第164話奏介とメイドカフェ1

 昼休み、風紀委員室にて。

 奏介は買ったばかりのペットボトルの水を開けた。

「へえ、メイドカフェか」

「うん。未知の世界なんだけど。針ヶ谷も行く?」

「いやあ、その人達知らんし、向こうも気まずいだろ」

「だよね」

 奏介はうーんと唸って、

「まあ、行けば分かるか」

「あれだろ? 注文すると、メイドさんのサービスで、オムライスにケチャップで名前書いてくれるとかさ」

「あー、それテレビで見たことあるね。まあ、付き添いだから、相手が楽しんでくれればいいかな」

 水を飲みつつ、なんとなく入り口の方へ視線を向けると、

 詩音、わかば、ヒナが呆けたような顔で立っていた。

「あ」

 入ってきたのに気付かなかった。

「よう。どうした?」

 真崎が首を傾げる。

「菅谷くん、さすがにそれはどうかと思うよ!」

 ヒナが何やら焦った様子で。

「ん?」

「確かに時給が良いって聞くけど、あんたね……」

「奏ちゃん……人生、踏み外そうとしてるって気づいてる?」

 奏介は顔を呆れ顔である。

「いや、俺がメイドカフェで働くわけじゃないから。知り合いに頼まれて付き添いで行くんだよ」

 と、三人の後ろから水果もモモが合流した。

「どうしたんだい? 皆で固まって」

「何してるの?」

「あ、水果ちゃん、モモちゃん。奏ちゃんがメイドカフェでバイトを」

「しお、話聞いてたか?」

 一睨みする。

「あははー」

 笑って誤魔化す詩音に、奏介はため息を吐いて、

「バイト先のお客さんがメイドカフェに行きたかったらしくて、付き合ってもらえないかって言われたんだよ」

「あぁ、菅谷常連に見えるもんね」

「橋間?」

わかばは慌てて詩音とヒナの後ろに隠れた。

「何も言ってないわよね!?」

「お前が考えてることが気に食わない」

「うぐ……」

 言い返せないようだ。

「おーい、さっさと食べないと昼休みなくなるぞ」

 女子達は真崎の忠告に、それぞれいつもの位置へ。

「いやぁ、びっくりしちゃった。菅谷くん、ついにそういう趣味に目覚めたのかと」

「そんなわけないだろ」

「ちなみにボクの知り合いのうちにメイドさん雇ってるところあるよ? 本物が見たかったら言ってね?」

「あ、ああ」

 恐らく、本物のメイドさんは家事系の仕事をしているプロのはずなので、見に行くのは失礼な気がする。メイドカフェのメイドさんは接客が仕事だ。

「ねぇねぇ、わかばちゃん言ってたけど、時給が良いの?」

「やってる友達がいるけど、時給千五百円らしいわよ」

「わっ、そうなんだ〜」

「高校生で、かい?」

 水果わかばは頷く。

「そう。結構条件良いでしょ。友達が行ってるところはなんか楽しそうだけどね、皆女オタだから話が合うって」

 どうやらその友達もオタク系らしい。

「……メイドカフェ……」

 何やらモモが考え込む。

「モモちゃん、検討し始めちゃってるね?」

「止めときなさいって。モモには合わない気がするわ」

「あ、うん。ボクもなんとなくそう思う」

 水果も頷く。

「モモ自身がお嬢様みたいでお世話されるタイプに見えるからね」

「そう?」

 モモは残念そうに言う。

 奏介は弁当に入っていた卵焼きに箸をつけながら女子達の話を聞き、少し考え、

「まぁ、偏見を持たずに行ってみるよ」

「ああ、そうしとけ。土産話待ってるからな」

 




 メイドカフェ突撃は日曜日に決まった。

 待ち合わせ場所はオタク系の店が集まる街の桃白駅。

 以前、根黒がよく通っていると話していたのを思いだした。

「おーい」

 改札口を抜けると、手を振っている高平の姿が見えた。

「おう、迷わなかったみたいだな」

「いや、駅の中、かなり複雑で道間違えたけど」

 約束の時間は過ぎていない。そして、

「お待たせしました」

 隣で腕を組んでいた江戸前にそう声をかける。

「うむ。久々じゃな」

「ご無沙汰してます。うちの高平が失礼していないですか?」

「今や飲み友達じゃ」

「そうですか」

 笑顔で言う奏介。

「おーい。つーか、お前、年上の俺を下に見過ぎだろっ、十五のガキの癖に」

「ああ?」

 奏介が目を細めると、高平は顔を青ざめて、数歩後退した。

「いや、す、スミマセン」

「がっははは。相変わらず大物よのう。それじゃ、行くぞ」

 以前より明るく、軽快だ。これは高平の功績だろう。飲みに付き合う、それだけのことで孤独な一人の老人の心を救ったのだ。

 奏介はピンと伸びた江戸前の背中を見つつ、付き合いで来て良かったと思った。

 当然たが予約などはないので、目についたメイドカフェに入ることに。

 そこは黒のワンピースにエプロンドレスを合わせた正統派(?)衣装の店だった。当然だが酒類の提供はなく、客席に座るなどしての接客もなし。普通のカフェのようだ。


「おかえりなさいませ! ご主人様!」

 ビルの二階である。エレベーターが開いた瞬間、ピンク色の世界が広がっていた。レース柄の壁にはハートがたくさん、窓もハートの形。入り口の立て看板に所属メイドさんの写真が貼られていた。

 客席フロアには可愛らしい丸っこいデザインの椅子とテーブル。すでに客が何組か、接客のメイドさんと楽しげに話していたりしている。

「ささ、こちらへどーぞっ」

 ツインテールの小柄なメイドさん(ネームプレートに『カノ』とある)に案内されたのは一番奥の席だった。

「おしぼりでーす」

 手渡されたそれは熱々だった。

「今日はメイドカフェ『メリル』にお越し下さいましてありがとうございますっ。ご主人様達に楽しく過ごしてもらいたいです。こちら、メニューになります」

 手渡されたのは料理の写真付きメニュー表である。

 単品ですべて千円超えだった。中々お高いがそれぞれメイドさんのサービスがついているようだ。

「ほほう?」

「ごゆっくり。決まったらベルでお呼びくださいね、ご主人さま」

 カノはそう言って戻って行った。

 遠くで声が聞こえる。

「行ってらっしゃいませ、ご主人様ー」

 タイミングなのか、客達が次々と出て行く。あっという間に店内は奏介達だけになった。

(ん?)

 カノが他のメイドに声をかけるが、無視された上にすぐに離れて行ってしまう。なんとなくだが、彼女だけ浮いているような。ふと、壁を見ると、カノの写真が飾られていた。『人気ナンバーワンメイド、カノちゃん!』とある。

「んで、江戸前のじーさんはどうするんだ」

「まずは酒じゃな。一樹、とりあえずビールジョッキ二つじゃ」

「話聞いとけよ。酒飲むとこじゃねぇんだって」

「ノンアルコールカクテル風ソフトドリンクならあるね。お子様も安心だって」

「まぁ、それが妥当かぁ」

「ふむ。わしはメイドさんに触れられるサービス希望じゃ」

「生々しい表現やめろっ」

 奏介はメニューに目を通し、

「握手……ならありますね」

「マジ? どれ?」

 高平に見せる。

「ギュッと握って見つめちゃうトマトパスタ……?」

 つまりトマトパスタを頼むと握手サービスがついてくると。

「それじゃなっ」

「高平は?」

「お、オレは……オムライス、だな。好きだし」

 やや恥ずかしげに言う。ベタだが、名前を書いてもらえるサービス付きだ。

「へぇ」

「んだよ、そのバカにした顔は」

「してないだろ。じゃあ、俺はチーズドリア」

「ほほー?」

 高平ニヤニヤ。

「後ろから粉チーズふりかけか。距離近いじゃん」

「何!? ではわしも頼むぞ!」

「どっちも頼むんかよ!?」

 そんなやり取りをしつつ注文し、しばらくしてドリアが運ばれてきた。

「お待たせしました、ご主人様!」

 超ロングヘアのメイドさん(ネームプレートは『ノア』)に運ばれてきたのは高平のオムライスである。

 ケチャップで『いつき』と書いてもらい、予想以上に高平がデレデレしていた。

 やがて、トマトパスタを手に歩いてくるカノ。するとノアが笑顔を消して戻っていく。その途中、ノアがカノの足を引っ掛けたのを見てしまった。

「あっ!?」

 カノはバランスを崩し、運んでいる途中のトマトパスタを手放してしまう。それは宙を舞って、床にべしゃっと落下した。

「またなの? カノちゃん。ドジっ子なんだから〜」

 クスクスと笑うノア。そして、片付けるために近づいてくるメイド達もカノをバカにしたように笑っていた。

「ご、ごめんなさい」

 青い顔のカノ。

「しっかりしないと、またメイド長に怒られちゃうよ?」

 若い女性だけの職場の怖さが垣間見えた気がした。高平や江戸前も複雑そうな顔だ。

 その後、カノは料理を駄目にしたことを怒られたようだった。ノア達がヒソヒソ話しているのを聞いてしまったのだ。


 何気に地獄耳な奏介に届く。

「次、あのオタクを怒らせるわ」

「やっちゃえ〜」

 とりあえず、その会話だけでイラッとした。


 食事が終わる頃、食後の飲み物が運ばれて来たのだが、あろうことかノアがカノに同じことをしたのだ。

「やっ!」

 恐らく、ノアの計算通り、運ばれてきていたアイスコーヒーが奏介のそばまで飛んで、落下する直前に体にバシャッとかかったのだ。

「っ……」

「あ、ご、ごめんなさいっ」

 カノが床から体を起こして、泣きそうな顔で言う。

「カノちゃん、ナンバーワンメイドなんだから自覚を持たなきゃ」

 どうやら、ナンバーワンメイドへの嫉妬のようだ。

 奏介はゆっくりと立ち上がった。

「あ、大丈夫ですか? ご主人様。すぐにタオルをお持ちしますね」

 柔らかい声でノアが言うので、奏介も笑む。

「その前に、謝罪だろ? ご主人様にコーヒーぶっかけておいて、何笑ってんだ?」

「あ、申し訳ございません、ご主人様。ほら、カノちゃん早く」

「お前だよ」

「……はい?」

 奏介はスマホの画面を見せつける。

 流れた動画はカノの足を引っ掛けるノアの姿。

「俺にどんな恨みがあるのか知らないが、随分と回りくどい嫌がらせだな。もしかして、俺が忘れてるだけで、初対面じゃないのか?」

 奏介は冷たい声で言い放つ。

「ち、違っ、いや、誤解です。この子が」

「このメイドさんは今はどうでも良いし、関係ない。あんたに聞いてんだよ。俺に、なんの恨みがあるんだ? なんの恨みがあってコーヒーぶっかけたんだ?」

 奏介は、真っ直ぐにノアを睨みつけた。

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