第56話昔告白されて振った男子を騙して付き合ってみた6

 小学生の奏介はドアの閉められたロッカーの中で泣き出していた。まだ外にはクラスメート達の気配がある。


「だ、だしてよっ、置いてかないでっ、暗いよっ、怖いっ」


 必死にドアを叩くが、助けてくれる気配はない。


「気持ち悪いです」


「……へ?」


 檜森リリスの声だった。半笑いだ。


「ちょっと優しくしたくらいで、好きなんて言われても困るんですよ。その中で反省して下さい」


「檜森さんと釣り合うわけないのにねー」


「自分でわかんねーバカって怖いわぁ」


 口々に奏介を侮辱する言葉を吐くクラスメート達。止めてくれる者はいない。


「さ、皆さん行きましょ。これで少しは教室がすっきりします」


「だなー」


「いこいこ」


 奏介は泣きじゃくっていた。


「お、お願い。檜森さん、助け」


 リリスは鼻を鳴らした。


「助けるわけないでしょう? あなたのような人を」








 暗くなりかけた桃原高台公園。


 リリスは突然の宇津見達の呼び出しで公園へ向かう前の階段のそばへ来ていた。昨日奏介と座ったベンチのそばを通り、公衆トイレの方へ。


「いないじゃないですか」


 スマホを見るが、追加の連絡はない。


 と、トイレの中から誰かの声が聞こえてくることに気づく。


「……すけて」


「! え?」


 振り返る。


「誰かっ、開けてっ、鍵がっ」


 トイレのドアを叩く音がしていた。女性の声だ。とっさにトイレの中へ駆け込む。どうやら奥の掃除用具入れからのようだ。


「だ、大丈夫ですか!?」


 宇津見に呼び出されたという認識だったためか、彼女が閉じ込められてしまっていると勝手に思い込んでしまった。


 掃除用具個室のドアを開けると、手首を掴まれた。


「へ?」


 目の前に映ったのは奏介の顔。


 掴まれた腕を思いっきり引っ張られ、掃除用具の個室の中へ引き込まれる。その際に手にしていたスマホは床に落としてしまう。彼はそれと同時に外へと出て、


「あ!?」


 リリスの前でドアが勢い良く閉められた。


「え、あっ、やだ!?」


 慌ててドアを開けようとするが、外から鍵をかけられたらしい。奏介はドアに背をもたれていた。


「やあ、リリスさん。ちゃんと来てくれて嬉しいよ」


「そ、奏介、君?」


「宇津見さんに裏切られて可哀想に。リリスさん、売られちゃったみたいだね」


 リリスは呆然とする。


「……へ?」


「ここへ呼び出されたんでしょ? 宇津見さんにさ」


 スマホのメッセージは確かに宇津見からのものだった。


「ま、まさかあなたが脅して」


「脅すなんて人聞きの悪い。宇津見さん達は喜んで俺に協力してくれたよ? その前に締めたけどね」


 ドアの向こうにいるのは、小学生の頃にいじめられていた菅谷奏介のはずだ。それなのに、何故、体が震えるくらい恐怖を感じるのだろう。


「っ……わ、私をどうするつもりですか?」


「どうする? そうだなぁ。まずは保護者の方が心配しないように、メッセージを送ろうかな?」


 リリスは気づく。スマホは先ほど床に落としてしまった。掃除用具の個室の中にそれは見当たらない。


「まさか、私のスマホを」


「はい、完了。お友だちの家にお泊まりするって送っといたよ」


 リリスは顔を青ざめる。


「お、お泊まり?」


「するでしょ? そこで一晩」


 リリスは目を見開いて、力の限りドアを叩いて来た。


「うそっ、嘘ですよね!? そんな酷いこと」


「覚えてないみたいだから言うけど、俺はロッカーに二日近く閉じ込められてたんだよね。それについて、何か言うことはある?」


 リリスは奏介が何を考えているか気づいてしまい、息を飲み込んだ。


「子供の頃の、じ、事故じゃないですか? だって、ドアが壊れていたから出られなくなってしまっただけで」


「だけで、何? つまり自分は悪くないと、むしろ俺自身が、菅谷奏介が悪かったとでも? へぇ、そういうこと言うんだ。この状況でさらに喧嘩売ってくる奴は初めてだなぁ」


「い、言ってませんっ!!! た、ただ不幸な事故だったと、間違ってもあなたが悪いなんて思っていませんっ」


「そう。なら良いけど。でも、懐かしいなぁ。身動き取れない真っ暗な空間で一人、食べ物も飲み物もない状態で閉じ込められてさ、辛くて頭がどうにかなりそうだったんだよね。それを考えるとその中って快適じゃない? バケツの水を組むための汚い水道はあるし、寒さを凌ぐためのビニールシートなんかもある。一週間くらい余裕でしょ」


「い、一週間!? ま、待って下さい。そんな、嘘ですよね」


 すでにリリスは涙を浮かべていた。


「あはは、まあ、それは冗談だね。ていうか、何本気にしてんの? お前らがやったみたいに、ロッカーに閉じ込めて誰かを殺してやろうなんてサイコパスな考え持ってないから」


「こ、殺してやろうなんて思っていませんっ!! あれは小学生の頃の……ご、誤解です。全部誤解ですよっ」


「良いよなぁ、小学生は。殺人未遂やらかしてもお咎めなしだもん」


「そ、そんな、クラスメートを殺そうなんて思っているわけないじゃないですかっ、れ、冷静になって下さい。考え過ぎです」


「考え過ぎねぇ。思ってるわけないって言われても、俺はそう思ったし。こっちがそう思ったならそれが事実だろ? お前がどう思ってたかなんて知らねぇんだよ」


 奏介の声が低くなった。


「そんな怯えなくても、今回は一晩で勘弁してやるよ。朝には迎えに来てやるから安心しろ。この国に法律があって助かったな? もし、それがなかったらお前どうなってたかわからないぞ?」


「ひ、ひぅっ」


 奏介がトイレを出ていこうとする足音が聞こえた。


「ま、待って、置いていかないで下さい」


「あんまりドンドンうるさいと、この辺を歩いてる変質者さんが助けに来ちゃうかもしれないよ?」


 リリスは動きを止めた。


「それじゃ、おやすみ。リリスさん」


 絶望的に、柔らかい声音だった。そうして、トイレ内の電気が落とされた。




 真っ暗で明かりもない。連絡手段もない。時々近くを通る柄の悪そうな連中の笑い声、無気味な鳥の鳴き声。狭くてほとんど身動きが取れない。すえた匂いが鼻について吐き気がする。


「……ごめんなさい……お願い……助けて」


 リリスは声を殺して、泣き続けた。







 朝日が登って雀が鳴く頃。奏介は掃除用具個室のドアをゆっくりと開いた。


「……」


 座り込んでいたリリスは涙でグシャグシャになった顔をゆっくりと上げる。


 その様子を奏介は見下ろした。


「あ……」


「おはよう。なんだ、結構元気そうだな。もう一日追加するか?」


 リリスは顔を歪めた。首を左右に振る。


「や、やめて。お願いします。もう許して下さい」


 床に両手をついて、泣き出してしまう。


「こんなもんじゃないけど、少しは俺が味わった気持ちわかったか?」


 リリスは泣きながら子供のように何度も頷く。


「はい、もう、凄く、わかりました。だから」


 奏介はリリスの前にしゃがんだ。


「反省したか?」


「は、はい」


「じゃあ、二度と俺をばかにしたり、喧嘩売ったり、騙そうとしたりすんなよ?」


「はい、二度としません」


「誓えるか?」


「誓いますっ」


 奏介の腕を掴んだその手は震えていた。


「許してはやらないけど、今回のことは勘弁してやるよ。でも」


 奏介は笑う。


「今後、やり返してやろうなんて、少しでも考えたらお前ら四人へは容赦しないからな。覚えておけよ」


「うぐっ、ひぐ、……はい。絶対にそんなことしません」


 奏介は息を吐いた。


「じゃあ、帰るか。家まで送ってやる」


「……ふえ?」


 ここで失踪でもされたら、奏介の責任になってしまうのだ。それはあえて言わないが、この仕打ちも法律的に色々アウトなところはある。そう考えると、小学校は無法地帯だった。教師にも問題があったのだろうが。


「行くぞ」


 奏介はリリスを連れて公園を出た。


 彼女はまだくすんくすんと鼻をならしている。


「まったく、どんだけ泣くんだ。何歳だよ、お前」


「だ、だって怖くて」


「一晩で怖いって言われても共感出来ないな」


「う……」


 奏介は肩をすくめた。


「……あの」


「どうした?」


「本当に、あなたは、あの菅谷奏介君なんですか」


「お前、さっそく喧嘩を売るのか?」


「ご、ごめんなさいっ」


 まるで怯える小動物のようになってしまった。掃除用具個室でお泊まりがよっぽど堪えたらしい。


 無事家まで送り届け、家の中へ入って行ったのを確認し、檜森家に背を向けた。


「本当に、法律がなければな」


 奏介は舌打ちをして、歩き出した。

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