第279話未婚のシングルマザーを馬鹿にする主婦達に反抗してみた1

 夕暮れ時。

 金出かなでチサキは6歳になる息子のこうを連れて、自宅のアパートへ向かっていた。今さっき保育園から連れてきたところだ。

(はぁ……)

 今日は金曜日、疲れが一気に出る。フルタイムで働けるようになってからは金銭面に余裕が出てきたのは良いが疲労でまともに料理もしていない。

「ママー、今日ご飯は?」

「ん? えーっと、ハンバーグかな」

 冷凍庫に保存してある冷凍ハンバーグを思い浮かべながら。

「えー? 昨日もそうだったじゃん」

 最近幸は口が達者になってきた。子供とは言え、正論を返されるとたじたじになってしまう。

 チサキは苦笑を浮かべる。

「そうだっけ? ごめんごめん。じゃあ、宅配ピザにしようかなー」

「! ほんと? やった〜」

 チサキはスマホで手早くピザの注文を済ませる。

「ママ疲れちゃってさぁ。休みの日は何か作るから許してねー」

「まぁ、ママは頑張ってるよね。それはそれとしてピザは毎日でも良い」

「それはなしだから」

「えー?」

 付き合っていた男性がチサキの前から消えたのは幸がまだお腹にいた頃。すでに堕ろすこともできず、両親の反対も聞けずに産むことになった。

 幸が喋れない頃はあまりの孤独に毎日泣いていたが、今の彼は立派な一人の人間だ。意思があり、会話が出来る、本当に成長したと思う。

 と、幸と繋いでいた手が離れた。

「あ、お菓子買っていこうよ!」

 しまった、と思った。

 いつも立ち寄る駄菓子屋チェーン店。道の反対側に見つけた幸がそのまま信号のない横断歩道を渡ろうとする。

 エンジン音、視界の端で黒い塊が迫っていた。信号がないということは、運転手に停止するか否か判断が委ねられる。あのスピード、止まれる?

(待って)

 黒い乗用車が、幸の……。

「危ないっ」

 向こう側から渡ってこようとしていた高校生がとっさに幸の手を前に引いて、間一髪で避けた。そのままブレーキもかけず、車は走り去って行った。

 思わずへたり込むチサキ。

 幸はとんでもないスピードで走り去った車に固まっていた。

「大丈夫か?」

 手を引いてくれた高校生が声をかけてくれる。

「う、うん。びっくりした」

「さっきの車危ないな」

 そう言いつつ、彼は幸をチサキのところへ連れてきてくれた。

「あの、大丈夫ですか?」

 地面に座り込んでいたため、かなり心配そうに問われた。

「え、ああ……大、丈夫。ありがとうございました。息子が……」

 今になって、心臓の音が早くなってきた。

 もしあのまま幸が車に轢かれていたら?

「幸っ」

 人目も憚らず、抱きしめる。

「ご、ごめん。横断歩道だったから」

「うん。うん……。それは偉かったよ」

 高校生の名前は菅谷奏介。家の近くまで送ってくれると言うことで、幸の手を引いてくれている。

「あ、コンビニ寄って良い?」

 送ってくれている途中だったので、奏介からは「何言ってんだ?」という目を向けられてしまったが、押し切った。

(お礼くらいしないと)

 3人でコンビニへ。

「えーと、幸はお菓子1つ買っていいからね。ちょっと買い物させて」

 その一言で奏介は何か察したようだ。

「あ、じゃあ幸君とお菓子選んでますね」

「あ、ありがとう」

 出先で幸の面倒を見てくれる人がいるという状況は不思議だ。

(結婚できてたらな……)

 奏介へのお礼と、切らしていた日用品を何点か。

 休日前に買い物が出来たので、土日は余裕が出来そうだ。

 コンビニを出て、再び家へ。

「へぇ、高1なんだ。その制服は桃華?」

「はい。ちょっとこの辺に用事があってたまたまいたんですよ」

「そっか」

 通学路というわけではないらしい。本当に偶然、助けてもらえたのだ。

「奏介ってピザ好き?」

 幸が嬉しそうに問うてくる。

「ピザ? まぁ好きかな」

「今日さ、うち夕飯ピザなんだよ。奏介なら食べて行っても良いよ!」

「食べて行きたいけど、家に夕飯用意されてるからちょっとね」

「えー?」

「俺が食べちゃうと幸の分が減るだろ?」

「いつも余るしー」

 弟や妹がいるのか、子供の扱いに慣れているような気がする。まさに、お兄ちゃん、という雰囲気だ。

(幸に兄弟、かぁ)

 選択肢すらない世界である。

 と、前方に。

「!」

 チサキはつい、足を止めた。

 一軒家の前で話し込んでいる主婦が2人。チサキのアパートと同じエリアに住んでおり、ゴミ出し当番などで顔を合わせることがある。

「どうかしました?」

「ママ?」

 2人が不思議そうにこちらを見てきたので、慌てて歩き出す。

「ごめんなさいね。行きましょ」

 あまり関わりたくないのだが、ある理由から目の敵にされているのだ。

(知らない振り知らない振り)

 しかし、すぐに気づかれてしまった。

「あら、お帰りなさい、金出さん」

 見ると、2人はニヤニヤと笑っている。バカにしたような口調に腹が立つが相手にするのは良くない。

「こんばんは」

 愛想笑いを返し、

「失礼します〜」

 ぺこぺこと頭を下げ、歩き出す。するとヒソヒソ声。

「自分から挨拶も出来ないのかしら?」

「結婚せずに子供作るような人だし、常識なんか無いのよ」

「そうよね〜。片親の子供なんてろくな大人にならないわ」

 チサキはギリっと奥歯を噛み締めた。

「ちょっと、さすがに息子をバカにするのは止めて下さい。聞こえるように言うなんて」

 泣きそうになるが、ぐっと堪える。

「はぁ。何、突然絡んできて? 息子をバカにする? バカにしてるのはあんたでしょ。一人じゃまともに子育てなんか出来ないのよ」

「そうそう、両親揃っての親子だものね。片親の子供は不幸になんのよ」

 クスクスと笑い合う。

(何それ? 確かに結婚前に子供ができたのは私の責任もあるけど、婚約してたのに逃げたのはあのクソ野郎なんですけど)

 不幸。幸せになって欲しいと考えてつけた名前すらバカにされてるような気がする。

「ていうか男連れ? さすが、だらしないシングルマザーね。誰とでも寝ちゃうのかしら」

「高校生じゃない? いくら独身だからって。ねぇ?」

 奏介の目がすっと細まった。

 ニヤニヤ、ヘラヘラしている彼女達に一歩近づいた。

「初対面ですよね? 俺と金出さんを見て寝ちゃうのかしらって、下ネタですか? こんな道の真ん中で下品なこと言うの止めてもらえます? この変態おばさんが」

 表情が変わる。

「は? 失礼な」

「失礼はそっちでしょ。一人で子育て頑張ってる金出さんを攻撃する前に、両親揃って子供を虐待してるクソな家庭に乗り込んで文句行ってきて下さいよ。まぁ、虐待されてたとしても両親揃ってれば子供は幸せなんて考えてるような頭おかしいヤツにはそんなこと出来ないでしょうけどね」

 奏介は肩をすくめた。

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