4 歪な恋人

 エイミーが去った後、彼女が残していった言葉に美紗子は苦笑する。

 隣に座っている綺はゆっくりと美紗子を振り返って尋ねた。


「あの……今のって、どういうことでしょうか?」

「たぶん、バレちゃってるみたいね。私たちの関係」


 あのわずかな時間で気づいたなら、流石はエイミーさんと言うべきだろうか。

 特に用はないと言ったが、実は美紗子はこれから綺と二人で遊びに出かけるつもりだった。


 綺は生徒会の期待の新人である。

 そして少し前から、美紗子にとって一番のパートナーになった。


 平たく言えば、今の二人は恋人同士なのである。


「あ、そうなんですか……」

「部屋を使っていいって言われたけど……どうする?」


 一応尋ねてみたものの、美紗子はもう限界である。

 エイミーと話をしている最中も、頭の中は綺とこれから過ごす時間のことをばかりを考えていた。


 誘って断られたらどうしよう。

 真面目な生徒会長の覆面の下は乙女そのものだ。


「えっと、それじゃ……」


 返事を待って、期待に目を輝かせる美紗子。

 綺はにこりと笑って美紗子にしな垂れかかる。


 と、おもむろに肩を突き飛ばされた。


「きゃっ」


 突然の暴力を受け、後ろ手をついて体を支える美紗子。

 綺は数秒前までとは別人のような冷たい目で美紗子を見ている。


「遠慮なくやらせてもらうわね、美紗子」

「あ、ああ……」


 見下されるような目つき。

 自分の名を呼び捨てにする年下の少女。

 美紗子は背筋がゾクゾクするのを感じた。


「あかさ……」


 彼女の名を口にしようとした瞬間、美紗子は唇を塞がれる。


「ん……っ」


 乱暴で強引なキス。

 綺の右手が美紗子の後頭部に回される。

 髪を強く引っ張られ、そのまま仰向けに倒された。


「痛っ……」

「んふふ、痛い?」


 綺が美紗子の体にのしかかる。

 腹部を膝で踏みつけられ、体重をかけられる。


「でも、美紗子は痛いのが好きなんでしょ?」

「あっううっ……」

「しっかり答えなさい」


 ばしん。

 綺の平手が美紗子の頬を打つ。


「はいぃっ……みさこは、痛いの好きでしゅぅ……」

「そう。いい子ね……」


 綺は乗せていた膝を浮かせると、握りしめた拳を美紗子の腹に叩きつける。


「いぎっ!」

「痛い? 嬉しい? ねえ、美紗子。痛めつけられて嬉しい?」

「はいぃ、嬉しいれしゅう……」

「美紗子は水学生徒たちの憧れの生徒会長なのにね。後輩に暴力を振るわれて、嬉しくなっちゃうんだ?」

「嬉しいれしゅ! あーやちゃんに痛いことされるの、大好きれしゅぅ!」

「そ。じゃあ、こんなことをされても?」


 綺は立ち上がると、美紗子の頭をグリグリと踏みつけた。

 後輩に踏みつけられて罵声を浴びせられるという屈辱。


 辱めを受けながらも、美紗子の心は喜びに打ち震えていた。

 その姿はいつもの凛とした生徒会長のものではない。

 他者に虐げられることを喜びとする、一匹のメスだった。


 普段は猫を被っているが、美紗子の内にはまぎれもない被虐趣向が潜んでいる。

 毎日の激務で疲れた心を癒してくれるのはこの退廃的な遊びだけ。

 そんな美紗子の趣向にばっちり適合したのが綺である。


 綺の暴力性が開花したのは生徒会に入ってから。

 それは美紗子が期待していた以上のものであった。


 他の生徒会役員たちと違い、美紗子のため無理してサディスティックに振る舞っているわけではない。

 普段の綺は生徒会長としての美紗子を心から尊敬してくれている。

 それが二人きりになると見事に豹変してしまう。


「今日はとことんまでやるからね。覚悟は良い?」

「はっ、はいぃ。お願いしまひゅ」


 特に指示をしなくても、綺は美紗子が望むことをしてくれる。

 綺の左手が美紗子の右手の小指を掴んだ。

 そのまま手の甲側へと折り曲げる。


「痛っ、いたいよ、あーやちゃんっ」


 与えられる痛みに美紗子は喜悦の表情を浮かべる。


「ふふ……」


 さらに綺は再び右膝を美紗子の腹に乗せ、ゆっくりと体重をかけていく。

 美紗子と綺の体重はほとんど変わらないとは言え、一点に重みをかかれば圧迫感はかなりのものだ。


「ぐげ、ぐぐ」


 苦しみの呻き声を上げる美紗子。

 首元に綺の右手が伸びる。

 締め上げられる。


「がっ……」

「変態」


 指を折り曲げる力が強くなる。


「役立たず。無責任。マゾ。盛ったメス豚」


 罵声を浴びせられながら、綺の責めはさらにきつくなる。

 美紗子は与えられる苦しさと痛みと屈辱の中で涙を流していた。


 ほとんど手の甲にまで届くほど折り曲げられた小指が軋みを上げても美紗子は笑っている。

 踏まれて圧迫された内臓が口から飛び出そうになる。

 それが嬉しくてたまらない。


 呼吸を封じられて意識が飛びそうになる。

 快感に打ち震える。


「がっ、あーや、ちゃ……さすがっ、に、くるひ……」


 綺は決して力を緩めない。

 涙で霞む視界の中、嗜虐的に笑う綺の顔を見た。


 瞬間、美紗子の表情から余裕が消えた。


「っ!?」


 のし掛かった綺をはねのける。

 美紗子は彼女から逃れるように距離を取った。


「がっ、がはっ! げほげほっ!」


 美紗子は『剛力』のSHIP能力者である。

 本気で力を振るえば綺の細腕などいくらでも振りほどける。


 そんな事をするつもりはなかった。

 だって、これは遊びだから。


 でもあの瞬間、美紗子は本気で殺されると思った。


「げっ、がはっ、ごほっ……!」


 解放された小指から激痛が走る。

 折れてはいないが、もう少し続けばどうなっていたかわからない。


 それよりも本気で締め上げられた喉が尋常ではなく苦しい。

 綺の責めは完全に遊びの範疇を超えていた。


 美紗子は涙を流しながら何度も咳き込んだ。


「みーさこっ」


 そんな美紗子の背中に綺がのし掛かってくる。

 体がビクンと震えた。


「変態マゾ豚ちゃんの美紗子。死ぬのが怖かったんだあ?」


 耳元に口を近づけ、吐息を吹きかけながら彼女は囁く。

 美紗子を壊す、一言を。




 ――ひとごろしのくせに。




「う……」


 体の奥から感情が溢れてくる。


 本気の死の恐怖。

 躊躇なく触れられたくない一線を越えられる。

 美紗子の表面を取り繕っていたものが、あっけなく剥がされてしまった。


「うわ……うわあああああん! わああああああん!」


 美紗子は泣いた。

 顔を上向け、ぐちゃぐちゃの顔で。

 そんな美紗子を綺は冗談のように優しく背中から抱きしめる。


「痛かったね。ごめんね、美紗子」

「わああん! わああああん!」


 美紗子は泣きじゃくる。

 叱られた子どものように。


「ころしたくて、やったわけじゃないよおおお! 私だって嫌だったのにいいいい!」

「わかってるよ。美紗子は優しいものね」

「なんでっ、私ばっかりっ、辛い思いしなきゃいけないのっ!? 本当は、ひっく、生徒会長なんて、やりたくないんだよおおおお!」

「嫌なら辞めても良いのよ?」

「やめられ、ないっ、よっ。私が、やめたらっ、ひっく、みんな、また酷いことになっちゃうっ、から」

「そうね。美紗子は頑張ってるものね」

「どうしてっ、みんな、仲良く、できないのっ。ケンカばっかりしたら、またっ、死んじゃうかもっ」


 美紗子は知らなかった。

 真面目な生徒会長としての顔だけじゃない。

 その内側の被虐的な趣向によって、二重に蓋をしていた自分の心を。


 罪悪感と責任感で押し潰されそうな心を、自分を痛めつけ、罰を与えることで誤魔化していただけ。


 辛い思いなんてしたくない。

 死ぬのも、殺すのも嫌だ。

 もちろん痛いのも嫌。


 綺はそんな美紗子の心の内の内を見抜いていたのだろうか?

 本人も自覚していなかった本音を、こんなふうに引きずり出してしまうなんて。


「ひっく、ひっくっ。つらいよお、あーやちゃあん……」

「大丈夫、大丈夫よ。美紗子の側にはいつも私がいるからね」


 綺は美紗子をその胸で抱き留める。

 美紗子は綺の胸の中で声を上げて泣き続けた。 

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