第66話ネット誹謗中傷事件after
「ありがとうございました」
野竹ナナカはマドレーヌとクッキーの詰め合わせを買った親子に頭を下げて見送った。店内が少し静かになる。
「今日は閉めようかな」
すでに外は暗くなっていた。秋の日はつるべ落としと言うが、目を離した隙にこれだ。
「ナナカ」
そんな声が聞こえ、ドアにつけられたベルがチリリンと鳴った。顔をあげると、わかばがガラス扉を開けて入ってきていた。その後ろからついてきたのは、
「あ」
菅谷奏介だった。彼はどう思ってるか分からないが、この店の恩人である。
「こんばんは」
彼は少し緊張したように頭を下げる。
「こんばんは。来てくれたの。せっかくだからゆっくりして行って」
「ねぇ、売れ行きはどう?」
「やっと戻ってきたところ。もう閉めるからお茶淹れるね」
「別に良いわよ。時間まで開けておいた方が良いでしょ」
「俺達のことは気にしないで下さい」
あの一件以来の来店なので様子を見に来てくれたのだろう。今日は二人だけのようだ。
「あの、今はもう大丈夫ですか? ネットの影響とか」
心配そうな奏介にそう問われ、ナナカは目を瞬かせる。
「……うん。大丈夫。ニュースにもなったし、それで一気に誤解が解けたから」
そう答えると、奏介とわかばは顔を見合わせた。
「ねぇ、ナナカ。もしかして」
そう声をかけてくるわかばの腕を奏介が掴んだ。
「橋間、あんまり変な絡み方するなよ」
「で、でも」
二人の様子が少しおかしいような。
と、ナナカは壁の時計へ視線を向けた。
「あ、も、もう閉めようかな」
辺りも暗いし、もう客も来ないだろう。ナナカは玄関の方へ向かった。
と、その時。
ドアが開いて、ベルが鳴り、初老の女性が入ってきた。足が悪いのか、杖をついている。
「こんばんは」
か細い声でいう客にナナカは顔を引きつらせる。
「あ、こ、こんばんは」
奏介とわかばが目を見開いている。ひどく驚いているようだが。
女性は杖を放り出すと、その場に膝を着いた。
「あ、あの、佐藤さん!?」
ナナカは思わず彼女の名前を呼ぶ。
「本当に、すみません」
ゆっくりと頭を下げる。見事な土下座だった。
「か、顔を上げて下さい。ほ、ほら他のお客さんもいますし」
見ると奏介とわかばはぽかんとしていた。
◯
ナナカは慌てて、客の三人を住居スペースへと通した。
戸締まりをしてリビングへ戻ってくると、佐藤はしくしくと泣いていた。
「本当に、本当に孫がご迷惑を」
奏介とわかばがわけも分からず必死になだめている。
ナナカは肩を落として、テーブルの前に座った。
「ね、ねぇ、この人のお孫さんて? どういうことなの?」
「うん。実は」
「例の電話脅迫と落書き犯のお祖母さん……てとこですか?」
そう奏介に言われ、ナナカは頷いた。
「少し前からこうして謝りに来られるのだけど、こちらが申し訳なくなってきて。……佐藤さん、別に佐藤さんが悪いわけでは」
女性は首を左右に振る。
「あの子の両親が亡くなってから、ずっと私が育てて来たんです。だから、私の責任です。育て方を間違えたんです」
「いやでも」
親の顔が見てみたい、という言葉があるくらいだ。育て方を間違えたなどと言われてはなんと返せば良いのかわからない。
「お、お婆さんは悪くないですよ! お婆さんがやったんじゃないんだし」
わかばも必死に声をかけるが
しくしくと泣くばかりだ。
「聞いても良いですか?」
奏介が冷静に挙手をした。佐藤が彼を見る。
「お孫さん、おいくつなんですか?」
「……二十三ですが」
「なるほど。成人してらっしゃるなら、一概に佐藤さんが悪いとは言えないですね」
「せ、成人? でも私が育て」
「いやいや、成人するってことは一人の大人として認められてるってことで、責任はお孫さん自身にもありますよ。失礼ですけど、同居されてましたか?」
佐藤は首を横に振る。
「え、そうなんですか? だったら佐藤さんが止める間もなくやっちゃったんですね? それはもうどうしようもないですね。不可抗力です」
「でも」
「佐藤さんはしっかりしていらっしゃるから、悪いことはしちゃいけないとちゃんと教えていたのでは?」
「え、ええ。それはもう」
「こちらの野竹さんのお店に流されていた噂はご存知ですか?」
「……はい。存じております」
佐藤は辛そうだ。
「俺はそのお孫さんの話を少し聞いたんですけど、子供がそういうものを食べたら大変だと言っていて、そこら辺はちょっと感心したんですよ」
佐藤が目を見開く。
「あなたの育て方は絶対に間違っていません。お孫さんは自分で判断を誤ったんです。だから、それを佐藤さんが気に病むことはないですよ」
佐藤は口を半開きにした。それからうつむく。
「……そう。あの子がそんなことを」
「だから、次は正しい行動の仕方を教えて上げて下さい。というか、お孫さんをメタメタに叱って上げて下さい。そっちの方が世のためです。むしろ、他人様に迷惑をかけて何を考えてるの、このバカっ! くらい言ってやりましょう」
佐藤は奏介の言葉に何度も何度も頷く。
「……ありがとう。ありがとうね」
孫の犯した罪に苦しんでいたのだろう。その苦しみが涙と一緒に流れて行ったのかもしれない。
夕食は帰るという佐藤を引き止めて四人で食べた。出前の寿司だが、三人は喜んでくれたようだ。
その後、店の前で佐藤を見送る。タクシーを呼んだので心配はいらないだろう。
「それじゃあね、野竹さん」
「はい。謝るんじゃなければいつでも来てください」
ようやく佐藤の笑顔が見れた。
「三人とも、お休みなさい」
タクシーのドアが閉まった。
ナナカは二人へ向き直る。
「また助けられちゃったね。菅谷君に」
「いや、あんなの助けたうちに入らないですよ」
少し照れ臭そうに言う奏介。どこか幼く感じるのは何故だろう。
「実はこの前、あの佐藤さんとのやり取りを見ちゃって、心配だからこいつ連れてきたのよ。正解だったわね」
「そうだったの」
「強引に連れてきといてこいつ呼ばわりか? 度々偉くなるな、お前は」
わかばはだらだらと汗をかきながら視線をそらす。
「い、言ってないわよ。聞き間違いじゃない?」
「目を見て言えよ」
そんなやり取りを見ながらナナカはくすっと笑った。
◯
帰り道。
奏介はため息を吐いた。
「まったく、あの落書き男。お祖母さんにまで迷惑かけて。刑務所じゃなかったら締めに行くんだけどな。……そういえば手紙を送れるんだっけ?」
犯罪者が逮捕されるという出来事の裏で、その影響に苦しむ人はたくさんいるのだ。
「あんたはほんとにやりそうで怖いわ」
隣を歩くわかばが引き気味に言ってくる。
「でもまぁ、ありがと。助かったわ。 それはそれとして。ナナカにデレデレし過ぎじゃない? 素で照れたり、顔赤らめたりするの、キモいわよ?」
「デレデレなんかしてない。ただ昔、年上の女の人に良くしてもらったことがあるから、野竹さんは印象が似てるんだろうな」
真崎が言うようにそれがタイプというものなのかも知れないが、決して恋愛対象ではない。
「へぇ。初恋はお母さん、セカンドラブは幼稚園とか学校の先生だったり? すっごいマセガキじゃん。かわいい~」
わかばが口元に手を当て、くすくすと笑う。
奏介はにっこりと笑ってわかばを見る。
「放って置くとどんどん調子に乗るよな」
奏介はわかばの顔を下から覗き込むような動作をする。
「うぐっ」
「また俺とやり合うか? ん?」
「滅相もありません。ごめんなさい。調子に乗りましたっ。てか、怖いっ、その顔怖いからっ」
その日はそのまま帰路についた。
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