもしれないが、こうして赤坂綺という人物を目の前にしてわかった。
彼女は異常者だ。
仲間になるなど絶対にありえない。
「ほら綺ちゃん、やっぱりこんな人を誘うだけ無駄だって。状況次第でころころ立場を変える奴なんて信用できないよ。後のためにもここであぎゃっ!?」
話に割り込もうとした金髪の少女の肩口に、赤坂はもう片方の≪
彼女はDリングの守りを張っていたが、それを容易く貫いて深々と肉に突き刺さる。
「黙ってなさい美樹。私はいま本郷さんと話をしているのよ」
「あぎゃぎゃ、いたいっ、いたいよ綺ちゃんいぎぎぎぎっ、あびゃはは、あはっ」
肉を抉る切っ先をさらにグリグリと穿る。
美樹と呼ばれた金髪の少女の肩から夥しい量の血が流れる。
痛みは相当なはずだが、美樹はなぜか恍惚とした表情を浮かべていた。
「本郷さん、確かにあなたの言う通りね」
赤坂が蜜の首元に突きつけた剣を引いた。
「どうぞ仲間たちとゆっくりと話し合ってください。私もできる限り市民の犠牲は少なくしたいと思っていますので、みんなで一緒にこちら側に来てくれるなら大歓迎です」
「引かせてもらっても良いのですか?」
「ええ。そうやって仲間のことを考えられる人だからこそ、私もあなたに期待しているんだし。それに」
底の見えない瞳で見つめられる。
瞬間、喉元に刃を突き付けられた時を遥かに超える死の予感が全身を駆け抜けた。
「これからは私も積極的に前線に出ますから。お会いするチャンスはいくらでもあるでしょう」
どうやら赤坂綺にとって今の状況は雌雄をかけた抗争ではないらしい。
味方の数も、支配面積でも劣っているのに、彼女はすでに戦後のことを考えている。
フリーダムゲイナーズら自由派の抵抗なんて、いつかは鎮圧できる暴動としか見ていないのだ。
「帰るわよ、美樹」
「ぎゃひゃひゃは」
赤坂綺はバイクに再び跨ると、タンデムシートで不気味に笑い続ける美樹を連れ、驚異的な速度で颯爽と戦場から消えていった。
「うう……」
「痛い、痛い……」
後に残された蜜は、赤坂綺に斬られてうずくまる数人の仲間たちと三つの死体を見下ろした。
はやく連れて帰って治療すべきと頭の片隅で考えていたが、彼女はやり切れない思いと絶望的な恐怖に支配され、身の震えを止めることができなかった。
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