8 脱出

 放送の予告通りに研究所は崩壊を始めた。


 四人は必死に来た道を走った。

 蛍光灯は割れ、赤色灯に照らされた廊下は薄暗い。

 次々と崩れ落ちてくる天井や壁面のせいでかなり走りにくかった。


 そんな中でミス・スプリングだけは涼しい顔のままである。

 この女は本当に星野空人以外のことで感情を動かすことはないらしい。

 なにせ、さっきの社長の衝撃の告白にもまったく動じたそぶりは見せなかった。


 さすがに文句の一つも言ってやろうと和代が視線を向けた瞬間、


「うぐっ!?」


 脇腹に激痛が走った。

 横を見ると白衣を着た太った研究員がいた。

 血走った眼をギラつかせ、手には血のついたナイフを握っている。


 どうやら廊下の角で待ち伏せをしていたらしい。

 油断していたとはいえ、まんまとやられてしまった。


「に、兄さんの仇だ。モルモット風情が調子に乗りやがって……絶対に許さないからなっ」


 研究員はさらにナイフを刺そうとしてくる。

 だが、一瞬早く千尋の≪无覇振動刀ブイブレード≫が男の脳天に叩き下ろされた。


「ぐげっ」

「和代さん、大丈夫!?」

「え、ええ……何ともありませんわ」


 強がってみせるが、死ぬほど痛い。

 もう走ることはできそうになかった。


 アナウンスの予告によれば爆発まであと五分もない。

 ゆっくり歩いていては脱出に間に合わないだろう。


「申し訳ないのですが、先に行っててくださいな。ちょっとお手洗いに寄ってきます」

「バカなこと言ってないで! 早くおぶさって!」


 千尋がしゃがみ和代に背を向ける。


「え」

「早く!」

「あ、はい……」


 迫力に押され、促されるまま彼女の背中に体を預ける。

 太ももの下に手が回され、完全に子どもがおんぶされる格好になった。


「傷に響くかもしれないけど、我慢してね!」


 千尋は和代を背負ったまま走りはじめた。

 ものすごく恥ずかしい格好である。


「あ、あの、ちーちゃん。やはり降ろしてはいただけないでしょうか。本当に大丈夫ですから」

「こんな時にまで強がり言わない! いいから黙って捕まってて!」

「う、うん」


 さすがにそれ以上の抵抗はできなかった。

 和代は大人しく千尋の背中に身を任せることにする。


 細くて華奢な体。

 なのに、とても力強い。

 確かな温もりがそこにあった。


 五年半前。

 和代はこの少女を憎み敵対した。

 感情をぶつける戦いを経て憎しみは憧れに代わった。

 いつしか二人は親友になり、それからはずっと肩を並べて支え合う仲間としてやってきた。


 人は変われるのだ。

 最初は憎み合っていても大丈夫。

 少しのきっかけで手を取り合えるようになる。

 協力して大きな力を産むことができる。


 和代と千尋がそうであったように、この街に住む人たちも、一つになってラバースという共通の敵と戦えるようになるはずだ。


「……ちーちゃん。私、決めましたわ」

「え、なに? 聞こえない」


 建物が崩れる音に和代の呟きはかき消される。

 その言葉は誰よりも自分自身の心に向けたものだ。


「古大路偉樹と赤坂綺。必ずこの二人の手を握らせてみせます」


 すでに前方には出口の光が見えていた。



   ※


 あと十数メートルで脱出というところで、頭上の天井が崩落した。

 千尋はすばやく後ろに飛んで潰されるのを避けたが、瓦礫に道を塞がれてしまう。


「千尋ちゃん! 大丈夫!?」


 壁の向こうで香織の声がする。


「大丈夫! そっちは!?」

「二人とも無事だよ!」


 香織とミス・スプリングは無事らしい。

 しかし、こっちは……


「はああああっ!」


 千尋は渾身の力を込めて≪无覇振動刀ブイブレード≫を瓦礫に叩きつけた。

 しかし、表面が少し削れた程度である。


「……閉じ込められたみたいだね」

「そのようですわね」

「悔やんでいてもしかたない。他の道を探そう」


 千尋は前向きに言って、壁の向こうの香織たちに声をかける。


「香織ちゃん、こっちは大丈夫だから先に外に出て!」

「でも!」

「爆発まであと何分もないはずだ! 二人だけでも急いで!」


 香織もミス・スプリングも、この先の戦いに欠かせない能力者である。

 万が一にも無駄に命を落とすわけにはいかない。


「……わかった! けど千尋ちゃんたちも無事でね! 絶対だよ!」

「もちろん!」


 壁の向こうで足音が遠ざかっていく。

 二人は無事に脱出できるだろう。


「さあ、私たちも行こう。最後の一瞬まで諦めないよ!」


 残り時間は三分を切っている。

 別のルートを探して脱出なんてできるだろうか?


 千尋ひとりならこんなことにはならなかった。

 怪我をした自分を背負っていたから走るのが遅れたんだ。

 自分のせいで……と考えると、和代の胸は後悔でいっぱいになった。


「ごめんなさい。私のせいで――」

「諦めない!」


 謝罪の言葉を千尋が大声でかき消す。


「戦いを終わらせるって決意したんでしょ? だったら、こんなところで死ねないよ。和代さんも、もちろん私も!」


 千尋の声色には一点の曇りも見られなかった。

 その声を聞いていると、不思議となんとかなりそうな気がしてくる。


「ええ……では、任せましたわよ」

「任せられた!」


 こんな時にお荷物になるのは悔しい。

 だが、今はこの力強い親友の言葉を信じてみよう。

 万が一ダメだったとしても、最期の時を彼女と一緒に過ごせるのなら悪くない。


 千尋は和代を担いだまま元来た道を走った。

 彼女たちの行く手に白衣の研究者たちが立ちふさがる。


「さっきはよくもやってくれたな……」

「絶対に許さない。お前たちは酷い目にあわせてやる」

「ぐへへ、若い女だぁ。とびきりの美人が二人もいるよぉ」


 行きがけに倒した研究者たちだろうか。

 いちいち顔も覚えていないが、その数は一人や二人ではない。


 不意打ちで倒した時と違って彼らはみな鉄パイプや角材などで武装している。

 しかもどういうわけかDリングの守りと同じ、うっすらとした光が彼らの周囲を覆っていた。


「社長も酷いよな。ぼくたちは毎日毎日一生懸命データを取ってたのに、今季一番の革新は古大路とアリスが発見したJOYインプラント技術だなんて」

「確かにあれは画期的だよ。けど、理屈さえわかれば応用でこの通りさ」

「名付けてDインプラント! これでおいらたちは絶対無敵の超人にがぼらっ」


 千尋が研究員の一人に攻撃した。

 Dリングに守られた程度じゃ≪无覇振動刀ブイブレード≫相手にはほとんど意味をなさない。


「ああーっ、吉田氏!」

「よくも吉田氏を! モルモットの分際で許せなげぶあっ」


 もう一人もあっさりと倒した。


「時間がないの。おしゃべりならよそでやってね」

「なっ、なにおーっ!」


 研究員たちは血走った眼で千尋たちを取り囲んだ。

 ひとりひとりはたいして強くもなさそうだが数が多い。

 いくら千尋が強くても和代を背負ったままでは厳しそうだ。


「ちーちゃん、下ろしてください。これでは全力で戦えないでしょう」

「ダメだよ。そんなことしたらこいつらは和代さんを狙う」


 彼らの下卑た視線は千尋だけでなく和代にも注がれている。

 まともに動けない状態で襲われたらと考えると全身に鳥肌が立つ。


「安心して。こんな奴ら、おもりを背負っているくらいがちょうどいいハンデだから」

「おもりって、ちーちゃん……」

「言葉のアヤ!」

「いつまでゴチャゴチャ言ってるかあーっ!」


 しびれを切らした研究員たちが一斉に襲い掛かってくる。

 千尋は≪无覇振動刀ブイブレード≫を振り回して男たちを薙ぎ倒した。

 和代を背負っていることなど微塵も感じさせない俊敏な動きである。


 穏やかな剣士にして、戦十乙女の一人。

 今回の戦乱でも人目につかないところで暴力の芽を潰して回っていた少女の本気の立ち回りだった。


「そこまでだぁーっ!」


 研究員の一人が拳銃を構えた。

 和代はギョッとしてしがみつく手に力を込める。


「はあああああああっ!」


 千尋は構わずに突っ込んでいった。

 そして≪无覇振動刀ブイブレード≫を廊下に突き刺す。


「ひえっ?!」


 床を通して振動が伝わる。

 拳銃を持った男の足元がふらついた。

 小さな地震程度の揺れはダメージを与えるには至らない。

 だが、戦いの中では致命的と言えるほどに十分な隙を作り出すことができた。


「でえやあぁっ!」


 拳銃を持った研究員の脳天に≪无覇振動刀ブイブレード≫を叩きつける。


「もらっ――どえあっ!?」


 男の後ろで鉄パイプを振りかぶっていた別の研究員がいたが、背後からの一撃をくらって昏倒した。

 大きく迂回して襲い掛かった和代の≪楼燐回天鞭アールウィップ≫の振動球である。


「ちーちゃん一人ばかりにいい格好はさせられませんわ」


 片手でしがみつきながらだって、これくらいの援護はできる。

 和代は得意げにVサインを作って見せるが、なぜか千尋は俯いて顔を赤らめていた。


「あの……和代さん」

「何でしょう?」

「その、胸……」


 言われて初めて気づいた。

 やたらと柔らかい感触が左手の下にあった。

 片手を空けるために思いっきしがみついていたのは、千尋の……


「あっ、ご、ごめんなさい」

「い、いや、いいんだけどね? 今は一応大変な時だから、するなら帰ってから」

「帰ってからなら!?」

「あ、いや」

「いいのですか? 帰ったらやらせてくれるんですか?」

「あの、そうじゃなくて」

「約束ですからね! 絶対だからね!」

「ああもう、わかったから手を放して!」


 思いっきり頭を殴られた!


「いたいよ、ちーちゃん……」

「和代さんが変なことするからだよ! ……まったく、普段はあんなに素敵なのに」

「え?」

「なんでもない。さあ、行くよ!」


 再び深く背負い直すと、千尋は倒れる研究員たちを踏み越えて走り出した。

 なんだか和代は急に恥ずかしくなった。


「……ごめんなさい」

「いいってば。続きは帰ってからね」

「うん。ごめん」


 まだ、死ねない。

 私たちは絶対に生きて帰る。

 そしてこの街に平和と自由を取り戻すんだ。

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