7 古大路、死す

 古大路偉樹は手にしたカップを口元に近づけて紅茶を啜った。

 目広げた書類に目を通しながらパソコンのモニターを眺めている。

 現在、彼は今後の作戦を練っていた。


「どうぞ」


 カップの中身が空になると、すぐに給仕服姿の女生徒が新しい紅茶を運んできた。


 彼女は古大路の傍仕えのような存在の女である。

 能力者ではないので戦場では役に立たないが、何かと気が利く性格で、普段の生活においては重宝している。


 と言っても古大路は彼女の名前すら憶えていなかった。

 女性に一切の興味を持たない彼にとっては便利な雑用係でしかない。


 礼を言うことなくカップを受け取ると、古大路は再び画面に目を向けた。

 実の所、先日の平和派との戦いは大勝と言っていい結果だった。


 敵の本拠地である水瀬学園を壊滅。

 赤坂綺と速海駿也を除いた主だった能力者もほとんど葬った。

 こちら側の被害も甚大だったとはいえ、死者のほとんどは捨て駒同然の大人たちである。

 乱暴に言ってしまえば計画においてはなんら問題のない犠牲である。


 だが、それを差し引いても古大路の表情は晴れない。

 原因はやはり赤坂綺による大量虐殺である。


 犠牲が出るのは構わない。

 その数も厭わない。

 問題は虐殺を行った当人……赤坂綺が未だに健在であるという事実である。


 彼女の活躍は水瀬学園全焼という成果を帳消しにして余りある。

 純粋な暴力による圧倒的な求心力。

 あの女がいる限り、平和派の人間は決して希望を絶やさないだろう。

 そのことを古大路は嫌と言うほど思い知らされた。


 平和派は焼失した水瀬学園を捨て、建設中だった前線基地に本拠地を移した。

 しかも次なる自由派との決戦準備をしているという。

 あれだけの痛手を受けて諦めていないのだ。


 赤坂綺を倒さない限り、自由派に勝利は見えてこない。

 あの女だけは何があっても消さなくては。

 そう、どんな手を使っても――


「古大路様」


 給仕役の女が控えめな声をかけてくる。

 古大路はそれを黙殺した。


 どうせ「夕飯は何が良いですか」とかのくだらない質問だろう。

 以前にも彼女には作戦を練る邪魔をされたことがある。

 考え中は話しかけるなと怒鳴ってやったのに。

 どうやらまだ懲りていないらしい。


 他人との会話を挟むと絡まった糸を解くような思考が途切れてしまう。

 それを古大路はひどく嫌っているので、机の端を指先で叩いて機嫌の悪さを伝えようとした。


「古大路様」


 給仕役の女はそれに気づかないのか、なおも古大路の名を呼び続ける。

 次第にイライラが募り、椅子を回転させて女を怒鳴りつけようとすると、


 ガッ。


「え……?」


 頭部に重く硬い衝撃が走った。

 古大路は椅子から転げ落ち、血を流しながら床に転がった。


「おっ、お前のせいで……お前の無謀な作戦のせいで、私のお父さんはっ!」


 なんとか視線を上に向けると、給仕役の女は怒りに顔を歪め、両手に大きな斧を握りしめていた。

 考え事をする時は視界にちらつく光がうっとおしいのでDリングを身につけていない。

 若い女の攻撃とはいえ、完全に生身だった古大路にこの一撃は堪らなかった。


「偉そうに威張ってばっかりで、自分では何もしないくせにっ、なにが自由だっ、なにがみんなのためにだっ。死ねっ、お前なんか死んでしまえっ!」

「がっ、やめっ」


 激痛に意識を失いかけた古大路の頭の上に、何度も何度も斧の刃が打ちつけられる。

 自分の身に何が起こっているのかさえ古大路にはわからなかった。

 もはや作戦を考えるどころではない。


「やめろ、やめ、やめ」

「死ね、死ねしねシネ死ねしねシネしねぇっ!」


 繰り返し降り注ぐ斧の衝撃と憎しみの言葉。

 薄れゆく意識の中で古大路は思った。


 これが結末か。

 自由のない抑圧された人生を耐え忍んだ結果がこの終わりなら、何のために自分は生まれてきたのか。

 こんな事ならば初めから何もなかった方がマシだった。

 人生とは、なんてくだらないのだろう。




   ※


 紗枝は姿を消したまま校舎の中を走り回っていた。

 時々立ち止まって周りに人がいないことを確認して呟く。


「沙羅さん、みんな、いる?」


 数秒待つ。

 反応がないことを確かめて再び移動する。

 紗枝が探しているのは、赤坂綺直属の密偵たちである。


 その中の誰かが近くにいるのは間違いない。

 声さえ聞こえれば、たとえ姿を消していても見つけてくれる人たちだ。


 小石川香織は敵対する集団の真ん中で放り出した。

 それで紗枝の役目はほとんど終わりである。

 後は仲間と合流して水学へ戻るだけ……


『どこいくの、紗枝』

「……ちえり?」


 振り向くと、にこりと笑う金髪の少女のぬいぐるみが浮かんでいた。

 天使なのだろうか背中には小さな白い翼が生えている。


 もちろん人形が喋るはずがない。

 これは人形に意識を乗り移らせるちえりの能力だ。


『さっきの聞いてたよ。私たちを裏切ったのね』

「裏切ったも何も私は最初から水瀬学園生徒会四天王の一人だ」


 あの日、ちえりたちの手引きで水学を脱走した日。

 赤坂綺の非道さにショックを受けていたのは事実であった。

 しかし、それで生徒会を見限ろうなどとは全く考えていなかった。


 そこに勘違いした和代たちの誘いを受けた。

 紗枝はこれをチャンスだと思った。


 第三勢力のスパイとして活動していることは沙羅に伝えてある。

 その後もたびたび連絡を取り合っては生徒会に情報を流していた。


 たいした力も持っていない紗枝だが、自分にできる最大限のことをしたいと思った。

 内側から生徒会を変えるのではなく、敵の中に入って工作し、少しでも早く終戦に尽力する。


 そうすればきっと綺さんも昔みたいに戻ってくれる。

 美紗子お姉ちゃんもラバースに蘇らせてもらえる。


『……あんたに声をかけるよう神田さんにお願いしたのは失敗だった。私のミスだ』

「おかげでいろいろ助かったよ。ありがとう」


 人形の表情は変わらない。

 けれど、ちえりが怒っているのは声のトーンでわかる。

 彼女に裏切りがバレたのは意外だったが、ぬいぐるみの体で何ができるわけでもない。


 所詮、偵察用の能力だ。

 紗枝は黙って横を通り過ぎようとする。

 すると人形はぐるりと前方に回って進路を妨害した。


「どいて」

『どかない』


 紗枝は拳を握りしめる。


『どかないと壊すよ』

「やってみなよ」


 紗枝は目の前の人形を殴りつけた。

 これはちえりの意識を憑依させているだけの操り人形。

 本人にもなんらかの影響が出るかもしれないが、友人を殴るほどに心は痛まない。


 だが、紗枝は人形を壊すことができなかった。

 拳がぶつかる直前で見えない壁のようなものに防がれたのだ。


 紗枝は姉の美紗子と同じ剛力のSHIP能力に目覚めている。

 全力で殴れば拳で岩だって砕くことも可能である。

 その攻撃が止められるとは、まさか――


「っ!?」


 考えがまとまるより早く、人形が紗枝の背後に回った。


 この機動力。

 そして防御力。


 笑顔を張り付けたまま動かない人形。

 小さな翼だけが生き物のように動いている。


「まさか、エンジェルタイプの能力!?」


 赤坂綺。

 ミス・スプリング。

 そして、ミイ=ヘルサード。

 この三人はみな、共通して翼の形をしたJOYを使う。


 小さな違いこそあるが絶対防御と高機動力を備えている点では同じである。

 それらはエンジェルタイプと呼ばれ、極めてレアで、とてつもなく強力なJOYだ。


 ちえりも……形こそ他の三人と大きく異なるが……エンジェルタイプの使い手だというのか?


『私のJOYはかなり限定的で他の人たちに比べるとすごく弱いけど』


 人形は紗枝を小馬鹿にするように彼女の周囲を飛びまわっている。

 叩き落とそうと拳を振るが目で追うだけで精一杯だ。


 攻撃がまったく当たらない。

 当てたとしても、さっきのように防がれる。


「バカにして! なんで攻撃してこないの!?」

『いま言った通りだよ。私の能力は弱いから。……っていうか、攻撃方法がないの。あるのは防御力と機動力だけ。でも、こうして時間を稼げば、そのうち誰かがやってくる。ここがどこだか忘れた?』


 紗枝は敵地にいる。

 周囲はフリーダムゲイナーズの人間ばかり。

 生徒会で四天王と呼ばれた紗枝が彼らに見つかればただでは済まないだろう。

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