第151話高士母after

 井上サチコはパートで努めているスーパーを後にして、家へと急いでいた。

「また話こんじゃった」

 パート仲間とは仲が良い。雰囲気が和やかな、良い職場だ。

 今までは息子に過剰なほど入れ込んでいたが、働き始めてから心境の変化があった。子供は、ある程度放任することが必要なのだと思う。友人と遊ぶ息子の姿を偶然見かけたことがあったが、本当に楽しそうだったのだ。サチコ自身も職場に新しい人間関係が出来たことで、その大切さに気づけたのだ。離れている時間が多くなったせいか、息子との会話も弾むようになった。

「あ」

 家の前に息子、高士の姿があった。お隣の女子高生、そして彼女の友人らしい女子と男子。

(あの子)

 サチコがパートを始めるきっかけになった少年だ。痛いところを突かれまくり、高士にも鋭い反撃をくらった苦い思い出が頭を過ぎる。

 ゆっくりと歩み寄る。

「高士」

 声をかけると、高士がこちらを見た。

「あ、おかえり」

「ただいま。いい子にしてた?」

「当たり前だって。水果姉ちゃんに迷惑かけたことないし」

 サチコは水果へ視線を向ける。

「今日もお世話になったね。いつもありがとう、水果さん」

「いや、うちは全然大丈夫ですよ」

 それからサチコは恐る恐る、少年と少女を見やる。

「こ、こんにちは」

「こんにちはっ、高士君元気そうですね」

 少女、もとい詩音が言う。

「どうも、ご無沙汰しています」

 少年、奏介も頭を下げた。ボロクソに正論を言われたはずだが、礼儀正しい。

「え、ええ。じゃあ……高士、今日おばあちゃんが来るから家に入ろうか?」

「うん、おっけー」

 サチコの実母である。少し憂鬱だった。昔から合わないところがあり、高士への入れ込みの一因となっているのだから。

 水果達と分かれようとしたその時。

「サチコ」

 近づいてきたのはスーツ姿の年配の女性。白髪はしっかりと染められ、背はピンと伸びている。メイクもきちんと年齢にあったもので、上品な印象がある。

 母だった。

「あ、母さん」

「おばあちゃん、夕ご飯今からだよ!」

 高士が言うと、母は腕時計を見た。

「この時間で? どこへ行っていたんですか?」

 サチコは内心ため息を吐いた。

「えーと……。高士、先に家に入っててね」

「うん、じゃあね、水果姉ちゃん達!」

 高士が家へ入ったので水果は奏介と詩音を見やる。

「さて、わたし達も失礼しようか?」

「そ、そだね。なんか、取り込み中みたいだし」

 奏介は二人の様子を見ている。

「菅谷? 大丈夫かい?」

「ああ、ちょっと」

 と、サチコ母が腕を組んだ。

「それで? 高士も今帰ったみたいですけど、二人で出かけていたんですか?」

「最近、働き始めたの。高士は少しの間、お隣の人に預かってもらってるってだけ」

 サチコ母が眉を寄せる。

「自分の子供を他人に預けてるんですか? 高士は兄弟がいないのに?」

「それは……」

「言ったでしょう。一人っ子は可哀想なの。親が常に一緒にいてあげないと寂しいんですよ」

「でも高士は、友達も多くて」

「友達と家族は違うでしょう」

 最もだ。友達が多くても将来、あまり当てにはならない。血の繋がった兄弟は必要だったのだ。

しかし、二人目は出来なかった。どうしようもないことだったのに、仕方のないことだと母親にわかってもらえない。

「まったく。一人っ子なら、産まない方がましだったのに」

「え……」

 高士に兄弟がいないだけで産まない方がよかった、と?

「そ、そんな」

 まさか、孫の存在を全否定されるとは思わなかった。

「あの」

 と、奏介が挙手をした。

「ん? なんですか、あなたは」

 訝しげにするサチコ母。

「いや、高士君のお母さんに働いてみてはどうですかって言ったのは俺なんですよ。高士君との関係がギクシャクしていて、悩んでいたようだったので、口を挟んでしまいました」

 サチコは目を瞬かせる。もちろん、そんなことは言われていない。きっかけは間違いなく彼だが。

 サチコ母はじろじろと奏介を観察する。

「他人の家庭に余計な口を挟むのは良くないことだと、分からない年齢ではないのでは?」

「わかってます。すみませんでした。だから、高士君のお母さんを責めるのはやめて下さい」

「責める? 私は本当のことを言っているだけですよ。兄弟がいない一人っ子にしてしまった罪は親が償うべきだと」

 サチコは顔を引きつらせた。罪とまで言われるとは思わなかった。中々子供が出来ず、ようやく産まれてきた我が子だというのに。

「……あなた、兄弟がいないんじゃないですか? そうやって傲慢なところは一人っ子の特徴ですよ」

 奏介はむっとする。

「いや、姉がいるんで一人っ子ではないですけど?」

 奏介は息を吐いた。

「兄弟がいるかどうかで人を判断するのは良くないですよ。現にまったく見抜けてないじゃないですか」

「そういう時もあります」

 間違えたことをまったく気にしていないようだ。

「そういう時もあるって、なんでそんなに一人っ子を敵視するんですか? 確かに兄弟がいたほうが良いかもしれませんけど」

「昔から一人っ子はわがままに育つと言われてるんです。それに将来、親の介護などその子が一人で全て背負うことになるんですよ」

「介護はともかくわがままって……それはもう親御さんの育て方次第なのでは? この国の一人っ子な息子さんや娘さんを一纏めにしてわがままと言うのはひどいと思いますよ?」

「いいえ、皆同じです。もちろん、高士も」

 サチコは高士が入って行った玄関へ視線を向けた。わがままにならないよう、少し厳しくしつけていたつもりだった。それ故に行き過ぎてしまったところもある。

(わたしの育て方とか関係なく、一人っ子はわがままになるって、言うんだね)

 努力でどうにも出来ないことを責められるのは辛いものだ。

「……まぁ、個人の意見ですしね、俺が否定することじゃないですね。でも、他人の家庭にダメ出しするのは良くないと思いますよ」

 サチコ母は眉を寄せる。

「口出ししたのはあなたの方で」

「俺に対して言ったじゃないですか。その傲慢な性格は一人っ子だからだろうって」

 サチコ母は一瞬黙る。

「実際俺は一人っ子じゃないんで、傲慢な性格は親の育て方の問題でしょうね。一人っ子でもそうじゃなくても、元々の性格とか育った環境で変わってくるものなんですよ。だから、決めつけは良くないです。俺が一人っ子じゃないと見抜けない時点であなたの言い分は破綻してます」

「あなたの親が一人っ子のように育てたことが問題なだけでしょう? あなたのような子は稀ですよ」

「また他人の家庭に口出しですか?」

「私は事実を言ったまでで」

「俺の名前すら知らないで、うちの家庭事情を知ってるみたいに言われても困りますね」

 サチコ母はぴくりと眉を動かした。

「そういえば、一人っ子なら産まない方がましと仰ってましたけど、あれって本心ですか?」

「兄弟を育てられないなら、子供はいないほうが良いんですよ」

「つまり、高士君には産まれて来てほしくなかった、早くいなくなれば良いのに……とでも思ってるんですか?」

「そんなことは言ってないでしょう。兄弟を作らなかったのはサチコの責任ですから」

 サチコはびくりと肩を揺らした。

 体の問題で妊娠が出来なかっただけなのに。そう何度思ったことか。

 奏介はため息を吐いた。

「それ、ぶん殴られますよ?」

「……はぁ? 何を」

「お子さんが欲しいご夫婦が通っている不妊治療の病院の待合室で一人っ子になるなら産まない方がましなんて言ったら袋叩きだと思います。お子さんを授かれない方もいるのに、産まない方がまし? そう思うのは自由ですけど、名前も知らない他人に偉そうに言うのはどうなんでしょうね。何年もかけてようやく体外受精で妊娠した妊婦さんに面と向かって、言えるんですか?」

「さ、流石に他人にそこまで」 

「俺も他人ですけど、色々言われてますからね、言いかねないですよね」

 サチコ母は少し悔しそうに表情を歪めた。

「どう思います? 高士君のお母さん」

 サチコは、はっとした。

「え、あ」

「こういうこと言われると悲しくなりませんか」

 奏介の問いに、少しづつ感情が湧き上がってきた。

「っ! もちろん、悲しいよ。二人目が欲しくて旦那と悩んで悩んでやっぱりダメで、高士を大切に育てて行こうって決心したんだから」

 サチコは母を見る。

「一人っ子が必ずわがままに育つなら、それはもう親とか必要ないんじゃない? わたしが働いてても問題ないじゃない」

「え? そんな理屈」

「どっちにしろ、高士はわがままに育つんだものね? 母さんはそう言いたいんでしょ」

「そんなことは言ってないでしょう」

 サチコは母を睨みつけた。

「高士はわがままになんか育てないから。絶対に」

 玄関の方へ歩き出す。

「あ、待ちなさい」

 慌てた様子で追いかけるサチコ母が追いかけるのだった。



 家へ入っていくサチコ、ふと奏介と目が合って笑った気がした、

「……奏ちゃんのせいで修羅場が」

「まさかまたここでバトルが起きるとは思わなかったね」

 二人は苦笑気味だ。

「なんか高士の母親が追い詰められ出るように見えたから。俺が原因なら、ちゃんと言ってやらないとと思ってさ」

「途中から喧嘩売られちゃったしね」

 奏介は腕を組んだ。

「それも、ある」

「菅谷らしいね」


※あとがき

サチコ母は作者が以前出会った方をモデルにしています。

実在の人物とは関係ありません。

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