第59話金瀬ナルミafter

 最近始めたカフェのバイト。


 最後まできっちりとシフトを終えた金瀬ナルミは更衣室へ向かうところを呼び止められた。


「ごめんなさいね。ちょっと聞きたいことがありまして」


 バイトリーダーの東坂あきらである。トラブルが起こっても彼女に頼めば解決しないことはないという超有能バイト店員だ。パートさん達の評判もすこぶる良い。


「はい」


 裏口の方へ連れていかれる。


「えーと、パートさん達の会話をたまたま耳にしたのですが、最近、誰かにタイムカードを切ってもらって、シフトの退勤予定より早く帰ってるそうですね。それは本当ですか?」


 困ったように。


 ナルミは少し考えて、


「はい。お願いすることもありますねぇ。毎日ではないですよー?」


「毎日ではない、ですか。……じゃあどのくらいで?」


「んー、週三、四日ですかねぇ?」


 サラッと言う。あきらはさらに困ったように眉を寄せた。


「あらあら。……あのですね、金瀬さん。もちろん、急用で早く帰らなければならない時もあると思います。誰かにタイムカードを切ってもらうのも完全に悪いと言うわけじゃないです。でも、そんなに頻繁にお願いしていたら、パートさん達はよく思いません。どうしてか分かりますか?」


「よく思わないって言われても、早く帰りたい時もあるので」


「そうですね。そういう時もあると思います。でも、ここに集まっている人達はお給料のために働いているんです。それはわかりますね?」


 ナルミは頷いた。当然の認識だ。お小遣いが欲しくて始めたのだから。そう話すとあきらはにっこりと笑った。


「ちゃんと理解出来ていて偉いですね。その上でもう少し考えましょうか。タイムカードというのは働いた時間を正確に計るものです。その分お給料が出ますね。でも、金瀬さんがやっていることは、働かないけどお金をもらっているということです。パートさん達はちゃんと働いて、タイムカードを切っているのに金瀬さんだけそういうことをしちゃいけないのはわかりますよね?」


「でも、タイムカードを切ってもらうだけですよねぇ? 別に相手が損をしているわけではないですしー……」


 前のバイト先の同僚にも言われた気がする。その時は動揺したが、よくよく考えてみると、やはり自分は悪くない。そう開き直ったところだ。


「うーん。……もしかして金瀬さんは早く帰りたいんでしょうか?」


「まぁ、そうですね~」


「なるほど、ではこうしましょう」


 あきらは人差し指を立てた。


「店長さんにシフトを短くしてもらうように私から頼んでみます。そうすれば、頼まなくても帰れますよね?」


「え、でも、それだとお給料の額が減っちゃいますよねぇ? それはちょっと」


「……金瀬さん、また明日、店長さんを交えてもう一回お話しましょうか? 今日はもう大丈夫ですよ」


「はあい」


 更衣室へ戻って行くナルミ、あきらは頬に手を当てる。


「あれはわかっていないですね。……どうしたものでしょう。田野井うちのこの方がずっと物わかりが良いです」







 ナルミは帰路についていた。


「あー、今日は働きましたねぇ」


 それはそれとして、あきらに言われたことだけが気がかりだ。タイムカードを切ってもらっただけで何故呼び出しまでされて注意を受けなければならないのか、よく分からない。


 ふと、駅近くのバス停で目が合った。


「!  菅谷、さん?」


 以前のバイト仲間、奏介だった。私服のところを見ると、 彼もバイト帰りだろうか。よく店に持ってきていた鞄を肩にかけている。


「……ああ、どうも」


 すぐに視線をそらされた。


 ふと、ある可能性に気づく。ナルミはジト目で彼を見る。


「もしかして菅谷さん、うちのバイトリーダーに何か吹き込みましたねぇ?」


「…………は?」


 奏介は怪訝そうにこちらを見てくる。


 ナルミはため息混じりに腕を組んだ。


「今日、バイトリーダーにあなたに言われたことと同じようなことを言われたんですよね。タイムカードを誰かに切らせるな、みたいな? あなたが根回ししたのでは?」


「……バカなの?」


 奏介は呆れ顔でそう言った。さすがのナルミもムッとする。


「誰が、ですか?」


「いや、お前だろ。俺がお前の新しいバイト先のリーダーを知ってるわけないだろ。いきなりなんなんだ」


 やはり、会話してみると一緒に働いていた時と印象が変わる。こちらが素なのだろうか。


「ていうか、新しいバイト先でもやってんの? 給料泥棒」


「誰が給料泥棒ですか」


「お前だよ。タイムカードは自分で切れ。この前、散々言ったろ」


「あのですねぇ、この前はあなたの迫力に押されましたけど、私は給料泥棒ではないです。ただ、代わりにタイムカードを切ってもらうだけなのになんで文句を言われなきゃならないんですか? そこまで面倒なことじゃないでしょう」


「は? そこまで手間じゃないと思うならお前が自分でやれよ。そんなに面倒じゃないのになんで他人に頼んでの?」


「う……」


「タイムカードすら押せない奴がバイトやるな。それくらい、五歳児でも押せるんだよ」


 まもなくバスが到着、奏介は乗り込む途中で振り返る。


「タイムカードの押し方ググっとけよ」


 吐き捨てるように言ったところでバスのドアが閉まった。

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