2 四年前の試合

 和代は誰も咎めないのをいいことに勝手に生徒会室隣の部屋に入っていった。

 自分で紅茶を淹れて戻ってくると、部屋の隅にあったソファへ優雅な仕草で腰掛ける。

 しかも勝手に水学の生徒会資料などを読みあさっている。

 まあ、見られて困るようなものもないが。


 その間に美紗子は資料を一読した。

 軽く前半部分を読み終えると、顔を上げて真面目な表情で答えた。


「神田さん、この運動会のメインイベントですが……」

「ええ、学園対抗試合。いかがです?」

「私は反対です。両校に優劣をつけるような試合を認めるわけにいきません」


 四年前に敗北した美女学生の中には、未だに水学に対して禍根を抱いている生徒もいる。

 もちろん今回の試合には廃校を賭けるなどという裏事情は存在しない。


 しかし、形だけとはいえあの時の再現になれば、生徒たちにどのような影響が出るかわからない。

 予測がつかないと言った方が正しいか。


「心配には及びませんわ。これは単なる余興ですから、学園に優劣などつけさせません」

「しかしルールの上とは言え、互いの代表が負けたとなると……」

「なので今回、美紗子さんには出場を見合わせてもらいます」

「え? ……ああ、そういうことですか」


 和代の考えていることを理解した美紗子は大きく頷いた。

 生徒会長である美紗子が出場しなければ、こちらの代表者が負けたとしても、水学の完全敗北とは取られない。


 あくまでこの試合だけの代表であり、学園の威信は揺らがないというわけだ。


「では、神田さんも出場しないということですか?」

「私は出ますわ」


 意味がわからない。

 生徒会長は名実ともに学園の代表である。

 万が一にも和代が敗北すれば、評判はやはり地に堕ちるだろう。


「もちろん、こちらからもハンデをつけますのでご安心を。美女学からは荏原恋歌えばられんかさんが出場いたしません」

「――っ」


 赤坂綺以外の水学生徒会役員たち全員が息を飲んだ。

 能力者同士の試合、そして荏原恋歌。

 この二つのワードから導き出される記憶はまさに悪夢としか言いようがないものだ。


 四年前の試合で圧倒的な力を見せつけた荏原恋歌。

 あの時の恐怖は今も水学生徒第一期生たちの脳裏に焼き付いている。


 その荏原恋歌だが、先日起こした事件の罰を受ける形で今は某所に投獄中だ。

 出所はまだまだ先なので当然ながら試合に参加できるわけがない。


「……わかりました」


 そういうことなら、どちらが負けた場合でも弁解の余地は立つだろう。

 麻布美紗子は負けていない、荏原恋歌は負けていない、と。


「細かい点はこれから調整するとして、両校の文化交流自体には私も賛成です」


 どんな結果になろうとも、生徒たちを動揺させないよう、自分たちがうまく調整していこう。

 それが学園の代表としての生徒会の務めだ。


「さすが美紗子さん、話がわかる方ですわ」

「いいえ。神田さんの方こそ、いつも先鋭的な意見をありがとうございます」


 両校の交流を正しく生徒たちに示せば夜の街にも良い影響を与えるだろう。

 水学の生徒会はともすれば保守的に走りがちなので、こちらからは出せない意見を美女学側が出してくれるのはとてもありがたいことである。




   ※


 空人と清次が中庭で弁当を広げていると、そこに香織と蜜がやってきた。


「こんにちはー」


 可愛らしく手を振るメガネ少女、小石川香織こいしかわかおり

 その姿を見ていると空人は彼女が自分より年上だとはどうしても思えない。


 元々は空人が蜜から能力指導を受けるため昼休みに話をしていたのが始まりであるが、なぜか最近では四人でそろって昼食を食べるような習慣になっている。


「そういえば聞きましたか? 今度の合同運動会の話」


 手造りのサンドイッチを取り出しながら蜜が話題を振った。


「ああ、聞いてるよ。何年かぶりに能力同士の試合もやるとか……ん、どうした?」

「え、いや。なんでも……」


 こちらも手作りなのか、可愛らしい弁当に箸をつけようとしていた香織。

 だったが、その動きが不自然な形で止まっていた。

 清次は何故かニヤニヤしている。


「前の時は凄かったぜ。なにせ、学園の存亡をかけての大試合だったからな」

「学園の存亡……ですか?」

「当時はL.N.T.の入植が始まったばっかりでな。人口も全部で一〇〇人程度、元からあった水学と後から出来た美女学どっちも運営し続けるのは無意味だろうって話になって、試合で負けた方を潰すって話になったんだ」

「乱暴な話だな」


 L.N.T.はJOYやSHIP能力という、外には知られたくない技術の研究をしている実験都市である。

 一般的なルールが通用しないのはわかるが、力でどちらが存続するか決めるという考えは、流石に野蛮が過ぎると思う。


「あの頃のL.N.T.はいろいろとおかしかったからな。でも結局、試合を見た町のお偉いさんが感動して、どっちの学校も存続していくことに決まったんだ」

「へー、そんなすごい試合だったのか」

「じゃあ私たちがこうして日々を過ごせるのは、その時の代表者さんたちのおかげなんですね」

「代表者ってどんな人だったんだ?」


 空人と蜜は興味津々に尋ねた。


「ね、ねえ。そんな昔の話よりさ、来週の休日の予定を話し合おうよ。どこ行くか決めないと」


 香織が何故か話を逸らそうとする。

 しかし空人と蜜は試合の話に夢中で取り合わない。

 そもそも、みんなでどこかへ出かける予定なんかないのだから。


「錚々たるメンツだぜ。各校四人ずつ、みんな第一期生のいわゆる最初期の能力者たちだ。美女学の代表は現生徒会長の神田さんとか、あの荏原恋歌とか」

「荏原恋歌……」


 その名前を聞いて空人は身震いした。

 嫌でも先日の誘拐事件を思い出してしまう。

 今までの人生で、あんなに恐ろしい女には出会ったことがない。


「他の二人はちょっと覚えてないな。で、水学の方は麻布美紗子さんに、四谷千尋よつやちひろさん」

「生徒会長か。あの人は確かにすごかったもんな」

「四谷さんは剣道部の主将ですね。格技場でよくお姿を拝見しますが、女性ながらとても凛々しい方です」


 空人も四谷千尋という人には会った事がある。

 夜の千田中央駅で爆高生に絡まれていたところを助けてくれた人だ。

 蜜たちは弓道部なので、すぐ傍で活動している剣道部のことはよく知っているらしい。


「それで、他の二人は?」

「それがな、聞いて驚くな――」

「あのっ!」

「ごめんなさい、ちょっといい?」


 清次の言葉に香織が大声をかぶせ、さらにそれを割るように別の女性の声が掛けられた。

 ボーイッシュなショートカットの女子生徒である。

 彼女は肩から竹刀袋をかけて空人たちの傍に立っていた。


「あ、千尋さん……」

「久しぶり、香織さん」


 噂をすればというやつである。

 剣道部の『穏やかな剣士』四谷千尋さんだった。


 スポーツ少女らしく隙のない物腰。

 どことなく貫録があるのは、やはり能力者としての力を持っているからだろう。

 麻布美紗子生徒会長もそうだが、普通の女子高生にはない強い力を秘めているという感じが、物腰からもひしひしと伝わってくる。


「実は折り入ってお願いがあるんだけど。今度、美女学と合同運動会をやるでしょ? そのメインイベントで学園対抗試合をやるってのは知ってる?」

「う、うん」


 まさにその話をしていたところである。

 香織はなぜかぎこちなく首を縦に振った。

 というか、彼女は千尋さんと知り合いなのか?


 空人が疑問に思ってると、千尋はとんでもないことを言った。


「お願い。その代表になって欲しいの」

「ええっ!?」


 驚きの声を上げたのは空人だった。

 千尋が「何なの?」という目で空人を見る。

 もちろんお願いされたのは空人ではなく香織である。


 声こそ上げないが蜜も驚いて目を丸くしていた。

 香織と清次だけが平静を保っている。


「ごめんなさい……せっかくだけど、お断りさせてもらうよ」

「そっか、そうだよね、やっぱ無理だよね」

「ちょ、ちょっと待った!」


 あまりに当然のように話を進めているので、空人は思わず横から待ったをかけた。


「なんで香織が代表なんですか! どう考えてもおかしいでしょう!」

「なんでって……香織さんは四年前の大会でも代表だったし」

「はあ!?」


 あまりに予想外な言葉に、空人は先輩に対する礼儀も忘れた。

 清次の方に目を向けると「本当だぜ」と言って頷いた。


「小石川は純水組だし、最初期の能力者だよ」

「知りませんでした……香織ちゃん、話してくれてもよかったのに」

「い、いや、隠してたわけじゃないんだけどね? それに代表っていっても何もしないうちにみっともなく負けちゃっただけだし」

「相手が荏原恋歌さんじゃ仕方ないよ。香織さんだけじゃなく、私や美紗子さんだって全く歯が立たなかったんだから」


 もう空人は驚きの声も出なかった。

 香織があの荏原恋歌と試合をしただと?

 想像しようとしても、泣いて逃げ回る香織と、鬼神のような形相でそれを追いかける荏原恋歌の姿しか思い浮かばない。


「というか、そもそも私のJOYは試合向けの力じゃないしね」

「そう言えば香織の能力ってなんなんだ?」


 空人は前に一度だけそれらしいものを見たことある。

 あの時は蜜の空気を操る能力にばかり気を取られていたし、香織が敵のリーダーを倒したのも一瞬のことだったから、よくわからなかったのだ。


「≪天河虹霓ブロウクンレインボー≫」


 千尋が呟いた。

 それが香織の能力名か?

 空人が聞き返すより早く、香織は彼女に別の提案をした。


「私より花子ちゃんはどう? 彼女なら目立つのとか好きそうだし」

「ダメだった。万が一みっともない試合でもしたらメンバーからの信用を失うし、グループが分裂する可能性もあるからって」

「そっか。あの子、今は夜のグループのリーダーなんだっけ」

「それも中央で一番大きなグループのね。美紗子さんもどうして彼女がああなっちゃったのかって頭を抱えてたよ」

「昔はあんなに可愛い子だったのにね……」

「そうだね。猫みたいに可愛かったのにね……」


 共通の知り合いを思って二人は同時にため息をつく。

 夜のL.N.T.の頂点に立つリーダーの可愛らしい姿ってどんなのだ?

 さっきから二人が会話している内容は空人の想像を超える事ばかりである。


「それじゃ別の人に声をかけてみるよ」

「うん。お役に立てなくてごめんね」

「こっちこそ食事の邪魔しちゃったね。じゃ、また」


 香織は申し訳なさそうに手を振って去っていく千尋を見送った。

 人に歴史ありというが、今年からこの町にやってきた空人には知らないことがまだ沢山ある。


「さて、詳しく聞かせてもらおうか?」

「そうです。ぜひ香織ちゃんの昔の話を聞かせてください」

「えっ」


 もちろん残りの休憩時間は香織に対し、空人と蜜による質問攻めが行われたことは言うまでもない。

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