5 再戦・赤坂綺VS荏原恋歌

 古大路偉樹の遣いがエンプレスにやって来たのは、和睦の申し入れのためではなかった。


 新しいチームを設立した事の宣言。

 彼の下に深川花子とフェアリーキャッツの残党が合流したという情報の提供。


 エンプレスに対するけん制だろうが、そんなことは恋歌にはどうでもよかった。


 彼ら『フリーダムゲイナーズ』と名乗る新勢力は水瀬学園生徒会を打倒するため、エンプレスに対して一時的な同盟を持ち掛けてきた。


 と言っても手を取り合って戦うわけではない。

 あちら側が一方的に情報をエンプレスに流すだけ。

 その見返りとして一芝居打って欲しいというものだった。


 たとえ共通の敵があろうと、恋歌は他者に利用されることを嫌う。

 だが敵が水学生徒会ならば話は別だった。


「久しぶりね。赤坂綺」


 恋歌はブロック塀の上から長い黒髪の少女を見下ろした。

 視界には紗枝どころか美紗子すらも映っていない。


 かつて、ただの一人だけ自分を苦しめた女。

 この女との再戦の機会を得ることは、街の支配にも匹敵する大願である。


 そのため恋歌はあえて偉樹の話に乗った。

 もちろん、何もかもあの男の思う通り動いてやる義理はない。

 作戦では待ち構えさせた主力部隊で侵入者を取り囲む手はずだったが、恋歌は独断で自ら赤坂綺の前に姿を現した。


 ふわり。

 恋歌の体が宙に浮く。

 壁から飛び降り、軽い音を響かせて地面に着地する。

 目の前の三人が身構える。


「赤坂綺以外は興味ないわ。見逃してあげるからさっさと消えなさい」


 他の二人はどうでもいい。

 恋歌の標的はあくまで赤坂綺ただ一人だ。


 この三人が何を考えてエンプレスの本拠地に乗り込んで来たのかは知らない。

 だが、留守番部隊しか残っていない家を荒らされたところでたいした痛みにもなるまい。


 欲しいものがあるならくれてやる。

 その代わり、赤坂綺の命は確実にもらう。


「ふ、ふざけないで。私たち三人を相手にして逃げられるとでも――」


 恋歌は文句を言おうとした麻布紗枝を睨みつけた。

 それだけで少女は腰を抜かしてへたり込んでしまう。


「邪魔よ」

「ひっ……」


 紗枝は何かを言おうと口をパクパクさせている。

 瞳にはじんわりと涙も浮かんでいた。


「美紗子さん、紗枝ちゃんを連れて先に行ってください」


 赤坂綺は恋歌に視線を向けたまま言った。


「あの人の狙いは私です。ここは私に任せて」

「赤坂さん……」


 水学生徒会長の麻布美紗子。

 彼女も戦十乙女の一人に数えられる強者である。

 こいつが本拠地内で暴れたら、少なくない被害が出ることだろう。


 だが構わない。

 崩れてもまた立て直せばいい。

 荏原恋歌がいま望むのは赤坂綺との決着のみだ。


「わかったわ……けど、忘れないで。さっき綺が自分で言ったこと、あれはあなた自身にも言えることなんだからね」


 赤坂綺は黙って頷いた。

 無言の返事を受けると、美紗子は紗枝を抱えて校舎の方へと走って行った。


「挑発に乗ってくれて助かったわ。三人がかりで来られたら面倒だったもの」

「そうしたらあなたは紗枝ちゃんを狙う」


 赤坂綺が再びこちらを向いた。

 表面上は平静を装っていても、内面は燃えるような闘志がわき上がっている。


 恋歌は背筋がゾクゾクするような感覚を味わった。

 自らの体が震えているのを感じる。


 ついにこの時が来たという喜び。

 強大な敵を前にした戦闘者の高揚感。

 そして、わずかな恐怖が体中を駆け巡る。


 恋歌は知らずのうちに口元を緩めていた。

 やはり、この女はいい。

 多少の犠牲を払っても決着をつける価値がある。


「今日こそ殺してあげるわ、赤坂ァ!」

「私は負けないし、美紗子さんたちの邪魔もさせない!」


 二人は同時にジョイストーンを取り出した。




   ※


 紗枝のJOY≪不可視の夢ライヤードリーム≫は確実な効果を表していた。


「隅々まで探せ! 隠れられるはずがないんだ!」


 目の前をエンプレスのメンバーたちが駆けていく。

 すぐ傍を通っているのに、壁に張り付いて移動している美紗子たちに気づかない。


 美紗子は紗枝と繋いだ手に力を込める。

 無言で「上手くいったわね」と意思を伝えた。


 ≪不可視の夢ライヤードリーム≫は能力者本人と触れた者の姿を透明にする能力である。

 直接的な戦闘力はないが、使い方次第ではすさまじく便利な能力だ。


 しかし、この能力は術者が立てる音や微妙な気配までは消すことができない。

 注意深く観察すれば『透明な何か』がいることはバレてしまう。


 しかも強力な能力者ほどこの違和感に気づきやすいらしく、紗枝がイタズラをするつもりで使っても、綺や美紗子ならば普通に見破ることができてしまう。


 おそらくは荏原恋歌にも通用しなかったことだろう。

 だから、これだけ便利な能力があっても彼女がいない時を狙うしかなかった。


 今日まで紗枝は生徒会以外の誰にも自分の能力を見せていない。

 透明になる能力の存在を知らなければ、何もない空間を注意深く観察する人間はいないだろう。


 綺に恋歌を引きつけてもらっている今がチャンスだ。

 まずは校舎内に侵入することに成功した。


 予定よりやり辛くなったが、このまま≪白命剣アメノツルギ≫を探す作戦は続行だ。

 外で時間を稼いでくれている綺のためにも一刻も早く目的を達成したい。


 美紗子と紗枝は慎重に校舎の中を探しまわった。

 近くに人がいる時は特に注意を払い、怪しそうな部屋は誰もいないときを見計らって中に入る。


 慎重に、かつ迅速に。

 精神をすり減らしながら二人は敵地の中を歩き回った。


 ふと美紗子は違和感に気づいた。

 古大路偉樹の新チームに対する襲撃が誤報だったのはいい。

 しかし、あのタイミングで恋歌が待ち構えていたのはどういうわけだ?

 

 三人が来ることを知っていたような態度だった。

 まさか事前に計画が漏洩していたのだろうか?


 そしてもう一つの気がかり。

 それは校舎内に残っているメンバーの少なさだ。


 荏原恋歌が残っている以上、襲撃は誤報か、あってもかなり小規模だったのだろう。

 エンプレスの半数以上を率いて行動の指揮をとれる人間など荏原恋歌以外にいないはずだ。


 メンバーの大部分は今もどこかへ出ている。

 一体、どこに行っているのだろうか。


 思考を巡らせていると、紗枝がふと繋いだ手に力を込めた。


 四階の一室。

 その入口に不自然に突っ立っている二人の生徒がいる。


 見るからに怪しい。

 彼らのリーダーである荏原恋歌は外にいる。

 大将の護衛ではない、見張りを立たせるほど重要な何かがあるのだ。


 あの中へ入ってみよう。

 美紗子は手に力を込めて無言の返事をした。


 見張りはドアの前で直立不動の姿勢を崩さない。

 都合よく誰かが出入りしてくれればいいのだが、そうでなければいなくなるまで待つしかない。


 そんな時間の余裕はない。

 綺は外で強敵と戦っているのだ。

 覚悟を決め、美紗子は紗枝を引っ張るように前に出た。


 見張りの前に立ち、すばやく手を伸ばす。


「んがっ!?」


 美紗子の手が見張りの片割れの首を掴む。

 瞬間、美紗子の体に色が戻った。


「ごめんなさいね」


 見張りは美紗子の姿を一秒と見ることがなかった。

 掴んだ瞬間、力任せに床に引き倒す。


「て――」

「せいっ!」


 異変に気づいたもう一人が声を上げるより速く、電光石火の後ろ回し蹴りを顔面に叩き込む。

 声もあげずに昏倒した二人を横目に美紗子は紗枝の手をとって素早く部屋の中へ入った。


「お姉ちゃん、すごーい!」

「お世辞はいいから。ジョイストーンを探すのよ」


 妹をたしなめ、美紗子はガラクタの散乱する室内を見渡した。

 奥にソファが向かい合って置いてある以外は単なる物置部屋にしか見えない。

 だが何もない部屋の前に見張りを立たせておく道理はない。


「あ、あれ!」


 紗枝が窓の縁を指差した。


 真っ白に光る宝石。

 間違いなくジョイストーンだ

 しかも美紗子にはそれが一目で普通とは違うとわかった。


 おそらく、あれは≪白命剣アメノツルギ≫の能力を持つジョイストーンだ。

 あれをエイミーに届ければ、彼女の言葉でヘルサードの遺志を語ることができる。

 無意味な戦乱も終わる……かもしれない。


 いや、本当の戦いはこれからか。

 血を流すことのない、長く苦しい話し合いの日々が始まる。


 美紗子たちにとっては今まで以上に辛い戦いになるかもしれない。

 けれ、ど平和に向けての着実な一歩が始まるのだ。


 喜びと不安。

 安堵と新たな決意。

 美紗子は新しい時代へのカギへと駆け寄った。


 なぜか窓際という不自然な場所に無造作に置かれていたジョイストーンに。


 手を伸ばした瞬間、真っ白な光と衝撃が美紗子の体を包んだ。

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