23 闇空 -game over-

「へへ、へへへっ」 


 清次は笑っていた。

 全身が割れるように痛い。

 それでも笑わずにはいられなかった。


 L.N.T.に住む者たちすべての敵を……

 ラバース社長、新生浩満を倒したのだ。


 決め手は背後からの≪七星霊珠セブンジュエル≫の一撃である。

 五階の高さから落ちた時点で、清次は起き上がれるような状態じゃなかった。


 新生浩満が見ていたのは清次のJOYが見せた幻。

 誰が相手でも一度だけ強制的に効果を発揮するよう自由自在の夢心地フューチャードリーム≫が見せた幻覚である。


 時間停止能力に速度で挑んでも勝ち目はない。

 幻覚の中で挑発して、時間停止を無駄に使わせる。

 そして現実に戻った瞬間を狙って奇襲してやったのだ。


 浩満は自分の能力に自信があるのか、Dリングの守りは使用していなかった。

 まともな防御力を持っていない生身の人間相手なら一発で十分に致命傷である。


「へへ……痛ぇ」


 なんとか勝てたとはいえ、清次もボロボロだった。


 あの高さから落とされたのは流石に効いた。

 痛くて起き上がれないし、≪七星霊珠セブンジュエル≫を維持する気力も底をついた。

 香織たちをサポートするよう自律行動の命令を出した光球も今ごろは消失しているだろう。


「さて、これからどうするかな……」


 ビルの間から流れる雲を見上げながら清次は呟いた。

 指導者を失ったL.N.T.が今後どうなって行くのかはわからない。

 このまま無法地帯として存続するのか、はたまた代わりの誰かが指揮を執って実験は続くのか……


 そんなことを考えていると、


「おい、終わったみたいだぜ」


 近くのビルのドアから三人の男が姿を現す。


「うぉい、マジで社長をやっちまったのかよ!」

「あの荏原恋歌のJOYを使ってるだけあって流石にとんでもねえな」

「だが、もう動けないみたいだぜ。遠慮なくいただくとするか」


 男たちはニヤニヤ笑いながら清次に近づいてくる。

 彼らの狙いが彼の持っているJOYなのは明白だった。


「悪の黒幕を倒した英雄様に止めを刺すのはちっと気が引けるが」

「まあ、このL.N.T.は弱肉強食の街だしな」

「ち、ちくしょう……」


 清次は歯を食いしばった。

 逃げることも抵抗することもできそうにない。

 ラスボスを倒した後に出てきたザコ敵にやられるなんてまるで笑い話だ。


「そんじゃ、英雄様にはちょちょいとお休み頂きましょうかね」


 男の一人が手を掲げる。

 頭上に火の球が現れた。


 発火タイプのありふれた能力者だ。

 今の清次に止めを刺すのは十分な能力である。


「食らえっ!」


 男が火球を放り投げる。

 その攻撃は上空からの砲撃によってあっさりとかき消された。


「な……?」


 そう、まさに砲撃である。

 発射音も破壊音もない、謎の砲撃。

 火球を放った男が呆然とするほどの威力だ。


 それは攻撃をかき消しただけでなく、ペデストリアンデッキにドッヂボール大の穴を穿った


 砲撃の主が降りてきた。

 その男は背中にミス・スプリングを背負っている。

 清次はその姿を見るなり、体の痛みを忘れて大声で彼の名を呼んだ。


「空人!」


 ラバースに捕まっていたはずの、親友の名前を。




   ※


 突然現れた星野空人はこちらを振り向いて、薄く微笑みを浮かべた。

 真っ黒なレザージャケットを着こんだ姿は普段と印象が違う。

 だが、紛れもなく見慣れた友人である。


 空人は男たちに向き直った。


「star field――」


 小声で呟くと周囲がわずかに暗くなり、


「――sky――」


 闇が凝縮した拳を握りしめ、


「――attack」


 一歩だけ前進して、目の前の男を殴る。


「ぶげ!?」


 殴られた男はカタパルトで射出されたように吹き飛んだ。

 そのままビルの壁に激突して血と肉の塊になる。


「ひ、ひえっ!」

「何だコイツ、やべえよ!」


 残った二人は空人に背を向けて一目散に逃げていく。

 空人はそいつらを追いかけようとはしなかった。


 代わりに倒れたままの清次を見て、優しげな笑みを浮かべた。


「無事だったんだな」


 声を聞いて、目の前の親友が幻ではないと確信する。

 不覚にも涙がこぼれそうになった。


「お前の方こそ、よく無事でいやがったな。今までどこでなにやってたんだよ」

「ちょっと、な」

「歯切れが悪いな……まあいいさ、お前が無事だっただけで十分だよ。ってかその娘はどうしたんだ?」


 清次は空人が背負っているミス・スプリングについて尋ねた。

 空人がラバースに捕まっていたとしたら、彼女が解放したと考えるのが自然だろう。

 だが、気を失っているのはどういうわけだ?


「おい、どうした……?」


 空人は質問に答えない。

 彼は清次の後ろのある一点を見つめていた。

 それはラバース社長、清次が倒した新生浩満である。


「お前がやったのか?」

「あ、ああ。手ごわかったけどな。強制幻覚を使って――って、おい!」


 空人は背負っていたミス・スプリングを床に放り投げた。

 かなり強く背中を打ったが彼女は目を覚まさない。


「なんてことするんだよ! その娘はお前のために必死に――」


 清次は気づいた。

 ミス・スプリングが頭から血を流していることに。


 投げ捨てられた衝撃で出来た傷ではない。

 何かもっと、強烈な攻撃を食らって、ぱっくりと額が割れている。


 それだけではない。

 不思議な違和感があった。


 今の空人は何かが違う。

 妙に若々しいのだ。


 その姿は清次の知っている空人の姿ではあった。

 だが、記憶の最後に見た空人とは違う。


 彼は≪自由自在の夢心地フューチャードリーム≫の幻覚空間の中で長い時間を修行に費やした。

 精神は肉体にも影響を与え、十数年近くも歳を取ってしまったはずだ。


 だが、目の前の親友の姿はかつての若い星野空人の姿のままだった。


「お、おい。空人……?」


 もはや空人は清次の声に反応しない。

 倒れている浩満の傍にしゃがみ込んだ。


 そして、頭に手をかざして何かを呟いた。


「おい、起きろ」

「む……?」


 その言葉に反応して社長が目を覚ます。


「き、貴様! 何故ここにいる!」


 一瞬前まで気絶していたのが嘘のよう。

 社長は起き上がって空人の胸倉を掴み上げた。


 空人は冷静に、淡々と、説明をする。


「落ち着け。激しい動きは控えた方がいい」

「アリスはどうした。もちろん始末したんだろうな!」

「しくじった。途中でそいつの邪魔が入ったせいだ」


 空人は親指でぞんざいにミス・スプリングを指し示した。


「またあの女か……!」

「外周の森に逃げられたが深手は負わせた。今は武器もJOYも使えない状態のはずだ。適当に追手を差し向ければ、始末するなり捕えるなりも可能だろう」

「なぜ貴様がそのまま追わなかった!?」

「エネルギー切れだ。一旦研究所に戻った所で、お前の生命反応が著しく弱くなっていると聞いて、わざわざ助けに来てやったんだよ。それがなきゃ今ごろ追撃に加わってたさ」

「お、おい空人? なに言ってるんだよ、さっきから……」


 空人はまるで親しい友人と喋るように社長と会話を続けている。

 清次には今のこの状況がまったく理解できなかった。

 社長はこちらを見て歪んだ顔で高らかに笑う。


「ふははははっ! 残念だがこいつはもはや貴様の友人の星野空人ではない! 元の肉体から意識だけを書き換えた新型の戦士! ラバースのためだけに戦う兵士ウォーリア! その名も『HS』だよ!」

「じょ、冗談だよな……?」


 清次は愕然とした。

 空人が既にラバースの操り人形にされていたなんて。


 そんな悲しいことってあるかよ。

 あまりの絶望に顔を覆うが、


「違う」


 空人はきっぱりと言いきった。

 清次は再び顔を上げて再び前を見る。


「俺の名前は星野空人だ。それは昔も今も変わらない」

「なんだと?」

「空人……!」


 浩満が眉をしかめる。

 清次は希望に目を輝かせる。

 しかし、


「だが、それ以外は浩満の言う通りだ。ラバースのためだけに戦う兵士。それが今の俺だ」

「そんな……!」


 今度こそ清次は奈落の底に突き落とされた。

 社長が再び耳障りな笑い声をあげるが、もはや耳には入らない。


「気の毒だがこれが真実だ。さて内藤清次、貴様には僕に手を上げた罪を償ってもらうぞ! さあHS……いや、ウォーリア星野空人! こいつを殺せ!」

「断る」

「なんだと?」


 社長は空人の胸倉をつかみ上げる。


「僕の命令が聞けないのか!」

「落ち着けって言ってるだろう。死ぬぞ」


 空人は社長の頭に手刀を振り下ろす。


「が……!」

「大人しくしてろ。ショックで頭に血が上っているお前に代わって正しい判断をしてやってるんだよ」

「ぼ、僕に舐められたままでいろというのか! あんな奴に!」


 きっとこれがあいつの本性なのだろう。

 目覚めてから社長の態度はまるで子どものようだ。

 空人の言うように頭に血が上って余裕を失っているのである。


「そうだ。荏原恋歌の能力を使っていたとはいえ、清次は神器使いを倒すほどのJOY使いに成長した。廃棄するのは得策ではない。ラバースのためを思うなら俺と同じように洗脳して兵士にすべきだ」


 社長は眉を顰めて歯がみしていたが、やがて諦めたのか素直に頷いた。


「……確かにその通りかもしれん。わかった、そいつの意識を奪え」

「了解した」


 無表情で倒れている清次にかつての親友が歩み寄る。


「空人……」


 清次はもはや抵抗をする気力すら失っていた。

 ゆっくりとこちらに近づいてくる空人。

 その姿をただジッと眺めている。


「悪いな清次、どうやらゲームオーバーだ」


 傍にしゃがみ込んだ空人の手がそっと清次の額に触れる。


「俺もお前もラバースに敗北した。でも、これで全部が終わったわけじゃない。目が覚めたらまた親友だ……立場は違ってもな」


 そして清次は闇の中に落ちた。

 彼は二度と『自分』として目覚めることはなかった。

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