第18話前のバイト先の同僚が文句を言ってきたので反抗してみた

「こんなこともあろうかと」


 詩音は通学鞄をあさって、ワイヤレスイヤホンの端末ようなものを取り出した。刑事ドラマで見る、小型の通信機にも見える。


「ボイス、チェンジャー?」


「駅のそばのゲームセンターって毎週木曜日の夜にレア物が景品のクレーンゲーム機がでるでしょ? そこで当てたの! 試したけど、結構性能良くて」


 奏介は呆れ顔だ。


「また夜中にゲーセンに」


 詩音はギクリと肩を揺らした。


「いや、その九時前だったし」


「それはどうでも良いけど、つまり女声で対応しろって? 俺にそこまでやらせる?」


「あっはっはっ。マジかよ。ヤバッ、おもろ」


「針ケ谷、笑いすぎ」


「良いじゃない。女装しろって言ってるんじゃないんだから。伊崎さんの機転、凄いわね」


「えへへ。でも奏ちゃんは細いから女装もいけそうだよね」


「体型以外は全部無理そうだけどね。ぜんっぶ。化粧でなんとかすんのも無理」


「橋間、野竹さんの代わりにネットで燃えてみる?」


 わかばはテーブルに額をこすりつけた。


「申し訳ありません、菅谷様っ」


「……で、そのボイスチェンジャーって野竹さんの声を出せるようになるの?」


「あー、女声か男声か機械音声しか無理」


「まぁ、そうだよね」


 しかし、それだけ出来れば充分だろう。


「女声で……まぁ、良いか」


 奏介は肩を落とした。


 詩音からそれを受け取って、耳に着けてみる。口元まで細いマイクが伸びていて、そのマイクを通すことで変声されるらしい。


「奏ちゃん、出来れば高めの声で喋ってね。そうすると自然な女の子声になるらしいよ」


「高めか。……えーと」


 スイッチを入れ、声を意識する。


「どう? 変わった?」


 自分の耳にも明らかな、若い女性の声だ。


 四人も驚いたような顔になった。


「すごーい。面白いね!」


「へぇ、よく出来てんなぁ」


「可愛い声とあんたの見た目のギャップがキモいわ」


「明日、お前の上履きは牛乳漬けだから洗う準備しとけよ」


「ちょ、ちょっと可愛い声で脅すのやめなさいよっ、余計に怖いわっ」


 そんなやり取りをしつつ、次の電話を待ったのだが、結局夜の七時過ぎまで来ず仕舞いだった。先程の二件の電話であの対応をしたからだろうか。


 夕食をご馳走するとの提案を受けたが、さすがに申し訳ないので帰宅することにした。


 玄関にて。


「ナナカ、また明日来るから」


「うん。ありがとね。皆もわざわざありがとう」


 そうして『マカ』を後にした。


 真崎やわかばと分かれ、詩音と二人で自宅マンションへと向かう。


「残念だなー。せっかくボイスチェンジャー持ってきてたのに」


「明日使うんだから良いんじゃない」


「あ、そういえば買い物頼まれてたんだった。スーパー行くけど、奏ちゃんどうする?」


 特に用事はなかったが、辺りも暗い。一人で行かせるのはどうかと思い、とりあえず付いていくことにした。


「あー、お腹空いてきたー」


「何買うの? もうおばさん夕飯作ってるでしょ」


「冷凍食品。お弁当に入れるやつね」


 一緒に店内へ入ろうとしたものの、空腹の状態では余計なものを買ってしまいそうだ。


 詩音に言って外で待っていることにした。


 スーパーの入り口のベンチでスマホをいじっていると、誰かが奏介の前に立った。


「こんばんはっ」


 ふと顔を上げると女子高生が立っていた。制服は他校のものだ。


「……」


 しばし無言で見上げていると、彼女は首を傾げた。


「もしかしてー、わたしのこと忘れちゃってますー?」


「いや。金瀬さんだよね」


 奏介はゆっくりと立ち上がった。


「久しぶり」


「ええ、久しぶりですねー」


 例のカフェのバイト仲間だった金瀬ナルミである。料理長、マネージャーと仲が良く、タイムカードを切らずに早上がりをするなど、これでもかと甘やかされていた印象しかない。


 ちなみに彼女は奏介への二人の対応を見て見ぬ振りをし、間接的に仕事を押しつけていた。


「で?」


「ん? でってなんですかぁ?」


「なんで声かけてきたの? 何か用事?」


「あれぇ? 冷たくないですかー?」


 わざとらしく不思議そうな顔をする。


「そう? 普通だと思うけど」


「あ、久々ですし、一緒にお茶でも飲みません?」


「飲みません」


 ナルミはきょとんとした。即答にはさすがに驚いたらしい。


「もしかして、忙しいですか?」


「別に暇だけど」


「だったら」


「暇だからって金瀬さんとお茶は飲みたくないかな。金瀬さんのことよく知らないし。友達誘った方が良いんじゃない?」


 挙動からして、女の子慣れしていないオタクを誘惑しているつもりなのだろう。見た目はかなり可愛らしいので騙される男子はいそうだ。誘惑する目的は謎だが。


「……菅谷さんて、結構はっきりした性格なんですね。意外です」


「一ヶ月くらい一緒に働いてたけど、ほとんど話してなかったしね。で、俺に用事があるならここで聞くけど」


「んー、まぁ話というか文句? って言うやつです。聞いたところによると、菅谷さんのご友人さんがうちのお店に来て、料理長の七野なのさんとマネージャーの赤江あかえさんにクレームつけまくったんですよねぇ? その時の対応を録画されてて、本社に録音音声と一緒にクレームの連絡が行ったとか。それでお二人は左遷させられたと。ちょっとやったこと酷くないですかね?」


「それ、誰から聞いたの?」


「もちろん、お二人からですよ」


 情報源があの二人なら奏介を悪者にして話しても仕方がない。少しほっとした。


 ナルミは眉を寄せていた。


「理由もなくクレームをつけて、その対応を録画してさらすなんてやっていいことですか? お二人はきちんと仕事をされてましたよ?」


 挑むような視線。揺るぎない正義感に溢れている、ように見える。


「その前に、俺は金瀬さんに言いたいことがあったんだけど?」


「……へ?」


「シフトがある日、毎日一、二時間早く帰った上に優しい優しい料理長の七野さんにタイムカードを切ってもらってたよね? あの一、二時間の仕事、俺がやってたんだけど。時給八百五十円分、週五回入ってたから二十日分だね。だから最低でも一万七千円。サボってたくせに一万以上もらえるなんて羨ましいよ。でもさ、それって社会的にやっていいことだと思ってんの?」


 ナルミはびくりと肩を揺らした。


「あ、でもあれは七野さんのご厚意で」


「へぇ、ご厚意で給料泥棒してたの?」


 ナルミはむっとした。


「人聞きの悪いことを言わないで下さい」


「人聞きも何も事実でしょ」


「帰っても良いと言って下さったから」


「そうだね。確かに俺も前にやってたバイト先でたまに先輩が言ってくれて早く帰してもらってたよ。だけど、さすがに毎日一時間二時間、しかもその残った仕事を他の人間に押し付けるのはあり得ないでしょ」


「七野さんは優しいから」


「言葉に甘えるだけならタイムカード切って帰れよ」


「っ……!」


「もしかしてタイムカードの意味知らないの? だとしたら頭悪すぎだと思うけど」


「し、知ってるに決まってるじゃないですか」


「じゃあ、知っててやってんじゃん。給料泥棒の癖に何偉そうに文句言いに来てんの?」


 ナルミは一歩後退した。


 奏介はため息をついてベンチに腰をおろした。


「これくらいの反論で何も言えなくなるなら、文句言いに来るのやめてくれる?」


「……」


 ナルミは唇を噛み締めると、くるりと背中を向け、走り去って行った。


「奏ちゃーん。お待たせ! 帰ろう! ていうか、今誰かいた?」


「多分気のせい」


「そう?」


 どうやら料理長とマネージャーは左遷になったらしい。中々気分が良い。足取りが少し軽くなった。

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