第9話 学園鬼ごっこ
1 豪龍の持ってきた依頼
その日の朝、水学生徒会役員たちはいつものように雑務に追われていた。
昨夜の見回りの方向書作成や、生徒たちの陳情への対策会議など、朝からゆったりしている暇はない……というのは建前で、実際には優雅に紅茶などを飲みながらお喋りの片手間に仕事をしている。
生徒会役員たちだって十六、七の女子高生なのだ。
四六時中真面目に働いていて持つわけがない。
今、生徒会室にいる生徒会役員は四人だけだ。
うち二人は生徒会長の
別に放課後から働いても十分に終わる仕事量なのである。
美紗子は貴重な午後の時間を無駄にしたくないため、前日夜の見回りがなかった日は毎朝来ているが、他の役員たちは交代で二日置きくらいに手伝いに来ればマシなくらいだ。
そんな普段通りの朝の生徒会室にノックの音が響いた。
分厚い木製のドアにちらりと視線を向けて美紗子は声をかける。
「どうぞ、開いてますよ」
エイミー学園長や他の役員ならわざわざノックはしない。
朝から来客とは珍しいが、一般の生徒が訪れることも稀ではない。
どこかのクラスの学級委員が競技場の使用許可でも取りに来たのだろう。
美紗子たちはそう思っていた。
だから開いたドアの向こうに立っていた意外な人物の登場には、この場の全員が声を失った。
「おう、邪魔するぞぅ」
やや訛りのある低い声。
身に纏うのは時代錯誤なボロボロの学ラン。
潰れた学帽を頭にのせた巨漢の男がそこに立っていた。
「他校っちゅうのはやっぱり緊張するのう。こんな派手な部屋ならなおさらじゃあ」
男は言葉とは裏腹に堂々とした態度で生徒会室の中に入ってくる。
美紗子と聡美は言葉を失うだけで済んだが、残り二人の役員は逃げるように部屋の隅へと集まり、体を寄せ合って震えていた。
「……爆撃高校の生徒が水学に一体何の用ですか」
「そう邪険にしなさんな。お前らだって先日うちに乗り込んで来たじゃろうが」
爆撃高校最大勢力『豪龍組』の統領、
※
一人の生徒会役員が恐る恐るパイプ椅子を差し出す。
「おう、すまんの」
「ひいっ! ごめんなさいっ!」
豪龍は単に礼を言っただけだが、暴力的な笑みを向けられた彼女は逃げるように謝罪の言葉を口にしながら、部屋の隅に引っ込んだ。
特に気にした様子もなく豪龍は受け取ったパイプ椅子を広げて腰かける。
「先日の件に関しての文句は神田さんに言ってください。まあ、おかげ様で運動会は大成功だったので、一応お礼は言っておきます。それで今日はどのようなご用件で?」
あまりにも突然に訪れた部外者。
その真意はまったく推測できない。
正直に言えばさっさとお引き取り願いたかった。
これでは他の役員がビビってしまって仕事にならない。
「おう、今日は水学の会長さんにお願いしたいことがあってな……が、その前に」
豪龍はぎょろりとした目で部屋に他の役員たちを見回した。
「ひいっ!?」
夜のL.N.T.でも第二位と目されるグループ『豪龍組』の統領である。
その眼光は一般生徒にとっては震え上がる程に恐ろしい。
二人の役員たちはもうほとんど涙目だ。
「あまり外部に漏らしたくない話なんじゃが」
「わかりました。みなさん、申し訳ありませんが本日は解散にしましょう。仕事の続きはまた昼休みに」
「美紗子、大丈夫なの?」
副会長の聡美が気遣わしげに尋ねる。
彼女だけは気丈にも豪龍の圧力に耐えつつ美紗子の心配をしていた。
方や夜の治安維持に努めている生徒会の長。
方や我が物顔で好き勝手行っているグループのリーダー。
いわば二人は不倶戴天の敵同士である。
深川花子も似たようなものだが、彼女はまだ同じ水学の生徒だから事情が異なる。
学校そのものがスラムと化している爆高のトップはまた訳が違う。
そう考える聡美が心配する気持ちは美紗子にもよくわかる。
だから美紗子は安心させるよう彼女に微笑みかけた。
「ここは水学ですから。万が一のことなんてありませんよ」
「……わかった。何か合ったらすぐにブザーを鳴らしてね」
聡美は他の役員たちを連れて生徒会室から出て行った。
実は部屋にブザーなど存在しないが、豪龍に対する牽制のつもりで言ったのだろう。
会長思いのいい副会長である。
「くっくっく。まるっきり猛獣扱いじゃのう」
「あんたの普段の素行を考えれば仕方ないじゃない」
他の役員がいなくなると、途端に美紗子は態度を変えた。
周りには隠しているが豪龍と美紗子は小学校時代の幼馴染なのである。
美紗子は机に頬杖をついて目を細めた。
他の生徒の前では絶対に見せない態度である。
豪龍相手に礼儀を正す必要など全くないと思っているのだ。
「っていうか本当に何しに来たの? つまんない用事だったら速攻でつまみ出すわよ」
「おうおう、あんまり脅かさんでくれい生徒会長さんよ。ワシだって水学なんぞに足を踏み入れたくなんかなかったんじゃ。ヘルサードの頼みでなかったら誰がわざわざこんなところまで来るかい」
その名前を聞いた瞬間、美紗子の眉がピクリと跳ねあがった。
「詳しく聞かせなさい」
「最初からそのつもりじゃあ。大人しく耳を貸せい」
豪龍はにやりと邪悪な笑みを浮かべると、鷹揚な態度でヘルサードからの伝言を伝えた。
※
「L.N.T.外での護衛任務?」
「そうじゃあ。やつがお前を直々に指名しとる」
豪龍が語ったのは、外――
つまり、L.N.T.ではない場所で、ある要人の護衛をして欲しいという話だった。
「意味がわかんない。なんで私がボディーガードみたいなことしなきゃいけないのよ」
L.N.T.を運営しているラバース社は世界的大企業である。
いくら美紗子が常人よりも優れた身体能力を持っているとはいえ、わざわざ生徒に頼むくらいならちゃんとしたプロのSPを雇った方がいいに決まっている。
「これは俺の推測だが、能力者開発の成果の一片を見せつけるためじゃないかのぅ」
「護衛は建前で、JOY使いやSHIP能力者の力をどこかの誰かに披露してこいってこと?」
「SHIP能力だけじゃ。JOYに関してはまだ秘密にしておきたいらしい」
「ああ、それで私なのね」
美紗子に白羽の矢が立った理由はつまりそういうことだ。
L.N.T.に異能力を持つ者は多数いるが、そのほとんどがJOY使いである。
美紗子のようなSHIP能力者――超人的身体能力を持つ者はこの街にもとても少ない。
「お前だけじゃないぞう。
豪龍は大して残念でもなさそうに言ってクックと笑う。
「そっちからも、もう一人連れて来て欲しい。後で声をかけておいてくれい」
水学で美紗子と同レベル以上のSHIP能力者と言えば一人しか思いつかない。
豪龍は以前に彼女と抗争を起こしかけたこともあり、直接話をするのは難しいだろう。
「わかったわ。花子さんにはこちらから声をかけておく」
「引き受けてくれるかい」
「ミイさんの頼みなら聞かないわけにいかないでしょう」
今は爆高の校長であり、かつて水学の特別顧問を務めていたミイ=ヘルサード。
その名は美紗子たち第一期の生徒にとってあまりに特別だ。
頼みごとを断るなんてできるはずもない。
「それにしても……外、ね」
人里離れた山奥を切り開かれたL.N.T.はまさに陸の孤島である。
唯一の出入り口は自動車専用の社有高速道路のみ。
誰もラバースの許可なくして街の外へは出られないし、許可が下りることもまずない。
これはL.N.T.という街が能力を研究している実験都市である以上は仕方のないことなのだ。
もちろん外部との連絡も厳しく制限されている。
インターネットは通じていないし、一般キャリアの携帯電話も通じない。
この街の生徒たちは入学の際にそれを聞かされ納得させられ、誓約書まで書かされている。
単身入居している生徒たちのメンタルケア施設は十分に整備されているので、真面目に暮らしている一般人たちに問題はそうそう起こることはなく、数こそ少ないが途中入学の生徒の中には家族と暮らしている者もいる。
建前上は高校卒業と同時に外に戻れることになっている。
しかし第一期生である美紗子たちですらまだ高校二年生なので、未だにその確証はない。
生徒たちには秘密にしてあるがJOYやSHIP能力にはとある特徴がある。
二十歳前後を境にジョイストーンに関連した一切の能力が使えなくなってしまうのだ。
JOYの正式名称である
特殊な能力を持つ人間がどのように一般社会で暮らしていくのかという生徒の疑問に関して、ラバースは「その時までにはより良い研究成果がでているだろう」という曖昧な回答を出しているが、実際の所、能力が自然に使えなくなるまでは街に閉じ込められっぱなしの可能性が高いだろうと美紗子は見ている。
美紗子がL.N.T.にやって来てから約五年弱。
外に出たことは一度もないし、出た生徒がいるという話も聞いていない。
なのでこの依頼を受ければ彼女たちが初めてL.N.T.外に出た生徒ということになるだろう。
そう考えたらなんだかわくわくしてきた。
久しぶりに
もちろん事前に厳しいルールは設けられるだろうが。
「わかりました。その件は謹んでお受けいたします」
美紗子は気を引き締めるため、生徒会長の顔に戻って言った。
豪龍は頷いて椅子から立ち上がろうとしたが、何かを思い出したように中腰のまま動きを止める。
「そうそう。言い忘れてたんじゃが、もう一つ頼みたいことがあってな」
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