10 崩壊の日

「≪断罪の双剣カンビクター≫」


 美紗子がそのJOYの名を呟いた。

 ジョイストーンが彼女の手の中で姿を変える。


 重厚な鍔。

 禍々しい柄飾り。

 対照的にシンプルな銀色の刃渡り四十センチほどの刃。


 二振りの剣が両手に一本ずつ美紗子の手に収まった。

 美紗子は数秒前までとはまるで違う、恐ろしく冷たい目を甲原に向ける。


「手加減はできないから、死なないように祈ってね」


 甲原は生徒会長がJOY使いだなんて話は聞いたことがなかった。

 水瀬学園の生徒である以上、ジョイストーンを持っているのはおかしくない。


 だが、彼女がその力を秘密にしていたのは何故だ?


「なんでもいい……!」


 考える必要はない。

 どんな能力であろうと、この鉄壁の守りを破れるものか。

 甲原は小走りに駆け寄って来る美紗子から身を隠すように≪魔天使の翼デビルウイング≫を体の前で閉じた。


 翼の隙間から拳銃で狙いをつける。

 とにかく、最初の一撃を受け止めるんだ。

 そしたらゼロ距離から鉛玉をお見舞いしてやる。


 そのつもりだった。

 しかし。


 一閃。


 美紗子の振るった双剣は≪魔天使の翼デビルウイング≫の赤い翼を易々と切り裂いてしまった。


「バ、バカなぁ!?」


 斬られたのはJOYだけではなかった。

 手応えすらなく、拳銃が指ごと切断される。


「い、痛い! 痛い痛い痛いーっ!」


 甲原の腕と指先から血が噴出する。

 あまりの痛みに床に倒れのたうち回る。


「なんで! なんでだ!? 痛い! なんでー!?」


 ≪魔天使の翼デビルウイング≫は小銃の弾すら跳ね返したじゃないか。

 Dリングの守りよりも遥かに強度があるはず。

 それがどうして、こんなに痛いんだ。


「修復が済むまでしばらくJOYは使えなくなるけど、綺が悪いんだから我慢してね」


 生徒会長の意識はすでに甲原などには向いていなかった。

 美紗子は絶叫しながら転がりまわる甲原を飛び越え四階へと向かう。




   ※ 


 美紗子が四階奥の教室に到着したとき、すでに残っていたのはエイミーだけだった。

 どうやら人質たちは全員無事に脱出することができたようだ。


 ちなみに人質を殺すため四階に上がった女はすぐそこで気絶している。

 久しぶりに張り切ったエイミーがやっつけてくれたらしい。


「一件落着ですね」

「みんなに怪我がなくて本当に良かったよ。まあ、私はヤラれちゃったけどね」


 ハニートラップを仕掛けることで人質救出のチャンスを作ったエイミーが冗談のように言う。

 笑いごとじゃないと思うのだが、彼女にとってはたいした問題でもないらしい。

 体を張ったブラックジョークに美紗子は苦笑いするしかなかった。


 と、窓の外から声が聞こえてきた。


「美紗子さーん、こっちはやりましたわよー!」


 窓から顔を出して下を見る。

 神田和代が校舎横の広場で手を振っていた。


 隣には千尋もいる。

 付近には縄で縛られた男たちが転がっていた。

 どうやら残ったテロリストたちは後から駆けつけた彼女たちに捕縛されたらしい。


「一件落着、かな」

「ええ……」


 大変な事件だったが、一人の犠牲者もなく解決することができた。

 重症を追ったのはたぶん、指を切断された甲原くらいだろう。


 恐ろしい威力であらゆる物を切り裂く≪断罪の双剣カンビクター

 あまりの破壊力ゆえ、美紗子は余程のことがない限り己に使用を禁じている。

 今回は人質を助けるため仕方なかったとはいえ、やはり人を傷つけるのは気分の良いものではない。


 自分の手を険しい顔で見る美紗子。

 エイミーがそんな彼女の肩を叩いてくれた。


「私たちも帰ろっか」

「……そうですね」


 今は死者が出なかったことを喜ぼう。

 テロリストにはこれから厳しい尋問が待っているが……


「あ、ちょっと待ってください。下の階で眠ってる綺を起こしに――」


 ぱん、ぱん。


 乾いた音が響いた。

 美紗子は思わず息を呑む。


「今のは……?」


 軽快でありながら底冷えするような、感情を刺激する嫌な音。

 今日ここに辿り着くまでに何度も聞いた音に似てる。

 それは窓の外から聞こえていた。


「なんだろうね」


 エイミーが窓から外を見る。

 美紗子がそれに続こうとした時、廊下を走って来る複数の足音が聞こえた。


 廊下に出ると、複数の黒服の男たちがこちらへ走って来るのが見えた。

 彼らは美紗子に一瞥をくれると、手にした拳銃の引き金を躊躇なく引いた。


 倒れている立崎の体に三発の銃弾が撃ち込まれる。


「な、なにをするんですかっ!?」


 突然の乱入者の狼藉に美紗子は非難の声を上げた。

 黒服は銃を持ったまま手を挙げる。


「落ち着いてください! 我々は味方です!」

「味方ですって……?」

「ラバース社の者です。テロリストを処刑するためやってまいりました」

「処刑!?」


 立崎の体から夥しい血が流れている。

 すでに絶命していることは疑うべくもない。


「なんで撃ったんですか!? いくらなんでも殺す必要はないじゃないですか!」

「いいえ、彼らは死を持って償うべきなのです。それだけの罪を犯したのですから」


 アカネの月を名乗るテロリスト集団は多くの人を危険にさらし、街の存続すら危ぶませた。

 彼女たちは確かに凶悪犯であり、ルールに照らせば罰は免れない。

 でも、こんなやり方は納得できない。


「外も酷いよ。神田さんたちが抗議してる……」


 窓の外を見ていたエイミーが暗い声で言った。

 外で起こっていることは見なくても察することができた。

 この男の仲間が、和代たちに拘束されたテロリストを処刑したんだろう。


「どうせこうするなら、最初からあなた達が解決してくれればよかったのに」


 美紗子は精いっぱいの皮肉をこめて言った。

 黒服たちは動じない。


「最初から我々が動けばテロリストは人質に危害を加えたでしょう。奇襲を行うにはあなた方のような能力者の方が適任でした」

「そうやって私達が制圧した後で悠々とやってきて、あなた達自身は危険を冒すことなく安全に彼らを射殺して回ったわけね。甲原も……」

「首謀者の男ならまだ殺していません。後日、類似事件防止のため見せしめに公開処刑にする予定です」


 どこまでも気分が悪くなる話だった。

 彼らには……いや、このL.N.T.という街では、加害者に対する人権は一切認められていないようだ。


「理解して下さい。このようなふざけた事件を二度と起こさないためには必要な処置なのです」

「わかったわよ! 好きにしなさい!」


 美紗子は堪えきれずに怒鳴り声を上げた。

 この街にいる限り奇麗に生きることはできない。

 それはわかっている、わかってたつもりなのだが……


 運営に上手く利用され、冷徹な作戦に手を貸したという事実に、美紗子はやるせない気持ちになった


「下の階で倒れていた赤坂綺は我々の方で保護してあります。ご安心下さい」


 当たり前だ。

 もし間違って動けないままの彼女を撃っていたら、この場で切り刻んでやっていたところだ。


「……あなたが気に病む必要はありませんよ。悪いのはすべて、街の平和を脅かしたテロリスト共なのですから」


 美紗子は黙って黒服の横を通り過ぎる。

 もう彼らの言葉は聞きたくなかった。


 後味の悪い事件になってしまった

 それでも、これで事件は終わったと……


 そう美紗子は思っていた。 




   ※


 後日、甲原の処刑は滞りなく執行された。

 美紗子や和代は見世物のような処刑に反対を表明したが、街の運営からは無視された。


 大勢の住民たちが見守る中、千田中央駅で甲原は銃殺された。

 最期の言葉を残すことすら許されず、猿ぐつわを噛まされたまま、撃たれる直前まで彼は死の恐怖に泣きわめいていた。


 その様子は音声放送として街中にアナウンスされ、L.N.T.住人すべての知るところになった。


 この一件に関してラバースや運営のやり方に対して不満を持つ住民は多かった。

 美紗子たちだけでなく、一般生徒からも嫌悪の声が上がった。


 これでは逆に不信感を募らせるだけではないか?


 暴力に対して暴力で報いるやり方が正しいか。

 こんな対応をしていたら、いつ第二のテロリストが現れてもおかしくない。

 甲原に対する同情心ばかりではなく、明日は我が身かと運営に不信感を募らせる者もいるだろう。


 はたして、その予感は最悪な形で現れることになった。




   ※


 アカネの月の残党を名乗る一団が、わずか三日後に二度目のテロを起こしたのである。

 今回は人質も取られなかったのでテロ自体は運営の手ですぐに鎮圧された。


 だが彼らの引き起こした第二の事件は、とてつもなく大きな影響を街に及ぼすことになった。


 追い詰められたテロ集団は立てこもった施設ごと自爆したのである。

 その施設とは、極秘とされていた能力制御装置を管理している建物だった。


 未然に事件を防ぐことはできなかった。

 犯人たちの詳細は生徒会にすら伝えられなかった。


 水瀬学園西部の森林地帯に爆煙が立ち上る。

 ある者は恐怖と絶望を持って、ある者は歓喜と希望を持って、その光景を眺めていた。


 能力者という猛獣たちを縛る制御装置クサリは失われた。

 この日を境に、街の運営たちに暴走する能力者たちを止める力はなくなった――

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