第91話食事で悪質な嫌がらせをするシェアハウス住人に反抗してみた1
風紀委員会議が終わり、メンバーが全員席を立ったところで奏介はスマホへ視線を落とした。
「そういえば、相談窓口の話だったわよね?」
隣に座っていたわかばが問うてくる。
「ああ、東坂委員長の仕事が終わったら、話を聞きに行くんだ」
「あたし、この後に用事があるのよね」
何やら思い悩むように眉を寄せる。
「無理に来なくても大丈夫だぞ」
現在、相談窓口担当は奏介の他にわかば、田野井となっている。
「そう? 今日は田野井先輩もいないけど」
「まぁ、仕方ないよ」
「そうね。あんたなら上手くやるでしょうし。あ、でも気を付けなさいよ。自分のことじゃないと言い返すの躊躇うでしょ?」
奏介は呆れ顔だ。
「他人事なんだから、言い返す前に考えるのは当然だろ」
「でも、その時じゃないと効果がないってことはあると思うのよね」
「まぁ、否定は出来ないけど」
「でしょ? それをサポートしてあげれば……」
するとわかばは少し考えて、
「やっぱりついて行こうかしら」
「は? なんで」
わかばは人差し指を立てる。
「あたしならあんたをコントロール出来そうだし」
「お前、牛乳に沈めるぞ」
わかばの肩がビクンと揺れた。
「ど、どういう脅しなのよっ、現実的じゃないのに怖いじゃないっ」
奏介が無言で見ていると、
「いや、あの、すみません」
わかばが折れた。
「ん。その口の滑り具合は反省しろよ?」
とは言え、わかばの性質なのだろう。
「ほら、僧院が迎えに来てるんだから帰れ」
「え、ヒナ? なん……!?」
会議室の戸が少しだけ開いていて、ヒナがこちらを覗いていた。他の風紀委員はほとんど帰ってしまっている。
「な、何してるのよ」
するとヒナは隙間からするりと会議室へ入ってきた。
「いやぁ、なんか、わかばと菅谷くんがもつれてたから」
「変な言い方するの止めなさいっ。あーもういいわ。帰るわよ、ヒナ」
わかばは会議室の戸を開ける。
「ねぇねぇ、菅谷くん」
服の裾を引っ張られる。
「ん?」
「ちょっと相談があるんだ。今度、話聞いてくれる?」
「相談? ああ、それは良いけど」
「ありがと! またね!」
わかばとヒナは手を振りながら帰って行った。
と、すぐに東坂委員長が歩み寄って来る。
「お待たせしました、行きましょうか」
「はい。それで相談者って」
「言っていませんでしたね。山瀬先生なんですよ」
「山瀬……先生ですか」
やって来たのは生徒指導室である。
中へ入ると、ジャージ姿の山瀬とベリーショートヘアの女子生徒が並んで座っていた。
「わざわざすまないな、東坂、菅谷」
どうやら山瀬自身ではなく、生徒である彼女の相談のようだ。
「いえ。こちらは?」
二年の
彼女は机を睨んでいる。
「ああ。柳、相談するんで良いな?」
「……山せんが言うなら、そうしてやるよ」
ぶっきらぼうな言葉遣い。口を開いた瞬間、ヤンキー娘っぽさを感じた。
「よろしくお願いしますね、柳さん。それで、何を困っているのですか?」
東坂委員長が笑って声をかける。
「……あたしの実家は田舎で通えないから、この辺に部屋借りてんだよ。でも親が一人暮らしは心配だとか言って、シェアハウスに住んでんだ。一緒に住んでる奴らとは仲良くやってるつもりだったんだけど、食事の時に色々嫌がらせされるようになってさ」
シェアハウス、数人でシェアしながら暮らす貸家だ。個人部屋とフリースペースで構成され、キッチンやバスルーム、トイレは共同。マドカの住むシェアハウスでは夕飯だけはフリースペースで全員集まって食べるということになっているらしい。
「具体的にはどういう?」
「あたしの飲み物や料理だけ、凄い量の調味料が入れられて、昨日なんかまったく手をつけられなかったよ。食費は払ってるのに昨日はコンビニのおにぎりでね」
マドカは悔しそうに唇を噛み締める。
「それは酷いですね……。何か心当たりはあるのですか?」
「男三人、女はあたし含めて四人で住んでるんだけど、一人から告白されたんだ。それを断ってから、だね」
どうやら恋愛系の面倒臭い揉め事のようだ。
「でも、なんであたしだけやられてるのかわからないんだ」
奏介は眉を寄せた。
「全員から攻撃されてるんですか?」
「ああ。集中砲火ってやつだよ」
それはおそらく、振られた腹いせに他の住人を巻き込んだのだろう。
「あらあら……。食事にイタズラするなんて」
「柳は陸上部なんだが、影響が出始めててな。ここ数日、まともに食事を摂れていない状況だ。昨日、陸上部顧問とおれが柳を問い詰めてようやく聞き出したんだが、教師が出ていく幕でもないだろう? 余計にこじれる前に同じ立場の生徒である風紀委員に頼むのが良いかと思ってな」
確かに学校外のことだし、かと言って警察に届けるほどのことではない。とはいえ、かなり悪質だ。ちなみに、マドカは親には頼りたくないとのこと。
ふと思う。こうしたトラブルは本来、どこへ相談すべきなのだろう?
「分かりました。何か対策を練りましょう」
東坂委員長はそう言って山瀬を見る。
「あぁ、すまないな」
奏介は挙手した。
「あの、引き受けるのは構わないんですけど、柳先輩はどういう状態に落ち着きたいですか?」
「どういう状態って?」
「俺達が問題に首を突っ込むことで状況は変わると思いますけど、最終的にどうなってほしいかです。また皆で仲良くやりたいのか、嫌がらせを先導している人間を追い出したいのか、矛先を自分から誰かに変えたいのかってところですね」
山瀬とマドカは考えていなかったらしく、目を見開いた。
「それは……」
マドカは答えを出せないようだ。
「いや、そうだよな。菅谷の言う通りだ」
山瀬も腕を組む。
「俺個人の意見ですが、そこまで拗れていると、住人同士の関係を完全に修正するのは無理ですよ。どんな話し合いをしたって一度いじめが発生したコミュニティは正常に動きません。ましてや話し合いで解決なんてしませんよ。俺はそう思っています。でも、柳先輩の希望次第では努力はします」
奏介の真っ直ぐな視線にマドカは息を飲み込んだ。
「……皆で、また、仲良くやりたい。追い出すなんてしたくない」
一番難しい希望だった。奏介は内心でため息を吐く。
「わかりました。でも、その過程で少し揉めるかもしれませんが、それは構わないですよね?」
「あ、ああ」
生徒指導室を出て山瀬と分かれる。
「じゃあ、明日にでもお邪魔しましょうか。明日なら皆揃いますしね」
「明日か……わかった」
奏介はマドカのその様子に少し考えて、
「いや、とりあえず俺が今日見てきますよ。柳先輩辛そうだし」
寮ではないので、友人を家に上げるのは自由らしい。
東坂委員長は頬に手を当てた。
「そう、ですねぇ。でも、一人で大丈夫ですか?」
「……そうですよね。ちょっと対抗できそうなものを持っていきますよ。丸腰は危ないですしね」
と、東坂委員長に頭を撫でられた。
「こらこら、喧嘩しに行くみたいになっちゃってますよ? そうではなく、菅谷君と柳さんの二人で行くのはあらぬ誤解を招いてしまうのではないかと思いまして」
「ああ、そういう」
奏介自身は構わないが、確かに男子を一人だけ連れていくのはあまり良くないだろう。
と、靴箱辺りに見知った姿が。
丁度、あちらも気づいたらしい。
「あ、奏ちゃーん」
良いところに良い人材が。
奏介、詩音、マドカの三人で昇降口を出る。
「風紀委員のお手伝いね! 了解」
この後用事はないらしいので付き合ってもらうことにした。すると、マドカが小声で、
「この子ってよくお前と一緒にいるよな? 彼女か?」
「いや、ただ家が近所で幼馴染ですけど……もしかして先輩と俺、話したことありましたっけ?」
「いや、菅谷ってまさ兄のダチだろ? 校内で見かけるからな」
「まさにい……あ」
察する。やはり、ヤンキーっぽさは気のせいではなさそうだ。
「なんなら、針ケ谷も呼びましょうか? 知り合いなら力になってくれるかも」
「えっ、いや、でもこんな下らないことでまさ兄の手を煩わせるのは」
「……あいつの方が年下ですよね?」
また友人の謎が増えてしまった。
シェアハウス、クロードハイツ。
奏介、詩音、真崎、そしてマドカの四人は共同玄関の前に立った。
「シェアハウスとか初めて入るかも!」
詩音が目を輝かせている。
「ただ遊びに来てもらうだけなら手放しで歓迎するんだけどな。言った通り、アタシは厄介者扱いだ、肩身の狭い思いをさせたらわりぃな」
「てか、マドカ、なんでそんなことになってるんだ? そんな酷い振り方したのか?」
そう問うたのは真崎である。
「い、いや、普通だって。あたしは今陸上が楽しいから、誰かと付き合う気はねぇって伝えたんだ」
まっとうな理由だ。恋愛以外に夢中になって頑張りたいものがあるのだから、告白を断るのは仕方のないことだ。
「うーん。逆恨みってやつだね。さすがに酷いなぁ」
詩音が言って、
「とにかくあたしの部屋に行こうぜ」
今日は下見だ。このメンバーならただの後輩達だと思ってくれるに違いない。
玄関から廊下を通り、フリースペースへ。普通の家のリビングほどの広さ、ソファやテレビ、奥には共同キッチンが見える。
「お! おかえり、マドカ。あれ、友達?」
「マドカちゃん、夕飯何が良い?」
ソファで話していた大学生くらいの男女が笑顔で聞いてくる。
「……ただいま。夕飯は……お任せするよ。手が必要なら手伝うから声かけて」
マドカは抑揚のない口調で言う。貼りつけたような笑みだ。
「今日、当番は磯原だから大丈夫だって。じゃあ、楽しみにしててね! お友達さん達ごゆっくり~」
見送られながら、マドカの個人部屋へ。
「……はぁ……」
マドカは暗い顔で肩を落とした。
「な、なんか事情を知ってると怖いね」
詩音が怯えたようにドアの方へ視線を向ける。
「ああ、まだ険悪な方が分かりやすくて良いよな……」
真崎も不気味さを感じているようだ。奏介も同意して頷く。
ここの住人達の底意地の悪さを垣間見てしまった気がする。
「柳先輩に対して、基本的にあんな感じなんですか?」
奏介の問いにマドカは頷く。
「雰囲気は嫌がらせされる前から変わらねぇよ。表面上はって言うんだろうな」
それが逆に堪えているのだろう。
と、ドアがノックされた。
「ねぇマドカちゃん。お友達さんもご飯食べてく? 材料あるから作れるけど」
「え」
固まってしまうマドカ。奏介は聞いてきた彼女に笑顔を向けた。
「良いんですか? ごちそうになって」
「うん、もちろん。じゃあ作るね。今日、三人いないから丁度良いよ」
そう言って、ドアはしまった。
「奏ちゃん、やる気だね!?」
「下見じゃなくてなんか今日で決着つきそうだな」
詩音と真崎の反応にマドカは戸惑う。
「え、どういう風に決着つくって?」
「針ケ谷君、甘いよ! 今回奏ちゃんはこのシェアハウスの人間関係の修復を任されてるらしいんだよ」
真崎は目を瞬かせ、
「それ、風紀委員の仕事か?」
「やっ、まさ兄違うんだ。前みたいに皆で仲良く出来れば良いって思っただけで、出来ればって話だから。無理なら……良いんだ」
この場所、または人に、何か思い入れがあるのだろう。
昔のように戻れれば良いというのは誰でも思うことだ。
「柳先輩、期待はしないでくださいね」
「わかってる」
やがて、夕飯の誘いが来た。
フリースペースにて。奏介達はテーブルを囲んでいた。奏介の右隣が詩音、順に真崎、マドカ、磯原、眉墨、小豆だ。
メニューはサラダ、パスタ、クラムチャウダーだった。
「はぁあっ、美味しそおぉ」
詩音が両手を合わせた。ミニシーザーサラダにミートソースボロネーゼ、そしてスープカップにクラムチャウダー。それらが目の前に置かれる。
「俺が作ったんだ」
得意気に言うのは磯原いそはらという男子大学生である。
「はいはい。分かってるわよー」
そう応えたのが小豆あずき。こちらは社会人一年目だそう。
「料理だけは上手いよねぇ~」
笑いながら言ったのが磯原の同級生の眉墨まゆずみ。今日はこの三人とマドカだけらしい。
奏介は詩音、真崎と視線を交わす。マドカにはいつもと同じようにしていてもらい、怪しい動きがないか三人で見張る。
「よーし、準備おっけーね! てゆーか、磯原さぁ、お客さん多いからって気合い入れすぎじゃない?」
「それ思ったぁ、昨日は牛丼にしようとか言ってたくせに~。見栄っ張りだよねぇ」
小豆と眉墨がちゃかすように言う。
「うっせ。ほら、食うぞ。いただきまーす」
全員で両手を合わせて、フォークに手をつける。
「君ら、マドカちゃんの後輩なんだっけ? もしかして陸上の?」
小豆の質問に、真崎が苦笑を浮かべる。
「いや、俺は小学校が一緒でマドカ先輩には随分と世話になったんですよ」
二人を見ていると、世話をしたのは真崎なのではないだろうかと思う。とにもかくにも雑談をし始めてくれたので、こちらは見張りに集中しよう。
「ねぇ、奏ちゃん」
詩音、小声で。
「ん?」
「色、違うよね」
気づかれないように見ると、マドカのボロネーゼだけソースの赤が濃い。
と、マドカがフォークでパスタを絡めて口へ運ぶ。
「がふっ」
マドカは手にパスタを吐き出してしまったようだ。
「げほっけほっ! うう」
「マドカちゃん、もしかして口に合わなかった? なんか最近ごめんねー」
「もー、磯原酷いー」
「あーあ、可哀想に」
咳が止まらず、マドカは苦しんでいる。
「マ、マドカ先輩」
真崎がそう声をかけて、出されていた冷たいお茶を飲ませようとするが、
「あふっ」
そのお茶も吐き出してしまった。
「柳先輩、大丈夫ですか?」
詩音が青い顔でハンカチを差し出し、背中をさする。
「う、はっ……だ、大丈夫だ。ありがと」
奏介は尋常じゃない様子のマドカを見、ゆっくりと他三人へ視線を向ける。
彼女達はすでに三人で雑談を開始していた。
「でさー、今度皆で」
「いいね、それ! あそこの美味しかったし」
奏介は目を細める。
(こいつら……本当に)
まずい料理を出されるなんてものではない。マドカのこの反応は異常だ。刺激が強い系の調味料を大量に入れられている可能性がある。
徐々にマドカの症状は治まってきたようだ。
「な、なんか、変なところに入った」
「しょうがないよ、マドカちゃん、むせやすいもんねー」
奏介の隣の小豆が笑顔で言う。
思った以上に悪質だ。徐々にエスカレートして感覚が麻痺してしまっているのだろう。
マドカはうつむいたまま震えている。
「あの、お水もらえますか? 柳先輩、お茶も口に合わないみたいで」
詩音がこちらを気にしながら三人に言う。
「あ、じゃあ持ってきてあげるね」
小豆がにっこりと笑って立ち上がったので、奏介はポケットから小瓶を取り出した。クラムチャウダーのカップを持ってスプーンですくい、口に流し込みつつ、カップをテーブル下へ移動させる。飲んだ分、小瓶の中身をたっぷり注ぎ込み、自分のテーブルへ戻した。
そして、
「あれ? 誰かお風呂に入ってるんですか?」
そう声をかける。
「え? いや、今日他のやつらいないし」
磯原が不思議そうに首を傾げる。
「でも、あっちから音が」
指で示して全員の視線をそらしたところで隣の小豆のクラムチャウダーと自分のそれを入れかえる。
「あー、さっきの音だよな? おれも聞こえた」
「うんうん、気のせいだったのかな?」
事情を知っている詩音と真崎はすぐに気づいて合わせてくれた。
そして、戻ってきた小豆が食事を再開する。マドカは警戒しているようで、小豆の持ってきた水のグラスには手をつける気はないらしい。
「あたし、もう部屋で休む」
「大丈夫ですか?」
そんな様子をニヤニヤ見ていた三人だが、
「調子悪いなら、寝ちゃった方が良いかもねー」
小豆はそんなことを言いつつ、クラムチャウダーを一口。その瞬間、
「ぶあはっ!!!?」
潰れたヒキガエルのような声と共にテーブルに、小豆が噴き出したお酢入りクラムチャウダーの雨が降り注いだ。
奏介はそんな小豆の様子を冷たい目で見ていた。
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