第332話復讐を手伝うことにした5
早朝5時前。
紀野キミエは、自宅玄関で派手なコートを脱ぎ捨てて、思いっきり伸びをした。飲酒で赤くなった顔、濃い目の化粧。いわゆるキャバクラ嬢が彼女の仕事であった。
「んーー。つっかれたぁ。寝よっと」
と、その時。自宅の電話が鳴った。
「あん? 何こんな時に」
生真面目な元夫が勝手に契約した固定電話、最近はスマホがあれば必要ないが、まだ繋がっていたらしい。
「もしもーし」
一瞬の沈黙。
「ちょっと、切るよー?」
『紀野さんのお宅でしょうか』
「そうだけど。誰?」
女性というか、少女だ。丁寧な言葉に切るのは躊躇われる。
『大阪まみと申します。紀野当夜さんはご在宅でしょうか』
「うちの息子? なんかいないけど」
『そうですか。またかけます。折り返し不要です』
プツっと切れた。
「大阪? なんだっけ。聞いたことあるような、ないようなー」
全く思い出せない。とるに足らないことだったのだろう。
と、玄関のドアが開いた。
「あ、当夜。どこ行ってたの?」
「ちょっとな」
当夜はがしがしと頭をかく。
「てか、今、女の子から電話あったんだけど、新しい彼女?」
興味なさそうなキミエに、
「誰だよ。知り合いはスマホに全部入ってるっつーの」
「大阪まみって子」
「大阪? 大阪……大阪まみ!?」
血の気が引いた。すでにこの世に存在しない女の名前だ。すべてを晒し、徹底的に犯した同級生。
「おい、てめえ、何の冗談だ」
「はぁ? 母親に向かってなんなの。何その顔。引きつってんじゃん」
「そ、そいつが電話かけてきたって、んなわけねぇんだよ! 酔っ払いが。適当言うなっつーの」
「わっけわかんないこと言わないでよね、てか、警察に呼ばれんの面倒だからほんと勘弁してよね」
紀野当夜は頭を抱えた。未だに現れる三つ編みの少女。どこに行っても現れる。何かをされたわけではない。とにかくそこにいる。見ている。
(くそっくそくそっ)
捕まえようにも、予測が出来ないのだ。絶対に手が届かない場所にいて、こちらが気づくといなくなる。
しかも、今回の電話。明確に大阪まみと名乗った人物がいるのだ。
当夜は部屋へ戻った。
「見つけたらぶっ殺す」
拳を握り締めた。
しかし、その日から手の届かない大阪まみからの電話が1日1回かかってくるようになった。必ず当夜が不在の日。留守電に入っているか、母親が出る。さすがの母親も2週間続けば気持ち悪いと引いている。
◯
いつもの駅広場。
紀野はぐったりとしていた。
「ちょっと顔が白い。キモいんだけど」
三加茂が引き気味で言ってくる。
「おい、大丈夫かよ。……いやまぁ、今日は解散しね? なんか、な」
真栄田が言う。
この場所へ集まると必ずあの三つ編み少女が現れる。二人もそわそわしているよう。血まみれの少女を見てしまった日から、その話には触れないようにしているものの、やはり精神的ダメージは計り知れないのだろう。
「ああ、今日は白けたからな。んじゃ解散で」
外で目撃したくはないが、家に帰れば大阪まみの電話が待っている。気が休まる気がしない。
「ぜってぇ、誰かの嫌がらせなんだ。見つけてやるからな。落とし前はきっちりつけるぜ」
ふと目に入った食品スーパー。
「便所よるか」
公園の公衆トイレは使用したくない。家も落ち着かないのでここにすることにした。
「いらっしゃいませー」
少しチャラそうな青年がテキパキと商品を並べていた。トイレの表示を確認し、男子トイレへ。
トイレ内は個室と小便器が3つづつ。奥の小便器の前に立つ。
「飯、なんか買ってくか。ちっ、なんでオレの金を使わきゃなんねーの?」
最近は誰かに奢らせたり、パシらせることをしていないせいか金の減りが早いのだ。そろそろ、新しいカモを見つける方が良いだろう。
ふと浮かんだのは、桃華学園に通うあの高校生。少しきつめに脅せば何か月かは金を搾り取れる。しかし、それと同時にあの血まみれの少女の映像も浮かんで来て、ぞくりとした。
「さっさと犯人を見つけて、殺す」
と、トイレの換気用の窓に目が行く。すりガラスの向こうに、誰かが立っていた。
「ひっ」
それは、影ではあったが、どう見ても人だ。よく見れば髪型が三つ編みのような。この場で窓を開け放てば、犯人が分かるだろう。
「へへ、にげらんねーぞ」
震える足で一歩踏み出した時である。
『あははっはははは、えへへへへ、きゃははは』
幼い少女のような、かわいらしい声が狂ったように笑っている。それはどこからか聞こえて来ていて、それがなんなのか見当もつかない。
「っ! や、やめろおおおっ」
紀野はトイレとスーパーを飛び出した。トイレのあった位置から窓の場所を推測して、建物と建物の隙間を覗く。
トイレの窓の前には建物、人が立てるようなスペースはなく。空調の室外機がいくつか置かれているだけ。
「なんだよ、それ。ありえねえ。誰なんだよおおおっ」
ずっと感じている不気味な気配はなくなる気配がない。
〇
奏介はバイト先のスーパーの外で妙な叫びを上げる男を観察して、息を吐いた。
「なんなんだ、あの客。普通じゃないだろ」
高平がやや引いた様子で外の様子を窺う。
「ああ、普通じゃないやつだよ」
「てか、何持ってんだよ」
奏介は人型に切った紙とトランシーバーを持っていた。
「ちょっと、依頼を受けてて」
「い、依頼?」
すると高平ははっとした。
「あいつ、なんかしたのか? 人に迷惑かけたり」
「迷惑どころか、暴力強姦窃盗犯だ。正直に言うと、あいつを恨んでる人の復讐を手伝ってるんだ。人を自殺に追い込んだりしてるからな。細かい嫌がらせをしてる」
「あー……。お前って、どんな相手にも正面から行くタイプだと思ってたんだけど、手伝いだとそういうこともすんのか」
「まあな。だから、邪魔はするなよ?」
奏介の睨みに、高平がびくっとする。
「オレに話した理由それかよ! てかさ、嫌がらせとか大丈夫なのかよ。法に触れんじゃね?」
「ん? 別にこっちは何もしてないぞ。自殺に追い込んだ女の子の恰好をして周辺をうろついたり、心霊現象っぽい現象を起こしてびびらせてるだけ。ていうか、窓に貼り付けた人型の紙にびびり散らかしてるのは肝が小さいんだよ」
「まあ、確かに」
個室においたトランシーバーから変声機で少女の声を出し、人型の紙は隣の倉庫の窓から貼り付けた。単純な仕掛けだろう。
「でもまあ、女の子を無理やり襲った挙句心の傷を負わせて自殺に追い込んだ奴へ嫌がらせをしても罪に問われるんだよな」
高平はうーんと唸った。
「言われてみりゃ変な話、だな」
加害者は被害者よりも法に守られているのだ。
●
『紀野君』
紀野ははっとして目を開け、ベッドから上体を起こした。目の前には服が乱れ、首に縄を巻いた三つ編みの少女。口からは血が垂れている。
『なんども止めてって言ったよね。嫌だって。本当に好きな人とって……どうして? なんでこんなに汚されなきゃいけなかったの?』
はっとして目を開けた。夢の中で目覚めて幻覚を見ていたのかもしれない。まだまだ深夜である。
「……はあ、はあ……」
じんわりと冷や汗が浮かんで来る。
「あ、あいつ。あの女、今度は徹底的にボコす! 大阪まみ……あ、あれ? あいつは死んだはずだ。どうやって、ボコすんだ? なんだ? あいつ、なんなんだ? あれ、オレは何を見てるんだ? 大阪まみは、死んでる……? じゃあ、どうすればいいんだ。あいつ、あいつはあいつは……」
呟き続ける。頭がおかしくなりそうだった。いつでも少女の笑い声が聞こえていて、視界の端に映り込む。
〇
ふらふらと街を歩く。今がいつで、どこなのかも分からない。気づいたら外へ飛び出していて、わけも分からず歩いている。
「大阪まみ、殺す。どこだ? いや、あいつは死んだ。ざまあみろ……でも、いるんだ。いるよな?」
ふと目の前を見ると、大阪まみが歩いてくるのが見えた。
「う……うああああっ」
取り出したナイフを振るう。通行人が悲鳴を上げて避けていき、警察に取り押さえられた。
「違うんだ。大阪まみがいるんだ。あいつはオレがやるんだ。はなせえええっ」
その錯乱した姿はSNSで相当バズったらしい。
『次のニュースです。昨夜、街中で刃物を振り出した高校生は錯乱しており、麻薬の中毒の可能性も視野に警察が捜査を進めています。近年では若者の麻薬の』
ニュースは続いて行く。
奏介は朝食の食パンをかじりながら冷めた目でそれを見ていた。
「ん」
手元のスマホへ視線を落とす。
薊からのメッセージだ。
『紀野当夜なんですけど、精神病院に入ったらしいです』
なんて返信をしようか。迷う。
そしてぼんやりと思う。
「俺達が追い詰めた。これは悪いこと、なんだろうな」
復讐は何も生まない。確かにそうだが。
『本当にありがとう。すっきりしました。ざまあ! ですね!』
奏介はふっと笑う。
「すっきりするよな」
きっと薊の今後の人生が少しだけ、明るくなる。
それでも悪いことに変わりはないのだろう。
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