第163話職場の人間関係を引っ掻き回す新人パートに反抗してみた4

 目の前がチカチカして、近江は一歩後退した。青天の霹靂だ。

「なん、で」

 よりにもよって二人揃ってこんなところにいるのか。

「なんでじゃないでしょ!? お店の中で騒いでっ、このお店、あたしの友達とかも来るんだけど!?」

「ち、違う。こいつがあたしにセクハラを」

 奏介が嫌そうな顔をする。

「すみませんけど、俺、同世代の女の子の方が良いので、変な言いがかりつけるのやめてもらえませんか? 色んな趣味の方はいるでしょうけど、俺は二十以上離れたおばさんに興味ないです」

 奏介のもっともな意見に周囲から笑いが漏れる。

「お母さん、どんだけ自意識過剰なのよっ」

「サエコ……お前パート先の若い子をそういう目で見てるのか……?」

 ドン引きだった。ヒステリックを起こせば起こすほど、信憑性が薄れていくのだ。

「ち、違うの。……あ、そう。こいつに仕事のことでネチネチ言われてたのよ! 嫌がらせを受けてたの」

「確かにネチネチ言いましたね。仕事しないで休憩室でダラダラダラしてたから、お仕事して下さいって何度も注意しました」

 娘達の顔がさっと青ざめる。

「サエコ……」

「お母さん、周りが仕事しないとかいつも言ってたけどさ……」

 家庭ではそんな嘘を吐いていたらしい。

「本当よ、あたし以外仕事をしなくて」

「そんなわけないでしょ。近江さん以外仕事しなかったらこの店潰れてるし、入って一ヶ月もしないパートが戦力になるわけないでしょ。普通のパートさんならそろそろ戦力になる時期なんですけどね、レジすら出来ないんだから無理ですね」

「ゴチャゴチャとうるさいのよっ」

「お店の中でカラオケレベルの声出すのやめましょうね?」

 明らかな非常識具合に周りはドン引きである。主張はともかく、騒いでいる方が異端扱いされるのは当然なのだ。

 奏介は娘と夫に笑顔を向ける。

「せっかく来ていただいたんですが、元気そうですね。でも今日はお帰りになって様子を見たほうが良いかと思います」

「あ……うちの妻がすみません。ご迷惑おかけして」

 夫が頭を下げたので、娘も習う。

「ほんっとすみません。馬鹿な母で。馬鹿なんです。ほんっと馬鹿でっ」

 見ると、近江は鬼の形相で奏介を見ていた。

「あんたがうちの娘達を呼んだってこと!? なんでうちの電話番号知ってんのよ。さてはストーカーね!? 変態っ」

「いや、近江さんが体調不良で立つのも辛いっていうからご家族を呼んだほうが良いんじゃないですか? って店長に提案したんです。ですよね?」

 見守っていた店長が頷く。

「あぁ、仕事も出来ないくらいで、休憩室に休んでいるという話だったので、帰りが心配だから連絡をということになったんだ」

 と、高平が奏介達のそばに歩いてきた。

「ま、ここからの帰り道で倒れられたりしたら大変だし、普通だよな」

「なっ……!? あんなの、冗談で」

「俺と近江さんは冗談を言い合う仲ではないです」

 奏介がぴしゃりと言う。

「終始険悪なのに、冗談が通じるわけないでしょ。俺のこと、なんだと思ってるんですか」

 近江は奥歯をギリリとならした。

「それで、周りも見ずにギャーギャー騒いでますけど、営業妨害ですよ。そういえば労働なんとかに電話するとか言ってましたっけ? それ、やったら監視カメラのこの映像を警察に提出するのでよろしくお願いします」

 奏介は天井を指で指す。

「っ!」

 と、中学生の娘が近江の前に割り込んできた。

「いや、あの、本当にすみません。もう連れて帰りますんで」

 夫も歩いてくる。

「ほら、お前も頭下げて。帰るぞ」

 もはや二人とも呆れ顔だ。

「こ、こいつにはめられたのよ。こいつが」

 奏介はすっと目を細めた。

「給料泥棒してた証拠、全部取ってあるんで、この店に何かしてきたら容赦しないですよ」

 近江はびくっと体を震わせた。

 奏介は娘と夫に視線を向けた。

「俺も近江さんに対してついムキになってしまって申し訳ありませんでした」

 頭を下げ、

「気をつけて帰ってくださいね」

「ご丁寧にどうも。すみませんでした」

 夫と娘は肩を縮こませて、何度も頭を下げながら帰って行った。


 すぐに退職の連絡が入り、翌日に荷物を取りに来た夫が菓子折りを置いていったそうだ。



 その日。休憩室で休憩中の高平と一緒になった。

「おう、上がりか」

「ああ、お疲れ」

 高平は例の菓子折りの中身を食べていたようだ。カスタード饅頭だそう。

 一つもらって帰ることにした。

「そういや、楠原さんも辞めるってさ。まぁ、あいつに巻き込まれて色々やったから気まずいよなぁ」

「巻き込まれたのはともかく、その後は自分の意思でやってたから同情できないけど」

「つーか、ほんとお前何者なの? 手のつけられなかった近江おばさんを辞めさせるとか」

「辞めさせたのは娘さん達っぽいけどね」

「そう仕向けたのお前だろうが」

「ん? なんか文句でも?」

 奏介の目が細まったので、高平はびくっと肩を揺らした。

「ねぇよっ。言ってねぇだろっ。まぁ、なんだ。オレもだけど……相当懲りたんじゃないか?」

 奏介は少し考えて、

「近江さん、自分のSNSにこの店の評判を落とすような書き込みしてたから、サボってる動画と録音音声付けてコメントしてあげたよ。そしたらアカウントごと消したみたいだね。そろそろネット掲示板にも書き込みしそうだから俺も準備してる」

「……そ、そうか」

「あ、そうだ。この前言ってたおじいさんとのメイドカフェ、行っても良いよ」

 以前、葉堂に土下座をさせようとした元迷惑客の老人、名前は江戸前(えどまえ)というらしい。彼との交流は続いているらしく、次はメイドカフェ希望だったのだ。その際は奏介もと誘われていたのだが。

「え、マジで?」

「あぁ、お前も仕事ぶりは真面目になってきたし、今回は店に貢献してたし、付き合ってやるよ」

「……お前何歳だっけ」

「十五」

 頭を抱える高平。

「じゃ、お疲れさまでした」

 奏介は休憩室を出た。



 後日聞いた話だが、近江サエコは娘夫と別居することになったらしい。

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