第7話暴力虐待男に殴られたので反抗してみた1

高坂こうさかあいみが母親と二人で住んでいる部屋は最上階の七階らしい。鍵は管理人に借りて、あいみと一緒に向かうことにした。


 ちなみに何故か詩音も付いてきた。


「えぇ……それってなんか公開虐待?」


 一連の出来事を話すと詩音も引いているよう。他人の目があるところで子供を殴ったのだから、そう言われても仕方ないだろう。


「わたしが悪い子にしてるとお母さんああなる」


 あいみは申し訳なさそうにうつむく。


「あ、あいみちゃん……」


 奏介と詩音は顔を見合わせた。かけてやる言葉が出ない。ぽつぽつ会話をしているうち、七階の707号室へ着いた。


 管理人に借りた鍵で開けて中へ入ると、


「何、この臭い……」


 家の奥から漂ってくるのはタバコと生ゴミの臭い。廊下にはごみ袋や食べ物の袋などが散乱している。


「ここであってる?」


 奏介が引き気味に問うとあいみはこくりと頷いて靴を脱いだ。彼女についてリビングらしき広い部屋へと入る。ここでもごみ袋や生ゴミ、ハサミ、カッターなども落ちている。


「あった」


 あいみがソファの上にあったウサギのぬいぐるみを抱き抱える。


 幸いなことに目当てのものはすぐ見つかったようだ。


「ねぇねぇ、掃除してないってレベルじゃないよね?」


「ああ」


 この惨状は病的だ。あの母親の精神状態が知れる。


 と、あいみが奏介達のそばに戻ってきた。


「ウサギさん、見つかったし、奏ちゃんちに戻ろっか?」


「うん」


 ここにいたい、などと言われなくて助かった。奏介はほっとして、玄関へ戻ろうとしたのだが、


「おい、かやみはどうした?」


 キッチンの横の引き戸が開いて、出てきたのはスウェット姿の無精髭の男。三十代だろうか。


 三人を見るやいなや、不機嫌そうに舌打ちをする。


「なんだ、お前ら?」


 ドスの聞いた声にあいみは震えて詩音の後ろに隠れた。


「おい、あいみ。かやみはどうした」


 あいみは青い顔で首を横に振る。どうやら知り合いではあるようだが、あいみの印象は良くないらしい。


「勝手にあがってすみません。あいみちゃんのお父さんですか?」


 推測するにかやみというのはあの母親だろうか。


「どうでも良いだろ。あいみ、こっちへ来い。なんだか知らねぇがお前らは帰れよ」


 母親の交際相手か親戚の人間だろう。たまたま来ていたのか、はたまた。


「やだ……」


 そう呟いたのはあいみだ。


「痛いの、やだ」


 詩音の腰にしがみつくあいみの顔は驚くほど恐怖に染まっていた。この世の終わりでも見たかのよう。尋常じゃない怯え方だった。


 奏介は詩音達の前に立った。


「もしかして、あいみちゃん相手に手をあげてません? あなたのことを怖がってるみたいですが」


「あいみが言ったのか? ただのしつけだしつけ」


 奏介はあいみを見た。


「あいつに何されたの? 言って良いよ」


「……頭、バンされた。後、足でお腹蹴られた」


 詩音も絶句しているようだ。どうやらこの場所で日常的に虐待が行われていたよう。


「しお、まだ一階にお巡りさんと管理人さんいるから連絡してきてもらって」


「う、うん」


 そう小声で言った奏介は男に歩み寄った。


「しつけの意味わかってます? あなたがやってるのってただの暴力ですよ」


「なんだぁ、てめぇは。偉そうに。何が言いたい?」


「あいみちゃんとどんな関係か知らないけど、子供を殴るやつはクズだって言ってんだよっ」


 その瞬間、左頬に衝撃が走った。浮遊感、刺すような痛みと微かに感じる熱、気づけばごみ袋の山に突っ込んでいた。あの一瞬で殴り飛ばされたようだ。


「奏ちゃんっ」


 悲鳴のような詩音の声に、奏介はなんとか体を起こした。


「だ、大丈夫?」


 肩を支えられる。殴られた頬に鈍い痛み、頭を打ったのか側頭部に軽い痛みがある。


「ああ」


「! ち、血が出てるよ」


 奏介の二の腕から手にかけて、血液が流れていた。


「おい、口の聞き方に気を付けろよ。ガキが」


 ゆっくりと、男が近づいてくる。


「ほんとのことを言ったんですけど、図星でした?」


 奏介が笑いながら言うと、男の眉がぴくりと動いた。


「っ、まだその口が動くか」


「誰でも殴れば黙りますもんね。とりあえず暴力振るっとけば解決ですよね?」


 男は足を止めた。


「てめぇ……」


「なんなら、ここで俺を殺してみます? お怒りみたいだしなんか、そのつもりになってきてますよね」


 奏介は立ち上がった。


「やっても良いですよ。その結果あいみちゃんがしつけという暴力から逃れられて、あなたを牢屋にぶちこめるのなら、それでも構わないですよ。突発的な殺人で逃げ切れないし、あなたの頭じゃ警察を騙すなんて絶対無理です。殺人犯になりたいならどうぞご自由に」


 男は殺意の目を奏介に向ける。


「ちょっ、あ、え、あ……」


 詩音は奏介を止めようとするが、言葉が思いつかないようだ。


「言うじゃねぇか。マジで死にたいようだな」


「別に死にたくはないですけど、殺したいんでしょう?」


「……」


「ほら、試しにやってみたらどうです? 俺が殴られて苦しむ様子を見たいんですよね? あなたには暴力しかないですしね? 頭を使うのも苦手そうだし、ていうかバカそうだし」


 これからやろうとしていることを言い当てられた上に煽られ、男は動けないでいるようだ。暴力を振るうことに対して徹底的に侮辱されたのだ。その行動を取ったら負けだろう。


 そうこうしているうち、お巡りさんがリビングに飛び込んできた。すぐに奏介の元へ駆けてくる。


「……! 君大丈夫か!?」


 流れる血を見て、男へ視線を向けた。


「お前、何をした? 切りつけたな?」


 それからは一瞬だった。交番勤務とは言え、さすが警官。背負い投げからの腕をひねりあげ、男を床に組み敷いたのだ。


「ぐあ……」


「お前を逮捕する」


 お巡りさんは容赦なく男の手首に手錠を嵌めたのだった。


 場の緊張が緩む。


「は……はぁ~」


 詩音がふにゃふにゃと床に座り込んだ。


「いつつ。さすがにやり過ぎたかな」


 奏介は傷口を見てから、持っていたハンカチで押さえた。


「そうすけ君、痛い?」


 あいみが不安そうに見上げてくる。


「大丈夫だよ」


 奏介は笑って言って、


「しお、ちょっとあいみちゃんを俺の家に連れてって。あんまりここにいさせたくない」


「わ、わかった! 救急箱持ってくるから動かないでねっ」


 詩音とあいみが出て行くと、お巡りさんが男を手錠で柱にくくりつけていた。


 トランシーバーを取り出す。


 どうやら応援を呼ぶようだ。


「おい、てめぇ、名前教えろ」


 男がこちらを見ていた。


「いや、なんでですか。後で復讐にでも来るつもりですか?」


 奏介は呆れ顔で言う。


「ああ、そうだな。てめぇを殺しに行く」


「なら名前なんて教えるわけないでしょ」


「……そんなひょろガリで、オタクくせぇ見た目してなんでその度胸が出てくんだ? おれが、怖くねぇのか?」


「失礼な。怖い怖くないの前にムカついたんですよ。あんな小さくてまだ何も出来ないあいみちゃんに酷いことしてるかと思うと許せなかったんです」


「……そうすけとか呼ばれてたな」


 どうしても名前が知りたいらしい。


「俺の周りの人に、あなたに殺されるかもしれないって遺言残しておきますね。殺人犯になりたい時はいつでもどうぞ」


 奏介はこほんと咳払いをした。


「菅谷奏介といいます」

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