第34話同じマンションに住む妊婦さんの義母に反抗してみた1

「痴漢!?」


 朝比賀とのやり取りした日の翌日の放課後。


 帰り道。声を上げた真崎の方は見ず、奏介は疲れたように頷いた。


「ま、マジか。元気ないと思ったらそれが原因かよ」


 奏介は額を押さえた。


「いや、ほんとに屈辱。何より逃がしたことが一番」


「お、おう。……まぁ、無駄に美少女顔だったもんなぁ」


 奏介は真崎へ恨めしそうな視線を向けた。


「針ケ谷、考えて見てよ。自分が中年のおっさんにそういう目で見られてたかと思うと」


 真崎は表情が固まった。それから、口元を押さえる。


「きも……今、リアルに血の気が引いたわ」


「あ、女子達には言わないでね。ダメージでかくなりそうだから」


「あ、ああ。了解」


 奏介は、はっとした様子で顎に手を当て、何やら考え込む。


「橋間はとりあえず、締めとこうかな」


「待て待て、なんでだよ」


「この話聞いたら笑いそうだから」


「いや、真顔で言うなよ。せめて笑ってからにしてやってくれ」


 奏介はため息を吐いた。


「まぁ、良いや。後で殺りに行こう。ボコボコにして警察に突き出すしかこのモヤモヤした感じは取れない気がする」


「や、殺るのは止めとけ?」


「冗談だよ」


 肩をすくめる奏介。


「お前の場合、冗談に聞こえないんだよなぁ。そういや、朝比賀委員長とはどうなった? やり合うんじゃなかったか?」


「ああ、もう終わったよ」


 つい昨日、決着はついた。朝比賀からの反論はなく、奏介の正論は全て彼に突き刺さったようだった。これから彼がどんな動きをするのか、風紀委員会はどうなるのか。奏介としては流れに身を任せる予定である。


「まぁ、痴漢のことは気を落とすなよ。今度なんか奢ってやるから」


「それより針ケ谷があのおっさんをボコボコに」


「とりあえず、頭を冷やしておけな?」


 そんな感じで真崎とは分かれた。


 自宅マンションのエレベーターホールへと向かうと。


「ん?」


 ミニサイズの米袋を脇に抱え、パンパンに膨れた買い物袋を下げた女性がエレベーターを待っていた。それだけなら良いのだが、女性のお腹はかなり大きかった。どうやら妊婦のようだ。


「はぁ、はぁ」


 少し苦しそうに呼吸をしていたので歩み寄る。


「こんにちは」


 彼女が振り返る。


「あら……。えーと、確か五階の……」


「菅谷です」


「ふふ。こんにちは」


 苦しそうながらも笑顔を向けてくる。彼女は三階の住人だったはずだ。改めて、田辺たなべと名乗った。新婚で旦那さんと二人暮らしのはず。


「荷物持ちますよ」


「あ……ごめんね、凄く助かるわ」


 本当に大変だったのだろう。ほっとした様子で米袋を渡してきた。


「大丈夫ですか? もうすぐ産まれるのに無理するのは良くないですよ」


 田辺とは奏介の母親がたまに顔を合わせるらしく、もうすぐ予定日だと聞いていたのだ。


「そうなんだけどね、今ちょっと」


 その先の言葉が出てこない。不思議に思ったものの、彼女の家まで米袋を運ぶ。


「キッチンまで運びますよ」


「ありがとね」


「お邪魔します」


 ドアを開けた彼女に続く。間取りは同じなのに置かれている家具などが違うと、やはり他人の家という感じがする。


 廊下を通って、キッチンのドアを開いた瞬間、大量の水が一気に流れるような音がした。


「あ」


 田辺が口を半開きにする。


「?」


 奏介がキッチンを覗くと、シンクの前で鍋をひっくり返している、白髪の年配の女性が一人。


「あ、の、お義母さん。それ、今日の夕飯の味噌汁」


 年配の女性がこちらへ視線を向けて、鼻を鳴らした。


「味噌汁? こんなもの、飲めた物じゃないわ。味が悪い。やり直し。それよりお米は? まさか忘れたの?」


「い、いえ、買ってきましたけど」


 田辺と一緒にキッチンへ入る奏介。


「は? 誰よ、その子。なんで持たせているの」


「同じマンションの子で、手伝ってくれて」


 女性は舌打ちをする。


「何、他人に持たせているの? 味噌汁もろくに作れないし、田辺家の嫁失格ね」


 奏介は悟った。どうやら彼女は田辺の夫の母親らしい。義母というわけだ。


「ほんっとに使えないわね」


 田辺は沈んだ顔をする。


「ていうか、あなた、その子と浮気でもしてるんじゃない?」


 奏介はすっと表情を消した。田辺へ視線を向ける。


「あのー、田辺さん。あのクソボケたババアは誰ですか? 作ったばかりの飲める味噌汁シンクにぶちまけるくらいに頭逝ってるのに目茶苦茶偉そうですね? お知り合いですか?」


 その場の空気が、一瞬で凍りついた。

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