第101話詩音の悩み1

 いつみ、あいみと自宅マンション前で別れたのは午後七時を過ぎたところだった。昼食の後、買い物に行ったり、家にお邪魔して夕食を頂いたりしていたらこんな時間だ。


 エレベーターホールに入ると、見慣れた後ろ姿があった。


「しお」


 名前を呼ぶと、詩音はゆっくりとこちらを振り返った。日曜だというのに制服姿だ。そして、何やら疲れた顔をしている。


「……あ、奏ちゃん」


「制服? こんな時間まで学校?」


「演劇部の劇を手伝うことになって、その練習」


 やはり様子がおかしい。


「何かあった?」


 そう聞いたところで扉が開いた。詩音は答えずにエレベーターへ乗り込む。奏介も後を追った。


「疲れてるだけだから」


「それだけには見えないけどな」


 と、詩音の家のフロアにエレベーターが停まる。


「それじゃ、また」


 詩音は振り返らず、扉はそのまま閉まった。













 翌日昼休み。


 風紀委員室にて、先にいた奏介と真崎の前に呆然とした詩音がいた。


「え、何? なんで連れて来られたの?」


 彼女の両腕を捕まえているのはヒナとわかばである。


「捕まえてきたよ!」


「水果とモモも心配してたしね」


「あはは、なんか伊崎が捕獲された小動物みたいになってるな」


 真崎は完全に観客気分のようだ。


「じゃあ、しおちゃん。君の幼馴染の前で何があったか喋ってごらん?」


「それだけ元気ないんだから、何かあったんでしょ?」


 奏介はため息を吐いた。もう少しそっとしておこうと思っていたのだが、女子メンバーは心配だったようだ。普段の様子とだいぶ違うので気持ちは分かる。


 詩音はうつむいて、唇を噛み締めた。


「関係ないじゃん」


「しお?」


「奏ちゃんには関係ないし、ひーちゃんにもわかばちゃんにも関係ないでしょ。わたしなんかに構うより、風紀委員の相談窓口に来た人達の相談に乗ってあげてよ」


 と、真崎が耳打ちしてきた。


「伊崎、やっぱりちょっとおかしいぞ。ここで無理矢理にでも聞き出しておいた方がいいかもな」


 彼女の言葉は尤もだが、真崎の意見には奏介も賛成だった。


「しおちゃん、ボク達は誰かに言いふらしたりしないし、もし他の誰かが関係してるとしてもここで話したって絶対にバレないようにするからさ」


「そうよ。脅されてるとかそういう事情があっても、ここだけの話にしましょ」


「伊崎、菅谷とは長い付き合いなんだから遠慮はいらないだろ。つーか、悩みを話して伊崎がどうしてほしいかはまた別の話だ。話すだけ話したらどうだ?」


 真崎の言葉に視線を上げた詩音は躊躇うように、


「話してもいいけど、無理に関わるのはやめてね」


 四人で顔を見合わせる。


「とりあえず、話すってことで、どうぞ、しおちゃん」


「……」


 約束を曖昧にされ、詩音は少し不満そうだったものの、


「演劇部の長編の劇でそれなりにセリフがある役をやるんだけど、演技指導担当の非常勤講師の先生になんて言うか、目をつけられちゃったみたいで、普通の練習が終わった後に呼び出されて補習させられるの。それが疲れるんだ」


「補習?」


「わたしが下手っていうのもあると思う。……劇が終わればその先生とは会わなくなるからもう少しの我慢なんだよ。だから」


「そんな先生いるんだ。なんて人?」


 ヒナの問いにまたしても躊躇い、


土岐とぎゆうこ先生」


 ぽつりと呟いた。


 奏介は目を見開く。


「土岐? しお、それって」


 詩音の表情が歪む。


「あ、いや、その、奏ちゃんには本当に関係ないでしょ?」


「その反応、土岐ってあいつだろ? 小学校の頃、石田の味方をしやがったクソ教師」


 奏介の汚い言葉遣いにこの場の全員が目を見開く。


「……」


 詩音は青い顔でうつむく。


「そうなんだな?」


 彼女は諦めたように、こくりと頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る