第135話怪我をして意識がない父親を罵る娘に反抗してみた3
「……は?」
いきなり初対面の相手からわけのわからない罵られ方をしたら、誰でもこういう反応になるだろう。
奏介はこほんと咳払い。
「失礼しました。いきなり暴言を吐かれたので、つい汚い言葉で返してしまいました」
下手したてに出たからか、秋原妹はギロッと奏介を睨み付けると、ゆっくりと近づいてきた。
「何、あんた。喧嘩売ってる?」
ドスの利いた声。彼女の発する怒りが見えるようだ。
「……」
黙った奏介の様子に秋原妹は『勝てる』と思ったのだろう。顔を近づけてきた。
「あいつの見舞い客だかなんだか知らないけど、随分なめた口聞くじゃん。お前みたいなの、お呼びじゃないから。オタクは引きこもってなよっ」
怒鳴り付けられ、奏介はため息を一つ。
「まず、声を張るの止めません? あなたの声、廊下まで響いてるんですよね。それが迷惑だって理解してますか?」
「そ、そうそう。もう少し落ち着いてよ、ハナ」
ハナと呼ばれた秋原妹は、舌打ちをした。
「お姉ちゃんもあいつの味方になったわけ? 言ってたじゃん、三人で暮らしたいって」
「そ、それは」
秋原は口ごもってしまう。どうやら徹底的に父親を悪者にしていたようだ。
「秋原さん、お母さんと妹さんてバイトなりパートなりしてるんですか?」
「え? ううん、二人ともしてないけど」
どうやら普通の高校生と専業主婦らしい。
「へぇ」
母親の方は分かっているのだろう。この状況が続けば経済的な危機が家庭を襲うことを。
「さっきも言いましたけど、まず学校辞めて働いてから、お父さんに文句言いましょうよ。説得力ないですよ?」
「あたしが学校辞める必要ないでしょ? 何それ、脅し? あんたが知るわけないけど、こいつはね、お母さんやあたし達を放置して仕事ばっかしてたのよ。休みに遊びに連れて行ってもらったことなんて数えるほどしかないんだから。こんなのいなくても困らないんだから」
「なるほど、それはちょっと酷いかもしれないですね。家庭のことは全部お母さんに丸投げしていた、と」
奏介はでも、と続ける。
「その制服も鞄も靴も靴下も、全部お父さんが働いたお金で買ってるんでしょ? 学費や教材、定期券、朝昼夜の食事、あなたが直接もらってるお小遣い。お母さんが働きに出てないなら、それは全部お父さんの給料で賄っているのでは?」
「そんなの、わかってるし。だからあたしも、お母さんが離婚したらバイトする予定なんだから」
「俺は長い期間バイトをしてますが、月に二、三万円稼ぐのが精一杯ですよ。放課後毎日遅くまで頑張ったとしてもせいぜい六、七万円ですかね。そんな金額じゃ一人暮らしも出来ませんよ。知ってます? 四人家族の月の支出。平均して三十万前後だそうですよ」
ハナは引き続き睨んでくる。
「だから何? あいつに感謝しろとでも言いたいわけ? あたし達のこと放っておいて仕事しかしてなかったくせに?」
「感謝しろなんて言ってないですよ。子供を放っておいて仕事ばかりしてるという点についてはお父さんが悪いし、あなた達が正しいんじゃないですか? お母さんも大変だったでしょうし、不満をぶつけたくなるのも分かります。でも」
奏介はハナを睨む。
「今まで散々人の給料で飯食ってきたのに、使い物にならなくなったら捨てるのか? 人間を物と一緒の扱いか?」
「え」
少し動揺が見えた。
「人聞きの悪いこと言わないでよっ」
「事実だろ。仕事ばっかりしてるから気にくわない、文句は言うけど、稼いだ金は遠慮なく使う。事故で怪我して働けなくなったから用済みでゴミ箱にポイっ。何がどう間違ってるんだ?」
「っ……」
「その点、秋原さんとお母さんは分かってるんだろうな。お前の卑怯なところは、お父さんが怪我して意識がなくて弱ってるところを一方的に攻撃してるところだ」
「うるさい……」
「質悪いよな。何しろ、お父さんが頑張って働いて稼いだ金を使った上で酷い暴言を浴びせてるんだからさ」
ハナが片手を振り上げた。
「バカにするのもいい加減にしなよっ」
奏介の頭に振り下ろされようとしたそれは、途中で止められた。
ハナの手首を掴んだのは他ならぬ姫である。
「いい加減にすんのはそっちでしょ、クソガキ」
姫は手に力を入れた。
「いたっ」
「最初にうちの弟が言ったじゃない。そんなに嫌なら学校辞めて働きながら一人暮らししろって。母親と姉を巻き込まないと何にも出来ないの? ちょっと面貸しなよ」
「あっ、やっ、お姉ちゃん、この人何っ」
姫はハナを引きずって、病室を出て行ってしまった。
「……姫先輩……」
奏介も複雑そうにその背中を見守っている。すると、
「! あなた!?」
秋原母が声を上げた。見ると、ベッドで秋原父が目を開けていた。ぼんやりとしながら、辺りを見回している。
「お父さんっ」
二人がベッドの脇へ。
「お父さん、良かった」
「大丈夫? あなた」
奏介が近づくと秋原父はぼんやりと天井を見つめる。
「悪いことを、してたな」
彼はそう、ぽつりと呟いた。
「あの、俺お医者さん呼んで来ましょうか」
「あ、うん、お願いできる?」
奏介は頷いて病室を出ていこうとしたのだが、
「悪かったよ。仕事ばかりで、家のことをまったく手伝わなかった。大変な思いをさせたな」
父親の声に奏介は足を止めた。振り返ると、二人は『そんなことない』だとか『今までごめん』などの謝罪の言葉を口にしている。それを理由に散々いじめてしまったのだから、白々しさがある。
しかし、
「離婚、しよう」
小さい声だが、病室に響いた。
「おれの鞄に離婚届が入ってる。そっちの方がハナも穏やかに暮らせるだろう」
「え、あなた、そんな突然」
「お、お父さん? ハナの言うことなら気にしなくても」
「退院したら、荷物をまとめて出ていくよ。養育費はハナ達が高校と大学を卒業するまではしっかり払うつもりだ。申し訳ないが、ハナの大学はお前達がなんとかしてやってくれ」
父は笑顔だった。
「すまんな」
奏介は、そのまま病室を出た。
帰り道。
奏介は姫と並んで歩いていた。西日が眩しい。夕暮れ時だ。
「離婚、ね」
「うん。でも、仕事から帰って家族に冷たい対応されてたら、それが毎日続いてたら、俺も逃げ出したくなるよ」
奏介はそう言って、息を吐いた。
「そうよね。でも、養育費は払うって? 仕事人間なだけで、悪い人じゃなかったのかもしれないわね」
「そういえば姉さん、あの妹は」
「キツく注意しておいたわよ」
それ以上は聞かないことにした。
「さて、久々にお母さんの料理楽しみ~。夜、詩音も呼んで何かゲームでもする?」
「いや、まぁ、考えとく」
後日、離婚が成立したそうだ。秋原母は最後は泣きついたらしいが、秋原父の決意は固かった。姫によれば、秋原も相当後悔していたらしい。
もう遅いのだ。修復は不可能。秋原家の結末は少しだけ、悲しいものとなってしまった。
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