第13話 欲望を継ぐ者

1 大地主の死

 世界の終わりがやってきたのだと思った。


 突然の爆発。

 崩れ落ちた建物。 


 ロープで縛られた少年は逃げることすら敵わない

 ただ黙って慌てふためく大人たちの背中を眺めていた。


 別にかまわない、と思った。

 どうせ生きていたって碌な事もない。


 産まれてすぐに親に捨てられ、拾われた修道院では虐待の毎日だった。

 自分に不思議な力があることが判明すると、よくわからない組織に売り飛ばされた。

 その施設では実験と称しては動物以下の扱いを受けた。


 少年にとって絶望だけが世界のすべてだった。

 世界も、自分の命も、すべてなくなって構わないと思った。


 静かに目を閉じて終焉を待つ。

 修道院の小間使い時代に刷り込まれたことを思い出す。

 死んだ後で天国とかいう素晴らしい場所に行けるのなら、これ以上の幸福はない。


 のしかかる瓦礫の重みも、体を焼く燃える炎の熱さも、最後の試練だと思えば怖くない。


 やがて、体からあらゆる苦痛が消失した。

 思ったような痛みはなかった。


 少年はゆっくりと瞳を開ける。

 彼の目に映ったのは天国ではなかった。

 さっきまでと変わらない、崩れかけた館の中である。


 違うのは圧し掛かっていた瓦礫が無くなっていたこと。

 それが真っ二つに割れ遠くへと放り投げられていたこと。

 そして袴姿の美しい女性が優しい瞳で少年を見ていたこと。


「よかった、無事だったわね」


 女性は艶やかな姿に不釣り合いな長刀を腰の鞘に収めた。

 代わりに懐から小さな黒い箱を取り出して独り言を始めた。


「こちら櫻木綾さくらぎあや。組織に拘束されていた異能者の少年を一名保護しました」

『よくやった。こちらも残党の掃討戦に入るから、部隊に帰還してくれ』


 小箱から男の声が聞こえてきた。

 あんな小さな箱に人が入っているのだろうか?

 少年は不思議に思ったが、急にやってきた激痛に考える余裕を失った。


「う、わあああああ……っ!」

「了解……っとすみません。少年が痛みを訴え始めました。治療のために通信を切ります」


 彼女は黒い箱を懐に収め、雪のように白く細い腕を少年に差し伸べた。


「大丈夫?」

「痛い、足が……」


 少年は足の痛みを訴えながら顔を上げた。

 その瞬間、思わず痛みも苦痛も忘れる。


 改めて見たその女性の容貌は、まるで天女のよう。

 この世の人とは思えないほどに美しかった。


 やはり自分は天国にいるのではないか?

 少年がそんな事を考えていると、彼女は優しく耳元で囁いた。


「張りつめていた気が切れたのね……大丈夫、怖がらないで。私はあなたを助けにきたのよ。もしよければ、あなたの名前を聞かせてもらえないかしら?」

「…………一志かずし


 掠れ声だが、少年はなんとか自分の名前を口にすることができた。

 ここではずっと「そこのガキ」とか「被検体四号」なんて名前で呼ばれていた。

 修道院でもめったに呼ばれることのなかった、顔も知らぬ母親がつけてくれたらしい名前。


「かずし君っていうの。素敵な名前ね」


 柔らかな手が少年の手を包む。

 その暖かさに思わず涙が流れる。


 この瞬間こそが少年にとっての本当の人生の始まりだった。




   ※


 古大路偉樹こおおじいさきは冷たくなった祖父の頬から手を放し、そっと棺桶を閉じた。

 街の三大権力者の一人である古大路一志こおおじかずしは突如その生を終えた。

 その死を悼んで明日はL.N.T.をあげての盛大な葬儀が執り行われる。


 民からは偏屈な頑固者として知られ、ラバースからは目の上のたんこぶとして疎まれた祖父。

 その死を本気で悲しんでいる人間なんて一人もいないだろう。

 もちろん、偉樹自身も含めてだ。


 それで当然だと偉樹は思う。

 欲望に溺れ、多くの人たちの人生を狂わせてきた男に相応しい末路だ。


 ただ、出来る事ならばこの手で命を奪ってやりたかった。

 それができなかったことだけが唯一の心残りである。


 偉樹は特殊なSHIP能力を持っていた。

 それは他人の記憶を追体験するというものである。

 祖父は家族に多くを語らなかったが、偉樹は夢を見るように何度も祖父の過去を見た。


 その中にはさっきのように美しい思い出もあった。

 祖父の前半生は苦難に満ちていたが、とても純真であった。


 ある時を境に祖父の人生は一八〇度転回する。

 奪われる者から与える者へ、そして奪う者へと変貌していった。


 古大路一志の後半生は、とても直視するに耐ないほどに薄汚れた人生だった。


 偉樹はL.N.T.で生まれ、一度も街から出たことがない。

 彼にとってはこの街が世界のすべてなのである。


 祖父の記憶に触れた偉樹はこの街の秘密を知っていた。

 L.N.T.が単なる山奥の新興都市ではないことを。


 電話が鳴った。


「このたびはお悔やみ申し上げます」


 電話先の相手は新生浩満しんせいひろみつ

 ラバース社の現社長で、この街を実質的に支配している男だ。

 月島つきしま博士から続く欲望の連鎖を、現在進行形で最も濃く受け継いでいる人物でもある。


 電話の用件は明日の葬儀の段取りであった。

 偉樹は適当に相槌を打って話を終え、叩きつけるように電話を切った。


 自分は呑み込まれない。

 欲望にも、それに囚われた人間の悪意にも。


 いつかはこの手ですべてを変えて見せる。

 偉樹は握りしめた拳を祖父の遺体に叩きつけた。




   ※


 月が明るい夜だった。


 ここはL.N.T.の最南部、留間るま地区と呼ばれる工場地帯。

 その一角が青い光によって染め上げられていた。


 街の開発のために建てられた工場群。

 現在はほどんど稼働しておらず、人が寄りつくこともない。


 そこに今、複数の人影があった。


 人気のない工場地帯が怖いのか。

 はたまた人の目に触れるのを恐れているのか。

 十人近い大所帯でありながら、彼らは何かに怯えるよう身を寄せ合っている。


「おい、本当にここであってるのかよ。誰もいないじゃないか」

「絶対に間違いない。今夜十二時に十二番倉庫って、何度も確認したんだからな」


 その中の一人が小声で尋ね、別の男が質問に答える。

 立ち位置から見て答えた男がこの集団のリーダーのようだ。


「確認するが、危険はないんだろうな? この辺りで以前、あの荏原恋歌えばられんか赤坂綺あかさかあやがやり合ったって話も聞いてるぞ。能力者同士の争いに巻き込まれるのはゴメンだぜ。甲原こうはらサンはともかく非能力者の俺たちは逃げることしかねえんだからな」

「能力者がなんだ。そんなものを恐れてどうする」


 甲原と呼ばれた男が険しい表情で仲間を睨みつける。

 臆病風に吹かれた者は要らない、そう訴えるように。


「何度も話し合ったはずだ。これから俺達がやろうとしていることを考えろ。覚悟のない者は邪魔なだけ。ここに来て気が変わったなどと言うのなら……」

「わかった、わかった! 俺はあんたを信じてる、もうつまらないことは言わねえよ」


 男は慌てて手を振って弁解をした。

 不気味な雰囲気にあてられ弱気になっただけ。

 彼だって相当の覚悟を秘めてこの場所に立っている。

 いまさら弱気になって仲間を裏切るような真似なんてしない。


 男が黙ると、再び工場の中に静寂が訪れた。


 リーダーの信用を失いたくないから誰も何も言わない。

 けれど、内心ではみんなが少なからず恐怖と不安を感じているのだ。

 無意味に歩き回ったり足元の石を蹴ったりして気を紛らわす者も出始めている。


 甲原は落ち着きのない仲間たちを注意しなかった。

 彼自身も焦りを感じているらしく、しきりに腕時計に視線を落としている。


 小一時間ほどの時が経った。

 やがて工場の入口あたりに人影が現れた。


「待たせたな」


 真っ黒なスーツを着こみ、サングラスをかけた男が三人。

 謝罪の言葉とは裏腹に、遅れたことに対して悪びれた様子は少しもない。

 甲原は待たせられたことに文句を言おうとしたが、彼らが持っているケースを見て押し黙った。


「約束のものだ」


 スーツの男たちは慎重に足もとにケースを置いた。

 甲原がそれに近付き、そっと蓋を開けて中身を確認する。


 約束通りの『モノ』をその眼で確認。

 彼は息を飲んだ。


「確認は済んだな? では、我々は行かせてもらう」

「待ってくれ」


 甲原は踵を返して立ち去ろうとする黒服たちを呼び止める。


「どうして俺たちにここまでしてくれる。あんたたちの望むものはなんだ」


 黒服たちが提供してくれた『モノ』は、決して気軽に手に入るものではない。

 甲原にとっては相応の代償を支払っても手に入れたかった物品である。

 それをタダで譲ってくれると聞いた時は耳を疑ったものだ。


 甲原の疑問に対し、黒服たちは表情一つ変えずにこう返した。


「お前たちが計画を成功させることが我々の利益に繋がる。これが答えでは不満か?」


 甲原は黙った。

 どうしたところで彼らの真意などわからない。

 しかし、彼らの素性を考えれば、自分たち以上に危険な橋を渡っていることは確実だ。


 つまりそれだけ自分たちの計画に価値があるのだ。


「余計な詮索はするな。我々も自分たちの身を守るのに必死なのだ、必要とあらばお前たちを『転校』させることも厭いはしないぞ」

「OKだ。ありがたく受け取っておくぜ」

「感謝の言葉はいらない。その代わり必ず成功させろ。我々の望みはそれだけだ」


 そう言い残し、今度こそ黒服たちは立ち去っていった。

 後に残されたのは甲原と彼が率いるグループメンバーたちだけ。


 彼らは残された『モノ』と責任の重さに、しばしその場を離れることも忘れて立ち竦んでいた。

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