4 平和派

 神田和代は水瀬学園にやって来ていた。

 敷地内に足を踏み入れた瞬間、何とも言えぬ嫌悪感を覚えた。


 かつてこの学び舎に通っていたことなど遠い昔の記憶。

 自分の意思で美女学へ転校し、やがて良き友人との交流の場となった。

 転校後も何度か訪れたが、いずれの時も今のような感情が湧き上がることはなかった。


 それはきっと、自分の心境がどう変わろうと、この場所は変わらなかったからだと思う。


 懐かしい故郷に帰ってきたような気分にさせる『水瀬学園らしさ』というもの。

 それが今や、見る影もなく変わってしまったのを肌で感じたのだった。


「ようこそ神田和代さま。お待ちしておりました」


 正門から続く坂を上り切った場所に出迎えの人物がいた。


 特徴の捉えづらい平凡な顔の少女だ。

 日本人形のように奇麗に切りそろえられた平坦で真っ黒な髪。

 胸の徽章は彼女が生徒会の役員であることを示していたが、見覚えのない顔だった。


「美女学生徒会長の神田和代ですわ」

「足立美樹と申します。生徒会室までご案内いたします」

「案内なんていりません。第一校舎の場所ならよく存じています」

「いいえ、せっかく新三帝の神田さまが協力を申し出てくれたんですもの。粗相があってはいけませんから」


 和代は内心で舌打ちをした。

 協力を申し出たなんて、脅迫しておいてよく言う。

 もう少し屈するのが遅ければ美隷女学院に攻め込むつもりだったくせに。


 小石川香織が荏原恋歌を倒したその日。

 和代は仲間たちを香織の援護に回し、たった一人で美麗女学院に攻め込んだ。


 単騎突入した和代はエンプレスの居残り組を全滅させ、美隷女学院の奪還に成功。

 その獅子奮迅の活躍から赤坂綺や小石川香織と共に『新三帝』の称号で呼ばれるようになった。


 以来、解散したエンプレスから流れてきた戦力を集め、美女学で一定の勢力を保ちつつ、事態の推移を静観していたのだった。


 しかし、フリーダムゲイナーズが活動を開始。

 街が自由派と平和派に分かれてから、水学生徒会の協力要請は日増しに強くなっていった。


 平和を維持するという目的は水学生徒会も美女学生徒会も同様。

 前々から手を取り合おうと打診されていたのだが、和代は今の水学生徒会が嫌いだった。


 新生徒会長の赤坂綺。

 あの女は積極的に武力を行使することで、地に落ちていた水学生徒会の威信を取り戻した。


 彼女の過激な方策が争いを拡大させているのは火を見るより明らかである。

 麻布美紗子なら絶対にこんな短絡的で愚かな方策は取らなかった。


「でも本当によかったです。両校の生徒会が手を取り合えば、すぐに平和が実現できますよ」


 前を歩く美樹はずっとひとりで喋り続けている。

 煩わしいと思ったが和代は黙って後に従った。


「そもそも自由のために暴動を起こすなんて頭がおかしくなったとしか思えません。街を混乱させているのが自分たちだって、どうして気づかないんでしょうね? みんながみんな手を取り合えば憎しみなんて簡単に克服できるはずなのに」

「そう簡単にはいかないから苦労してるんでしょう」


 答えるつもりはなかったが、美樹の独善的な奇麗ごとが耳に障って思わず反論してしまう。

 歩きながらこちらを振り向いた美樹は人畜無害そうな笑みを浮かべていた。


「ええ。人にはそれぞれ異なる意見がありますもの、当然ですよね。けど時間をかけて話し合えばきっと彼らもわかってくれますよ。この先ちょっとした衝突もあるかもしれませんけど、神田さまが綺ちゃんの考えに賛同してくれたように、いつかはL.N.T.の意思も一つになることができるはずです」

「別に私は赤坂さんに賛同したわけではありませんわ。美女学の生徒会長として――」

「ダメよ」


 急に声のトーンを低くした美樹。

 和代は横を向いていた顔を前に戻した。


 美樹は薄ら寒い笑顔を浮かべていた。

 瞳は意思の感じられない妖しげな色を浮かべている。


「神田さんは綺ちゃんの言ってることが正しいってわかってますよね? その上で協力してくれるんですよね? だからもう、私たちに賛同してくれた同志なんです。仲間なんです。仲間なんだから足を引っ張るようなことはしないですよね。私たちの目的を邪魔すればそれは裏切りです。裏切りはダメなんですよ。綺ちゃんを裏切るようなゲボ野郎なんてこの世に存在しちゃいけないですから」


 この女は正気じゃない。

 和代はハッキリとそれを理解した。


 エンプレスや豪龍組との苛烈な戦い。

 その過程において水学生徒会はすでに何人もの死者を出している。

 一年前までは普通に学園生活を送っていた少女たちが、繰り返される惨劇を目の当たりにして、まともでいられるわけはないのだ。


 それほどの辛苦に耐えて、精神を壊してまで、彼女たちは何を目指そうとしているのか。


「綺ちゃんはすごい立派なリーダーなんですよ。神田さまも綺ちゃんの言うことに従ってれば間違いないんです。私たちがやっちゃいけないのは綺ちゃんに逆らうことと、綺ちゃんを怒らせること。本当にそれだけ。前の生徒会長だってそう。もっと綺ちゃんの言うことを聞いていれば死ななくて済んだかもしれないのに。本当にバカな女ですよね。きっと天罰が下っ……」

「それ以上一言でも美紗子さんのことを悪く行ってごらんなさい。そのこけしみたいな頭をかち割って脳みそをぶちまけてやりますわ」

「私のことを悪く言うのは構いませんけど、綺ちゃんとは仲良くしてくださいね」


 女は少しも表情を崩さない。

 こいつは今のうちに殺しておいた方がいいかもしれない。

 半分本気でそんなことを考えながら、和代は必死に平静を装って歩き続けた。



   ※


 案内された部屋に入るなり、奇妙な別世界に入り込んだような錯覚を味わった。


 部屋の中には五人の人間がいた。

 そのうち一人はよく知っている人物である。

 水学の生徒でありながら、和代の無二の友人である四谷千尋だ。


「和代さん……」


 助けを求めるような不安げな顔を向ける千尋。

 彼女以外の四人が、まったく異様だった。


 赤、青、緑、ピンク。


 千尋を除く四人の髪の色である。

 何かの冗談みたいなカラフル頭の集団。

 だが、この部屋は間違いなく生徒会室だった。


 部屋の中を見回してみる。

 和代は学園に足を踏み入れた時から感じていた悪寒の正体に気づいた。

 正面にある大きなデスクに腰掛けている、真っ赤な長い髪をした女――赤坂綺の存在である。


 戦場に出ればその赤い魔天使の翼を広げ、瞬く間に多数の敵を斬って捨てる。

 すでに何人もの命を奪っているのは和代も同じだが、赤坂綺が纏う雰囲気は明らかに異質だった。


 和代には彼女が同じ人間とは思えない。


「ようこそ神田和代さん。私たちに協力を約束してくれたこと、心から感謝しています」

「ええ、おかげ様で生徒たちを説得するのが大変でしたわ」


 和代の下に届けられた赤坂綺直筆の手紙。

 そこには以下のようなことが書かれていた。


『これ以上こちらの要請を無視するようなら美女学を敵対者とみなし誅殺を開始する』


 もう少し湾曲的な表現だったが、要約すればこんなところだ。

 それだけではなく、事もあろうに赤坂は友人である千尋を人質に取った。

 もちろんハッキリとは書かれてなかったが、文章の裏に込められた意味は明らかだった。


 千尋がこんな奴にどうこうされるとは思いたくなかったが……


 個人的な事情はどうあれ、美女学にも水学に呼応しようと考える生徒が多かったのも事実だ。

 なので和代は独断による事態の静観という当初の立ち位置を撤回せざるを得なくなった。


 丸一日かけて他の役員たちと今後の方針について話し合った。

 そして結局、平和派として水学生徒会と手を組むことに決定したのだった。

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