第106話昔の教え子の問題児に教育的指導をすることにした2

 石田に対して謝罪させたあと、菅谷奏介を教壇の前に立たせた。泣きはらした目、うつむいて、憔悴し切っているが、しっかり反省をさせるため、慰めの言葉はかけていない。


「はい、皆に謝りなさい。クラスメートを不安にさせたのよ? 泣いて誤魔化してもだめよ」


「……僕が石田君を怪我させたことに間違いありません。ごめんなさい」


 土岐が教えた通り、頭を下げる奏介。石田がにやにや笑っている。


「せんせー、反省してるみたいだし、許してやったら? 怪我も大したことなかったし」


 その言葉にクラスメート達がざわざわし始める。


「石田君、カッターで切られたのに優しいね……」


「菅谷君、ほんと最低」


「いじめられてるふりとかさぁ」


「絶対反省してねえよな、あれ」


「泣いて逃げようとか……どうなの」


 皆にこう言われるのは仕方ないことだ。土岐はクラスメート達を窘めることはしなかった。何故ならこれも含めて罰なのだから。











 女子更衣室事件から二日後。


 土岐は小学校の勤務が終わり、桃華学園に出勤していた。五限目の休み時間である。廊下を歩いていると、ひそひそと聞こえてくる。




「あの先生? ほら、女の子をさ」


「下着泥棒だって」


「こわ……。ガチ変態じゃん」


「なんでクビになってないの?」


「校長が問題起こしたくないから、もみ消したって話」




 土岐は唇を噛み締める。破られたブラウスを着て下着を投げつけてきた女子が嘘の証言をしたおかげで不名誉な噂が生徒達の間に出回っている。現場にあった下着は新品でありこの学校の女子から盗まれたものではなかった。また、被害にあったとされた女子生徒は逃げてしまい、土岐がそのような変態行為をした証拠はどこにもない。あの女子生徒に嵌められた可能性さえある。校長や他の教師達はそういう結論で納得してくれたが、生徒達からは完全に変態教師扱いだ。




「変態ばばあ、もう来るなよ」


「普通に逮捕案件なんだけど」




 土岐は振り返って、生徒達を睨んだ。


「もう六限目始まるでしょうっ、くだらない話してないで教室に入りなさい」


 生徒たちは侮蔑の視線を向けたまま、教室へと入って行った。


 土岐は握った拳を震わせる。


「あの、女子は一体誰だったの? わたしにこんな」


 許せない。必ず見つけ出して退学に追い込んでやる。


 そう決意した土岐は図書室へ来ていた。


 桃華学園の生徒名簿を調べるためだ。分厚い革の表紙を開く。


「あれだけ整った顔をしていたのだから、見つからないはずがないわ」


 しかし、いくら探しても該当する女子生徒は見つからない。


「どういうことなの」


 こうなってくると外部からの侵入者の可能性も出て来る。


「生徒に嘗められて堪るもんですかっ」


 勢いよく名簿を閉じて、立ち上がった。


 図書室から出ると、誰かとぶつかりそうになる。


「! あら……大山先生」


「お疲れ様です。土岐先生」


 にこにこと笑う大山は目に見えて機嫌が良いように見えた。


「何か、ありまして?」


「恥ずかしながらプライベートで心弾むようなことがあったのでつい」


 大山はそれだけ言って頭を下げると、去って行った。


「まぁ良いわ。演劇部の生徒に聞いてみましょ」


 生徒なら何か知ってるに違いない。演劇部員の中には少なからず、土岐を尊敬している生徒もいるのだ。


 第一体育館の入り口横にある演劇部部室へと向かう。中では体育の授業が行われているようだ。


 鍵を開けて、室内へ入ろうとした、その時。


 片足が戸の前にあったバケツに突っ込んだのだ。


「!?」


 誰かが掃除中だったのだろうか。濁った汚い水がなみなみと溜まっていて、


「何これ、きゃっ」


 床も濡れていたらしく、思いっきり滑ってしまった。バケツも巻き込んで前のめりに倒れてしまう。


「うぐっ」


 怪我はしなかったが、肘や膝をぶつけてしまった。


「もう、ちゃんと片付けないから……う!?」


 物凄い臭いだった。下水の水でも汲んできたのかと思うほどの激臭に鼻をつまむ。


「なんなの、これっ」


 慌てて床を片付けて、きつめに消臭スプレーをしたところで自分の服や体に臭いがついてしまっていることに気づいた。幸い演劇部部室にはタオルやジャージの着替えが何着もあり、隣はシャワー室になっている。


 壁時計を見ると、授業が終わるまで三十分ほど。


「着替えた方がいいわね」


 演劇部部室から脱衣場に入り、服を脱いで、シャワー室へ。タイルの床と壁、奥行きのある空間で壁沿いにパネルで一つ一つ仕切られたシャワースペースがある。


 土岐はなんとなく一番奥のシャワーノズルの前に立った。タオルをパネルにかけて、お湯を出す。


「髪につかなくてよかったわ」


 不幸中の幸いだ。


 暖かいお湯とボディーソープの香りにぼんやりしていると、脱衣場の扉が開いた音がした。


「!?」


 どきりとする。


 誰も来るはずないと鍵をかけなかった。演劇部だろうか。


「ご、ごめんなさいね、シャワー借りてるわっ」


 大声で叫ぶも反応はない。


 土岐は恐る恐るシャワーを止めた。水音で掻き消されて聞こえなかったのだろう。


 バスタオルを巻いて、そっとパネルの陰から入り口の方へ視線を向ける。


「……え」


 そこにはうつむいた女子生徒が立っていた。


「あ、あなた」


 それはまさしく、女子更衣室事件の時の彼女だった。長い髪、整った顔立ち。今回はきちんと制服を着ている。


 土岐は我を忘れてパネルの陰から飛び出す。


「あなた、ただじゃ置かないわよ!?」


 そう叫ぶと女子生徒は足元に置かれていたバケツを手にし、


「えっ、きゃあぁっ」


 中に入っていた水、もとい、ぬるま湯をこちらにぶっかけてきたのだ。


 体は元々濡れていたが、バスタオルがびしょびしょになってしまった。


「っ、何を」


 見ると女子生徒は土岐をバカにするようにニヤニヤと笑っていた。


 カッと血がのぼる。更衣室荒らしや、女子を、襲ったなどという不名誉な噂を流されるはめになったのはすべてこの生徒のせいなのだ。それに、教師に対してお湯をぶっかけるなどと完全にバカにしている。


 女子生徒は土岐に手を振ると、脱衣場を出て行った。


「待ちなさいぃぃっ、捕まえて退学にしてやるーっ」


 バスタオルを放り投げて、脱衣場へ。部室を出ていく女子生徒の背中を追って体育館前の通路へ出る。


「こっちね?」


 体育館入口の扉が少しだけ開いていた。体育館へ入って行ったのだろう。力任せに扉を半開きにして気づいた。中では授業中ではないか。こんな格好で入って行くわけにはいかない。


 迷っていると、背中を強く押された。


「え!? あっ」


 半開きの扉からするりと体がすり抜け、


「きゃあああっ」


 前のめりに倒れ込む。体育館の床はさすがに痛かった。


「うう、痛っ」


 ふと気づいて顔を上げる。


 体育の授業中だったおよそ三クラス分、百人程の生徒たちとそれぞれ指導中の体育教師が口を半開きにして土岐を見ていた。


 素っ裸で倒れこんできた土岐の姿を。




 後ろで、扉が閉まった。

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