第38話父親の説得を頼んでみた3
午後七時過ぎ。
モモはわかば、ヒナ、奏介を連れて、父親の部屋へとやってきた。一時間ほど前に帰宅し、夕食も摂ったらしい。
細い廊下を通って、屋敷の奥の襖の前へ。
モモは膝をついて、中へ声をかける。
「入れ」
襖を開けて中へ入ると、座布団が四つ用意されていた。十畳ほどの和室で、正面に父の創玄そうげんが胡坐を掻いている。部屋着なのか、濃い色の着物を着ていた。いつも感じるが、父親というより祖父のようだ。年齢よりもずっと老けて見える。
そして、その隣にすました顔で座るのは娘のイリカである。先程は高校の制服姿だったが今は私服である。
真新しい畳の香り、独特の風景画に立派な壺、床の間には掛け軸と刀が置かれている。この部屋での思い出は良くないことばかりだ。
「失礼、します」
モモはうつむき加減でそう言って、真ん中の座布団へ正座をする。促されたわかば達も両隣に腰を下ろした。
「さて。話を聞く前にわしの質問に答えてもらおうか」
怒気が感じられた。イリカが薄く笑みを浮かべている。どうやら良いように報告されてしまったようだ。
「イリカ、うちの娘に何か、無礼なことを言ったらしいのう。そこの、小僧」
モモは顔を引きつらせた。自分の代弁をしてくれた奏介に父親の矛先が向いてしまった。
「ち、違うんです。彼は」
やはり、巻き込むわけにはいかない。モモは無意識にわかばとヒナへ視線を向けるが、二人は創玄を睨むように見ている。かなり挑戦的だ。
「無礼なこと、ですか? 記憶にありませんね」
奏介がしれっと言うと、イリカが立ち上がった。
「惚けても無駄ですわよ!?」
「証拠でもあるんですか?」
「!」
イリカは固まる。
「俺が言ったって証拠、あります? まあ、あったとしても、どっちにしろ無礼な発言をしたとは思っていませんけどね。本当のことでしょ」
「くっ、減らず口を。お父様、あいつが言ったのですわ。我が市塚家を侮辱するようなことを!」
「俺はイリカさんに対して、『あなたのお父さんは奥さんがいるのに、雇った家政婦さんに手を出してモモさんを産ませたんですよね?』と言いましたが、これは侮辱に当たります?」
創玄の眉がぴくりと動いた。
「ぶ、侮辱ですわ。ですわよね、お父様っ」
「……小僧、何が言いたい?」
「昨日、モモさんにこの家を出て行くことは許さない、と仰ったそうですね。撤回してモモさんの自由にしてあげてください。この家にいるのが辛いそうですよ」
創玄は目を細めた。
「ならん。うちの娘として預かった以上、他の家へは行かせん。近いうち、須貝の名も捨ててもらう」
モモは表情を歪めた。
正式に創玄の、市塚家の娘として迎えられるつもりらしい。
「お父様には従いますわ。姉である私が、たっぷり、可愛がってあげますわよ?」
にやにやと笑うイリカ。
あまりにも性格が悪い。出て行けとは言わず、この家に拘束していじめるつもりだとは。
「なるほど、でもモモさん凄く嫌がってるようですよ?」
「そんなものは関係ない。わしが決めたことだ。それに、あの女は自分から誘ってきおった。そして、勝手に産んだのだ。一方的に責められるいわれはない。むしろ、その娘を受け入れようと言うのだから、大人しく従うべきだろう」
「ほおら、実際誘ったのは不倫女なんですわ」
「はぁ。……前もこんな話した気がする」
奏介はダルそうに言ってから創玄とイリカを交互に見て、
「誘われたなら断って下さいよ。なんでそれが出来ないんですか」
「ここはわしの家だ。ここで何が起ころうとわしがルールだ」
モモは涙が滲んだのを知られたくなくて、うつむいた。結局、父親の思い通りになるのだ。彼の血を引いてる限り、逃げられない。
「ルールですか。随分と自分勝手な話ですね」
「実の娘をわしがどうしようと貴様には関係ない。モモ、お前はわしに従っていれば良いのだ」
「モモさんはあなたの所有物ではないのですが? ちゃんと自分の意見を持っている人間なんですよ? 娘の気持ちを尊重してあげられないんですか?」
「何を言う? 子供は親の所有物だ。あの女が死んだのだから、モモの所有権はわしに移った。それだけのことだ」
「ところで正妻、奥さんは?」
奏介の、唐突な話題変更に創玄は眉を潜めた。
「奥さんですよ。イリカさんの母親は? どうしたんでしたっけ?」
それについては先程話しておいた。奏介はそのことを知っている。煽りだろう。
「お、お母様は、今は別の場所で」
「逃げられたんでしょ?」
イリカはすぐに黙る。
「自分がルールとか言ってるくせに、逃げられちゃったんですよね? 原因は知りませんけど」
「それが、どうした?」
創玄が唸るように言う。
「いやいや、奥さんは賢いなと思いまして、堂々と他に子供を作る旦那さんなんかと一緒にいたくないですもんね」
「お母様まで侮辱しますのね!?」
「イリカさん、ちゃんと話聞いてます?」
奏介が困惑気味に言う。そして、
「何が言いたいかと言うと、俺は友人として心配してるんですよ。正直、あなたの元にモモさんを置いておいてほしくはないです。誰彼構わず女性に手を出すような輩の元で、モモさんが快適に暮らせるわけがないですから。それに子供を所有物扱い。あり得ないでしょう」
そこから創玄の動きは素早かった。床の間に飾られていた日本刀を掴み、抜刀したのだ。刃先を向けられる。
「菅谷っ」
「ちょ、ちょっとそれは」
さすがにわかば、そしてヒナが声を上げる。
モモは父親の形相に恐怖を覚えていた。それでも奏介は呆れたように創玄を見ている。
「ばっちり銃刀法違反ですね。怒りに身を任せて俺を刺すなり切るなりすれば、あなたの社会的地位はぜーんぶ吹っ飛びますよね。殺人容疑か未遂、会社は倒産、娘のイリカさんは殺人犯の子供として一生後ろ指をさされる」
「どこまでも口の減らない小僧だ。これが脅しだとでも思っているのか?」
「脅しじゃなかったらなんなんですか? この家の中だけ法律が適用されないなんてことは絶対にないですよ」
創玄は怒りに震えている。本当なら、このまま切り捨ててしまいたいのだろう。しかし、それを実行すればどんな未来が待っているか、容易に想像できてしまう。
「……」
創玄はしばらく奏介を睨み付けていたが、
「っ……」
彼は力なく刀を下ろした。そして、
「……にするが良い」
そう呟く。
「お、お父様?」
「好きにするが良い。住み込みでもなんでも、好きにしろ。モモ」
モモは目を見開いた。
「え」
「もうわしはお前に干渉せん」
創玄は刀を畳の上に放った。奏介はその様子を、何も言わずに見ていた。
数日後の放課後。中庭の自販機コーナーにて。
モモと奏介は少し離れて、ベンチに座っていた。
「それで?」
「私、一人暮らしすることにしたの。ヒナのところでバイトしながらね」
結局住み込みは止めたらしい。家は出たようだが。
「援助はしてくれてるから、お金には困らないわ。二十歳までだから大学は行けそうにないけど、今の私には充分」
「援助。意外だな」
「ええ、少し驚いているわ」
「一応父親としての心はあるのかもな。一ミリにも満たなそうだけど」
モモはカフェオレ缶を飲みながら空を見上げる奏介へ視線を向けた。
「怖くなかった?」
「ん?」
「あの時のお父様、本当にあなたを切りそうだったわよ」
「……前に似たような経験があって、その時は冷静でいられなくて、取り返しのつかないことになったことがあるんだよ。その後も何度か。俺はさ、殺人出来る人間なんてそんなにいないと思ってる。あの父親にそんな度胸は無さそうだったし」
「取り返しが、つかない?」
「そう。後、お前らが靴箱に嫌がらせして来たよね? それにも似たような経験がある。小学生の頃」
「あ……」
その言葉の意味はすぐにわかった。
「あの、その時はごめんなさい」
「良いよ。あの土下座で許した」
「……凄いわね。辛い過去があるのに。思い出させてしまって申し訳ないわ」
「辛い?」
見ると奏介は不思議そうにしていた。
「そりゃ辛かったけど、小学生の頃に色々あった奴ら、絶対に許さないから。その内、精神的にも社会的にも二度と立ち直れないようにしてやるよ。だから、大丈夫だよ」
モモは口を半開きにする。
「な、慰めなのかしら?」
「どうだろうな」
笑った奏介は床から見上げた冷たい目をした人間と別人のように見えた。
「ありがとう」
モモはそう言って空を見上げた。
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