6 後輩の連絡

「ゆっくりだ。慎重に左足を上げながら右足を踏み込んで……」

「こ、こうですか?」

「違う! アクセルを――」


 ガクン、とバスが大きく揺れてエンジンが停止する。

 近くで見ていた香織は思わず口元を手で押さえた。

 周りの子どもたちはきゃあきゃあ騒いでいる。


「なんでまたエンストしますの!?」

「だからクラッチを戻しながら回転数を上げないととダメだって言ってんだろ!」

「言ってませんわ! 説明が下手なんじゃないんですの!? というか、このシフトレバーとかいったい何のためについてるんですの!? 最初からアクセルだけを踏めば走るように作ればいいのでは!?」

「車に文句言っても仕方ねえだろ! いいから黙って続けろ!」


 和代は園長からバスの運転を教わっていた。

 喧々囂々の様子は見ているだけでハラハラする。


 よくあの強面相手に文句が言えるものだと香織は思う。

 自分だったらビビってハイハイ従う一方になりそうだと香織は思った。


「というかあなた達、そんなところで何をやってるんですの! 間違えて轢かれたくなければどっか行ってくださいまし!」


 和代の怒りの矛先がこっちに向いた。

 プライドの高い彼女は失敗するところを人に見られたくないだろう。


「さあさあ、和代さんの邪魔になると悪いから、みんなお部屋に戻ろうね」

「はーい」


 香織は騒いで子どもたちの手を引いて園舎の中に戻る。

 そこでふと、気になっていたことを尋ねてみた。


「そう言えば翔樹くんは?」


 保育園に来て半日程度だが、とりあえず子どもたちの名前と顔は一致させた。

 先ほどの食事の時に一人だけいなかった少年を思い出したのである。


「まだお部屋にいるよ」

「みんなと一緒にごはん食べたくないんだって」

「そっか」


 この保育園の大半の児童は孤児である。

 ラバースがどこからか連れてきた身寄りのない子どもたちだ。

 もちろん善意などではなく、次の実験のための候補として集められたのである。


 ただし、極一部だが家族とこの街で暮らしている子もいる。

 翔樹君もその中の一人だったが、彼はつい最近たったひとりの家族を失った。

 五歳になったばかりの少年にとっては引きこもっても仕方ないほど耐え難いショックだろう。


「しばらくそっとしておいた方がいっか」


 後で部屋を訪ねてみよう。

 そんなことを考えながら歩いていると、なにかを踏みつけてしまった。


 靴の下を見る。

 フェルトで出来た薄っぺらい女の子の人形が転がっていた。

 拾い上げて埃を払い、誰かの落し物かと思って名前が書いてないか確認しようとしたら、


「ねえ、これ誰の――」

『その声は小石川センパイですか!?』

「ひゃっ!」


 いきなり人形が喋った。

 思わず落っことしてしまう。


 人形はひとりでに起き上がる。

 周りを探るようにキョロキョロと顔を動かす。

 なんというか、現実味の無いシュールな光景である。


『あれっ、小石川センパイ? どこですか?』

「えっと……ちえりちゃん?」

『センパイ!』


 フェルト人形があさっての方向を向きながらぴょんぴょんと飛び跳ねている。


「かわいい!」


 女の子の一人がそれを持ち上げた。

 他の子も集まってきて頭を撫でたり体を引っ張ったりする。

 さすが能力者の街と言うか、人形が喋って動いたことに対する不信感はあまりないらしい。


『あっ、なにするんですかっ。センパイはどこですかっ』

「ここにいるよ……ごめん、ちょっとそれ返してね。みんなは先にお部屋に戻ってて」

「はーい」


 香織は女の子にお願いしてちえりの意識が宿った人形を受け取った。

 彼女は少し不満そうだったが、頭を撫でてあげると素直に頷いて部屋に戻って行く。


「もう大丈夫。ちえりちゃん、無事だったんだね」

『小石川センパイの方こそ。あんなアナウンスが流れて、本当に心配してたんですよ』


 江戸川ちえりは香織の一学年下の後輩である。

 彼女の能力は自分の意識を人形に宿して自由に操作するというもの。

 今はこの人形に意識を宿しており、能力者である本人はどこか離れた場所にいるはずだ。


「私は大丈夫だけど、ちえりちゃんはどこにいるの?」

『ちょと待ってください。人形の現在位置は…………ああ、だいぶ離れてますね。ちょっとそこからじゃ遠いかもしれません』

「人形の位置はわかるのに前は見えないの?」

『一度に複数の人形を操ると視界が効かなくなっちゃうんですよ。それは無作為にあちこちへ送ったうちの一体なんです』


 香織を探すために大量の人形をL.N.T.各地に飛ばしたのか。

 ただ人形を操るだけじゃなく、色んな事ができるみたいだ。


『小石川センパイの居場所はわかりました。できればすぐにそちらに向いたいんですけど……』

「大丈夫? 周りに監視カメラはない?」

『……正直言って、私自身はほとんど身動きが取れない状況です』

「そっか」


 しかし、ちえりがラバースに捕まっていなくて本当に良かった。

 こうして無事が確認できたからには是非とも合流したい。

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