第191話 番外編 イタズラしてウサギに噛まれた息子を棚に上げて、飼育員を批判してきた母親after
※第80.81話の親子のその後のお話。
待合室の椅子に勝と並んで座っている。
息子の悪い癖、動物の耳や尻尾を触って、時には乱暴に引っ張る。動物に噛まれたのは四回目である。
みつこはため息。
「ねぇ、勝。猫さんの尻尾をぎゅーって引っ張ると痛い痛いってなるって言ったわよね? なんでまたやったの?」
「だってふわふわしてるし、面白いんだもん」
噛まれた瞬間は反省するが、一日置くとこんな感じである。
勝はみつこの話に興味をなくしたようで足をぶらぶらさせている。
一回目は買い物先のスーパーに繋がれていた小型犬、二回目は遠出した先の公園にいた中型犬、三回目は思い出したくないが、動物園の触れ合いコーナーにいたウサギ。そして今回は野良猫だった。軽い傷だが、やはり感染症の心配もある。
一回目と二回目は飼い主を強く批判して謝罪させた。うさぎの時も同じように飼育員を罵倒しようとしたが、高校生らしき少年に言い返され、反論もままならなかった。保護者なんだから優しく触るように指導しろと言われ、納得してしまった部分もあった。
今までは相手が悪いとしか思わなかったが、ウサギの件と今回の飼い主がいない野良猫に噛まれた件で、勝自身にも気をつけさせないといけないのではないかと、考え始めていた。
「ねぇねぇ」
勝がみつこを見上げていた。
「あの猫を飼ってる人、怒らなくていいの?」
「ん?」
「だって僕のこと噛んだんだよ。ママ、いつも怒って、注意してたよね」
はっとした。勝の中では、自分を噛んだ動物はその飼い主が悪いと認識しているらしい。自分は悪くないと。保護者であるみつこが相手を悪者にしていたから。だからなのか、自分で気をつけることをしないのかもしれない。
(間違ってたのかしら……)
診察室へ呼ばれていつもの医者に苦笑気味に『動物いじめちゃだめだよー?』なんて注意されてしまった。
うとうとし始めた勝を連れて診察室へ戻ると、
「!」
ドキリとした。真正面に制服姿の高校生が座っていたのだ。若干右頬が腫れているような気がする。
固まっていると、目が合ってしまった。
彼、菅谷奏介は眉を寄せる。
お互い名前すら知らない。覚えていないだろうが、あの時言われた言葉が次々に浮かんでくる。体が硬直してしまった。
「あ」
奏介はそう呟いて、
「動物園でお会いしたことありましたよね。ご無沙汰してます」
立ち上がって、会釈。
「え、あ……はい」
いきなり罵倒されるなんてことはなく、普通に挨拶をしてきた。
ドキドキである。
「あ、あの……あの時は、すみませんでした」
彼に謝る必要はまったくないのだが、みつこはそう口に出してしまった。
「あぁ、俺もカッとなってしまったので。……まだ怪我治らないんですか?」
みつこは暗い顔をする。
「ウサギの方はもう治ったんですけど、またこの子、動物に乱暴して」
「噛まれたんですか?」
みつこはこくりと頷いた。
「わたしは、育て方を間違ったんですかね……?」
「いや、俺に聞かれても困りますよ」
奏介呆れ顔である。
少し間を空けて座る。勝はすっかり眠ってしまったようだ。
「注意してもまたやる……ですか」
「ええ」
自然な流れで、悩みを相談してしまっていた。
(何やってるのかしら、わたし)
「まあ、根気強く注意を……」
奏介は何かに気付いたようで、少し考え、
「注意は大事ですけど、叱ってるんですか?」
「え?」
「その犬の飼い主さんに対して、しつけがなっていないことを指摘して怒るのは、まぁ、仕方ないとして、その時に勝君も一緒に叱ったんですか?」
「いいえ。家に帰ってから注意をしただけで」
「多分、その場で叱らないと、自分が悪いことをしたって分からないと思いますよ。後、一度滅茶苦茶怒ってみた方が良いですよ。さすがに四回も同じことしてるんですから」
「滅茶苦茶って」
「目安としては、泣くまで」
「そ、そんなこと。怒ると良くないかと思って、強く言ったことがないから」
「いや、今回のことはトラウマに残るほど叱った方が解決しますよ」
「そ、そうなの?」
「勝君、多分ママのこと大好きでしょうけど、同時になめてそうですし」
あの時、奏介自身も優しく注意したが、あまり心に響いていなかったらしい。
みつこは沈んだ顔をする。
「でも」
「じゃあ、俺がサポートしますよ。ここじゃあれなんで……車で来てます?」
「え、ええ」
奏介の診療が終わるのを待って、車へ移動。みつこは運転席、勝は助手席、奏介は後部座席にそれぞれ座った。
「んー……。あれ? もう帰るの?」
軽く揺さぶっただけで目を…覚ましたようだ。
「あ、あのね、勝。このお兄ちゃん覚えてる?」
勝は後部座席を見る。
「あ……動物園の」
意外なことに覚えていたらしい。
「勝君さ、また動物に噛まれたんだって?」
少し威圧気味に問う。
「え、うん。……でもママがちゃんと叱ってくれるよ。猫の飼い主の人」
奏介は眉をぴくりと動かした。
「野良猫に飼い主はいないよ。それに、噛まれたのは勝君が意地悪したからでしょ?」
「意地悪? 僕は尻尾を触っただけだよ。意地悪じゃないもん」
奏介はそっと勝の耳たぶを掴んだ。
「え!?」
「これからぎゅっとして引っ張っても良い?」
引っ張られたらどうなるか、痛みの予想はつくだろう。顔を引きつらせる勝。
「どう?」
「や、やだよ」
「猫もそう思ったんだと思うけど?」
「ね、猫は良いんだよ。人間じゃないもん。それに、僕より小さいし」
その言葉に、みつこははっとして体を震わせた。
「へぇ、自分より小さいからそういうことするんだ」
奏介は耳たぶから手を離した。
「マ、ママ、この人、僕に痛くしようとした」
みつこはキッと息子を睨んだ。
「いい加減になさいっ」
怒鳴り声だった。
「ひっ」
「自分より小さいから尻尾を引っ張った? 生き物をなんだと思ってるのっ」
「ま、ママ?」
「猫が噛んだのは、勝が痛くしたからでしょうっ」
「ち、違っ、悪いのは猫の飼い主の」
「野良猫に飼い主なんかいるわけないでしょっ」
みつこは勝の耳たぶを掴んだ。躊躇いもなく自分の方へ引っ張る。
「あっ、い、痛いっ、ママ、痛いよっ」
「ほらっ、こうされたのよ!?」
「と、戸上さん、落ち着いて下さい」
怪我でもしたら虐待になってしまう。
奏介が後部座席から二人を引き離すと、
「う……うあああんっ」
泣き出す勝、肩で息をするみつこ。
「どう、わかった!?」
「うっ、うう。ご、ごめんなさぁいっ」
痛みを経験させるのは効果的だが、今のは少し危なかった。
数十分後、落ち着いた勝はそのまま眠ってしまい、奏介は戸上に家へ送ってもらった。
マンションの入り口にて。
「じゃあ、ありがとうございました」
奏介は車を降りた。運転席から顔を出している戸上にそう言う。
「いいえ。こちらこそありがとうね。お世話になって」
爽やかな笑顔だった。
「多分、叱るだけでもだめだと思いますよ」
「ええ。もう少し育児を考えてみるわ。それじゃ」
戸上の車は大通りへ消えて行った。
※時々病院に出現する奏介。
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