9 裏切り

 破壊された無線機を投げ捨て、速海は憎しみを込めた眼で二宮を睨みつけた。


「まさか、お前が裏切り者だったとはな……」

「裏切り者とは心外だ。最初から技原なんかに忠誠を誓った覚えはない」


 技原と豪龍が旧校舎に入ってから、しばらく経ってからのこと。

 引き続き窓から外の様子を眺めていた速海は戦場に異変が起き始めていることに気付いた。


 豪龍組のメンバーがセカンドキッカーのメンバーに対して攻撃を加え始めたのだ。


 それだけならば予想の範疇であった。

 やはり豪龍は最初から裏切るつもりだったのだと。


 ところがそれだけでなく、セカンドキッカー内部においても同士討ちが起こっていた。

 グループ内にも多数の裏切り者が潜み、豪龍組と内通していたということだろう。

 速海がその事実に気づいた直後、豪龍の側近が背後から襲い掛かってきた。


 速海は敵の奇襲を難なくかわし、逆にあっさりと相手を拘束することに成功。

 そのまま技原に異変を知らせるため無線機を取り出したのだが……

 会話の途中で二宮に無線機を奪われ、床に叩きつけられ破壊されてしまった。


「旧校舎で孤立した技原はアリスに殺される。降伏しろ速海、今ならお前だけは許してもらえるよう豪龍に取りはからってやる。後ろ盾と一緒に豪龍組に入るんだ」

「誰がっ……!」


 速海は抵抗のつもりで豪龍の側近の頭を踏みつけた。


「ぐああ……!」


 苦しそうなうめき声が響く。

 しかし、二宮は気にした様子もない。


「大人しく従った方が身のためだぞ。俺は別にそいつがどうなろうが構わんが、お前は自分の友人を殺されたくないだろう?」


 二宮の背後、太田がもう一人の側近によってナイフを突き付けられている。

 首筋から血の筋がたらりと垂れて襟元へと伝っていた。


「ノ……ォ」

「や、やめろっ!」


 何の能力も持たず、Dリングも装備できない太田。

 彼には暴力に対して抵抗する手段を持っていない。


「言うこと、聞くから……」

「それでいい。熱血バカの技原はともかく、賢しいお前にはまだまだ利用価値がある」


 速海は脅しに屈服するしかない。

 二宮はニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。

 悔しさに歯を食いしばり、強く地面を睨みつける。


「速海、こんなやつのやつのことを聞く必要はないノ」


 速海は顔を上げた。

 太田の服の中から煙が吹き上がっている。

 煙は瞬く間に太田と背後の豪龍の側近を包み、教室中に充満した。


「ぐはっ! 目が、目がーっ!?」

「太田くん!? 何をやってるんだ!」

「早く行くノ。速海が行けばきっと技原を助けられるノ!」


 隠し持っていた発煙筒を使ったらしい。

 太田は速海にこの隙に逃げろと言う。


「ダメだ、太田君を残しては行けない!」


 叫んだ直後、速海は煙の中から出てきた手に胸倉を掴まれた。

 数歩後ろに押しやられ、勢いよく突き飛ばされる。

 廊下の壁に背中を強かにうちつけた。


「太田君!?」


 速海は教室に飛び込もうとした。

 しかし、見えない壁のようなものに阻まれ中に入れない。

 さらに奇妙なことに、これだけの煙が教室の外には一切漏れていない。


「こんなこともあろうかと教室に入った時点で細工をしておいたノ」

「なんだってこんなことを……」

「お前と技原はこれからの街に必要な人間なノ」

「畜生、どこにいやがるデブ野郎!」


 二宮の怒りの声が中から聞こえてきた。


「……ここで二人とも死ねば、それは単なる無駄死になノ。だからせめてお前だけは行くノ!」

「くそっ!」


 速海は見えない壁を殴りつけた。

 頬にはいつしか涙の滴が伝っている。


「さあ行くノ。この見えない壁はどうやったところであと一時間は消えないノ」

「くっ……」


 速海は涙を振り払った。

 こうなったら彼の気持ちを無駄にしてはいけない。

 友を逃がすために犠牲になるという、太田の崇高な思いを侮辱することになる。


「最後に一つ頼みがあるノ」

「あ、ああ、何でも言ってくれ!」

「ボキの研究室の棚の一番上に『JOYI』研究の経過が入ったCD-ROMがあるノ。それを速海が信頼できると思うやつに渡してくれなノ」

「わかった……!」

「頼むノ。お前たちの手で、このクソッタレな街をぶち壊してくれなノ」


 速海は知っていた。

 太田がこのL.N.T.を嫌っていたことを。

 若者たちを実験動物のように弄ぶラバース社を憎んでいたことを。

 不満を口にすることも憚られるような空気の中、彼が密かに全てを壊すための研究をしていたことを。


「太田君……さよなら」

「ああ。じゃあな、なノ」


 速海は教室に背を向けた。

 そして今度こそ走り出す。


 二宮の怒号を背に。

 親友の覚悟と想いを胸に。

 もう一人の親友を救うために。

 全力で。




   ※


 全身が軋むほどに痛い。

 技原の意識は激痛によって無理やり覚醒させられた。

 うっすらと瞼を開くと、雲ひとつない夕焼け空が目に飛び込んくる。


「俺はどうしてこんなところで寝ているんだ……?」


 呟いた直後、急激に記憶が蘇る。

 技原は慌てて体を起こした。


「ぐっ……!」


 アリスに刺された脇腹が悲鳴を上げる。

 立ちくらみで目の前が真っ暗になる。


「無理しない方がいい。応急手当はしたけど、死んでいてもおかしくない怪我をしてるんだ」

「速海……か?」


 必死に足を踏ん張り、視界が回復するのを待つ。

 チカチカと明滅する視界の中、技原は傍にいるらしい友人に問いかけた。


「戦いはどうなった? 豪龍は? アリスは?」


 脇腹を刺された後、技原が最後の力を振り絞って放った≪振動する拳バイブレーションフィスト≫は、確かにアリスに届いたはずだ。


 その時点で技原は逃亡を選択した。

 窓を割って外へ飛び出し、朦朧とする意識を必死で堪えながらがむしゃらに走った。


 その後はよく覚えていない。

 どうやらいつの間にか気を失っていたらしい。


 すでに太陽は西の山の向こうに沈みかけている。

 あれから少なくとも数時間は経っているだろう。


「すべて終わったよ。豪龍組の一人勝ちだ」

「なんだって……?」

「グループの中に裏切り者がいた。セカンドキッカーは内側からメチャクチャにされて壊滅。生き残ったメンバーもほとんどが豪龍組に吸収された」


 裏切り者だって?

 バカな、俺のグループは結束していたはずだ!


 だんだん視界が元に戻ってくる。

 ここは爆撃高校から少し離れた場所だ。

 高台の鉄塔の下の空き地に技原と速海はいた。


「豪龍は自分のグループを再編中だ。アリスは多分、今も旧校舎にいる。旧校舎の制圧は行われなかったがほとんどの女子はアリスから離反した。もうあそこにたいした勢力は残っていない」

「二宮は、太田は……?」

「二宮は裏切りの首謀者だった。悔しいが、後手に回って何もできなかった。太田は……」


 速海はそこで言葉を詰まらせた。

 つ……と彼の頬を涙が伝う。

 技原は理解してしまった。


 太田は死んだ。

 二宮の裏切りによって。

 豪龍の汚い策によって殺された!


「立派な最期だった。オレは親友として太田を誇りに思――」

「なぜ助けてやらなかった!?」


 技原は速海の胸倉を掴んだ。

 まるで、彼こそが太田の仇でもあるかのように。

 親友の言いがかりに対して、速海は涙を流したまま何も答えない。


「……くそっ!」


 掴んだ手を離し、技原は傷だらけの拳で地面を殴りつけた。

 そんな痛みも親友を失った心を紛らわすこともできない。


「オレは行くぜ」

「どこへ?」

「決まってるだろ。豪龍をぶっ殺しにだ」

「行っても殺されるだけだ」

「関係ない」


 豪龍組はセカンドキッカーと女子の残党を吸収してさらに大きく膨れ上がった。

 満身創痍の技原が一人で挑んだ所で、豪龍の元にたどり着くことすらできないだろう。


 だが、それがなんだと言うのだ。

 太田が死んだのはメンバーの裏切りを見抜けなかった自分の責任だ。

 たとえこの命に代えても、仇を討ってやらなければ、じゃなきゃ太田が報われない。


 技原は立ち上がって爆撃高校へ向かおうとする。

 しかし、そんな彼の前に強い決意の表情を浮かべた速海が立ち塞がった。


「行かせない。お前には太田の遺志を継いでもらう。自己満足の無駄死なんて絶対に許さない」

「太田の、遺志……?」


 速海は語った。

 太田が秘めていた想いを。

 この暴力が支配する狂った街を変えるため、彼もずっと戦っていたことを。


 技原はその話を黙って聞いた。

 すべて聞き終えると、その場で脱力して腰を落とした。


「わかった」


 暴発しかけていた気持ちが萎んでいく。

 代わりに深い悲しみが湧き上がり、そっと涙を流した。


 今の自分がやるべきこと。

 それは、豪龍を倒すことなんかじゃない。

 本当の意味で親友の仇を討つために、今はもっと強くならなければ。


 怒りはこれからの原動力として溜め込んでおこう。

 本当の敵は豪龍なんかよりも、もっとずっと強大な存在なのだ。


 沈む夕日を眺めながら、技原は新たな一歩を踏み出す決意を固めた。

 真っ赤な太陽が滲んで見えるのは涙のせいだけじゃなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る