3 深川花子の昼の顔
太陽の光が降り注ぐ青空を白魚の群れのような無数の雲が流れていく。
ひと月前と比べてずいぶんと風も温かくなった。
草の香りに身を浸しながら、深川花子は川べりの土手に寝転がっていた。
ぼーっとしながら、形を変えていく雲の形をただ眺める。
オーブとの決戦の翌日である。
昨日は明け方近くまで楽しんでいたため、眠気はどうしようもないほどあるのだが、登校前のこの時間は花子にとって欠かすことのできない安らぎタイムであった。
退屈な授業を受ける前に朝一番の風をこの身で感じる。
そうすることで昨晩の極限まで熱された心身に落ち着きを取り戻すことができるのだ。
「花子ーっ」
遠くから女の声が聞こえてくる。
首を動かして横を向くと、大森真利子を先頭に四人の女生徒たちがこちらに駆け寄ってきた。
いずれもフェアリーキャッツの主要メンバーである。
「おはよ」
「もに」
「相変わらず早いね、ギリギリまで寝てればいいのに」
「大丈夫。授業中に寝てるから」
「そんなんだから、いっつも赤点ギリギリなんだよ」
「うるさいなあ」
ふくれっ面になる花子を見てメンバーの少女たちが笑う。
つられて花子も笑った。
その顔に夜叉か淫魔のごとき昨晩の面影はかけらも残っていない。
「よっと」
勢いをつけて起き上がった花子は制服についた草を払うと、仲間たちと肩を並べて学校へと向かった。
この無邪気な姿が昼間の花子の素顔である。
モットーは『みんなで仲良く楽しく』、主従の関係など望まない。
真利子たちも昼間の花子に対してはリーダーとしてではなく、単なる友人の一人として接している。
昼と夜、公と私をはっきりと分けることで、グループメンバーたちはより深い結束を結ぶのだ。
※
登校途中、昨晩傘下に入ったばかりのオーブメンバーの女生徒と出会った。
「ふっ、深川さん、おはようございます!」
「昨晩の寛大な処置、感謝の言葉もありません! 今日から身を粉にして深川さんのため、フェアリーキャッツのために働くと――」
「あー、そういうのはいいから。これからは仲間なんだしさ、もっと気楽にいこう」
「は……?」
彼女たちにとってはあまりに意外だったのだろう。
花子の言葉の意味が理解できず、口を開いたまま黙ってしまった。
「おカタいのは抜きってことで。抗争の時以外はあたしに従う必要ないから。なんか思ったことあったら遠慮なくゆってきていいからね」
「は、はあ……」
「じゃ、これからよろしくね」
直立姿勢のまま固まってしまう元オーブメンバーたちの肩を叩いて花子は先を急いだ。
「そういうことだから。これまでとは勝手が違うだろうけど、すぐに慣れるよ」
前を歩く花子に代わって真利子がフォローを入れる。
「それからあんたたちの元リーダーとその彼女、もうちょっと教育したら解放してあげるから、心配しなくていいよ」
続いた言葉は逆に彼女たちの肝を冷やしたようだが、花子にとってはどうでもいいことだ。
よほど気に入った相手でもない限り一度遊んだ男に興味はない。
左側には生い茂る木々とレンガの壁。
水瀬学園の裏門へ続く道を少女たちが歩いている。
太陽の下の彼女たちは、どこにでもいる普通の女子学生と変わりなかった。
※
遅寝早起きが基本の花子は予定通り午前中の授業をすべて睡眠時間に当てた。
一時間目の始まりからずっと同じ姿勢で机に突っ伏す花子を、もはや教師たちも咎めはしない。
どうせ寝ているなら学校に来なくても同じかもしれない。
だが、今や夜の街の最大勢力となったチームを束ねる少女は意外にも学校が好きなのだ。
せっかくみんなと共に過ごせる時間に家でサボるのはもったいない。
起きている時は授業中も積極的に発言するし、的外れな回答で教室の笑いを取ったりもする。
深読みする生徒の中には彼女が朝からずっと爆睡している理由に察しがつく者もいた。
昨晩、フェアリーキャッツがグループとして活動を行ったということに。
昼間はクラスのムードメーカー。
でも夜の街では指折りの有力者。
わざわざ鬼を起こすようなマネは誰もしたくない。
四時間目の終了を告げるチャイムが鳴ると同時に花子は跳ね起きた。
授業を区切りのいい所まで行うつもりだった教師は何事かと身構えたが……、
「ごはんの時間だ!」
花子の子供みたいなセリフに教室中が爆笑の渦に包まれる。
「ふ、深川さん。まだ説明の途中なので、あと三十秒ほど待ってもらえないかしら?」
「あ……ごめんなさい」
教師がぷるぷる震えながら軽くたしなめると、花子はしゅんとして素直に謝った。
そんなやり取りがさらにクラスの笑いを誘う。
「はぁ、もういいわ。続きは次回にしましょう。誰かさんはよっぽどお腹が空いているようですからね」
「へへ……ありがと、先生」
溜息をつき、けれどあまり怒った様子もなく、教師は授業を切り上げて教室から出て行った。
特に含むところがあるわけではない。
あっけらかんとした花子の態度に怒る気が失せてしまっただけである。
※
「食堂! はやく食堂に行こう真利子!」
「はいはい。ノートをまとめ終わるまでちょっと待ってね」
「ノートなんかいいから、早くごはん食べないとあたしもう死にそう!」
「花子が死んだら喜ぶ人いっぱいいそうね。慈善活動してみようかしら」
「ひどいことゆう」
真利子の毒舌にはクラスメートたちも慣れたものだが、流石に昼間とはいえ花子相手にこんなことを言えるのは彼女くらいものである。
昨晩の行動を見てもわかるように、夜の真利子は忠実な副官役をしっかり務めている。
昼夜を問わずいい意味で豪快かつ大胆な花子の補佐役なのだ。
真利子がノートをまとめ終わるのを待って教室を出る。
そのタイミングで突然の放送が入った。
『二年A組の深川花子さん。至急、生徒会室まで来てください。生徒会長から話があります』
「えー」
瞬間、真利子を含むクラス内の数名に緊張の色が走った。
顔色を変えたのは、みな昨晩の事件の当事者。
つまりフェアリーキャッツのメンバーたちである。
「あちゃあ。食堂行きたかったのになあ」
呼び出された当の花子はさして動揺した様子もなく、ただ残念そうにそう言った。
「花子さん」
真利子が副官モードの顔になる。
「昨日の一件が麻布の耳に入ったのでしょうか」
「たぶん、そうじゃない?」
「万が一に備えて私たちもお供します」
ぞろぞろとフェアリーキャッツのメンバーが集まって来た。
今朝、土手まで花子を迎えにきた四人である。
彼女たちは結成当時からの初期メンバーで花子の信頼も特に厚い。
水学の生徒会と言えば学生が運営する最大の権力機関。
夜の治安維持組織の最たるものである。
夜の住人たちにとってはライバルチーム以上に厄介な存在であった。
特に武勇で知られる生徒会長の
ある意味で、敵地に単身で乗り込むのと変わりない状況。
真利子たちが危機感を抱くのは当然と言えた。
しかし。
「いいっていいって、それより先に行って席とっといてよ。あたしもすぐに行くからさ」
「ですが……」
「大丈夫だって。いきなり取って食われたりはしないから」
花子は心配する仲間たちをよそに、ひらひらと手を振って一人で生徒会室へと向った。
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