第236話 第122部番外編 人の趣味を馬鹿にする長見姉after

 長見あゆは自室でスマホをいじりながら、イライラしていた。

 無自覚だったが、弟の慧をいじめることでストレスを発散していたらしい。 

 例の一件以来、慧の部屋には鍵がつけられたので無断で入ることは出来なくなった。

「ちっ、慧のやつ」

 妙に強気なオタクを連れてきて、こちらの文句に対して反論してきたのだ。それに調子づいた彼自身も言い返すようになってきたので、ストレスもどんどん溜まる。

「くっそ」

 スマホをベッドに叩きつけて、部屋を出る。丁度、慧の部屋のドアも開いた。

(この野郎)

 何も知らずに出てきた慧にわざと肩をぶつける。

「あっ」

 彼はバランスを崩して、廊下へ尻もちをついた。

「痛ぅ……」

「おい、よそ見してんなよ。のろま」

 ギロリと睨むと、慧はむっとした様子で立ち上がった。

「ぶつかってきたの、姉さんでしょ。そっちこそ、前見なよ」

 そう言って、部屋へ戻ってドアを閉め、鍵をかけたようだ。

「くっ」

 以前は睨みつけて強めの言葉を投げれば、しゅんとして、泣きそうになっていた癖に。その反抗的な態度もイライラする。

 と、スマホが鳴った。

 メッセージは友人から。


『これから 海で君を追いかけてを見に行かない?』





 実写映画『海で君を追いかけて』。原作は漫画らしいのだが、好きな俳優が出ていることと、映像がかなり綺麗であらすじも好みだったので、友人と一緒に行こうという話になっていたのだ。

 結論から言うと、非常に良い作品だった。

 恋愛ありラブコメあり涙あり笑いあり、ストーリーもしっかりしていて、素直に面白いと言える作品だ。

 映画を見終わり、映画館の通路に出ると、皆興奮したように、

談笑している。


「いやぁ、よかったー。実写心配してたけど」

「漫画買ってみようかなー」

「アニメもあるんだっけ? 見てみるのも良いな」


 原作ファン、アニメファン、映画ファン。それぞれが楽しんだようで、この空間の一体感が強い。

 あゆは内心で舌打ちした。

(漫画アニメファンもいるじゃん。キモ)

 確かに面白かったが、原作が漫画というだけで吐き気がする。慧との一件以来、漫画アニメというコンテンツが本当にだめになってしまった。

「ねぇ、良かったわよねー。はぁ〜ゆー君素敵。実は漫画も読んだんだけど、演技ピッタリ! 傑作ね」

 隣の友人は主役の俳優ファンなのだが、その影響で原作を全巻買ったらしい。

「そうだ、あゆも読む?」

「そんなん、読むわけないじゃん」

「え、そう? てか、何怒ってんの?」

「……なんかさー、セリフがクサくなかった?」

 友人は目を瞬かせる。

「クサい?」

「そう。あんなの、現実で言うわけないし、リアクションも大袈裟じゃん。原作漫画だっけ? ぶっちゃけなしだった」

 友人はぽかんとしてしまったようだ。

「そ、そう?」

 と、目の前に誰かが立った。

「……!?」 

 それは、腕組みをした奏介、その後ろには弟の慧、ついでに根黒もいる。

「個人の感想を言うのは良いと思いますけど、ここで、しかも大声で言うのは良くないのでは?」

「お前」

 あゆは鋭い視線を向けてきた。

「この前のキモオタっ」

 その叫びに、周りにいた『海で君を追いかけて』ファン達が驚いて奏介とあゆを見る。

「なんでお前らがここにいるんだよ、失せろっ」

「は? 漫画嫌いなあなたがここにいる事の方が不思議なんですが。俺達は『海で君を追いかけて』の原作ファンです。長見と根黒と見に行こうと約束してたんですよ。不快なのでディスるのは映画館から離れてからにしてもらえます?」

「姉さん、こんなところで本当に恥ずかしいよ」

「ぼ、僕、かなりのファンなので、ちょっと嫌な気分になっ……たような、ないような」

 挙動不審、根黒。

「根黒、曖昧な言い返しはするな」

「僕も頑張ってるよ!?」

 奏介はあゆに向き直った。

「そういうわけです。やめて下さい。ああ、ついでに、長見に八つ当たりで手を出すのも止めたほうが良いですよ。わざとぶつかるとか、一部の悪ガキ小学生と同レベルです」

 あゆは握った拳を震わせる。弟を睨んだ。

「はぁ? なんだ、お前。なんでこいつに告げ口してんだよ。代わりに言い返してもらうってか? どんだけ卑怯なんだよ。一人で何も出来ないくせに」

「なっ! 卑怯って、僕は」

 言い返そうとした長見を、奏介が腕で制止する。

「告げ口されて咎められるようなことをしてるからでしょ?」

 奏介は腕を組んだ。

「あなたが下らないことをしなければ、長見は俺に相談してないと思うんですけどねー? 園児同士のトラブルの仲裁に入る保育園の先生みたいなことやらされてるこちらの身にもなって下さいよ。まぁ、喧嘩ならまだしも、一方的なので、園児はあなたのことですけどね」

「てめぇ、馬鹿にしやがって」

「卑怯とか一人じゃ何も出来ないとか言いますけど、そもそも人が買った高額な物を勝手に捨てた時点で、何をやり返されても、言い返されても文句言えませんよ。人に迷惑をかけてない人間と同じ立場だと思ってるんですか? そんなわけないでしょ。犯罪者予備軍ですよ」

「漫画オタクのくせに生意気なんだよ! 今の映画みたいな下らねえ恋愛寸劇をニヤニヤニヤニヤ喜んでんだろ? このクソ映画のファンてだけでキモいわ。このキモ漫画オタク!」

 あまりの叫びに映画館内がシンと静まり返る。

「ちょ、ちょっとあゆ! 何いってんの!?」

 あゆの友人が青ざめた様子で叫ぶ。無理もない。彼女は状況が分かっているのだろう。

「よくリアルファンの前で暴言吐けますよね。SNSで愚痴っちゃってる人でもやらないですよ、こういうこと」

 奏介は手のひらを広げて、端から見守っていたファンの客達を示す。

 ファン達は一様に表情を険しくしていた。


「リアルアンチスレの住人初めて見たわ」

「ヤバすぎ。頭おかしいでしょ」

「わざわざ乗り込んできてアンチ活動してんのかよ」

「いい気分だったのに最悪」

「テロじゃん」


「!?」

 大勢の鋭い視線があゆに向いていた。凄まじい敵意にあゆも顔を引きつらせる。

「い、いや、あたしはこいつに言っただけで」


 止まないファン達のささやき声。

「クソ漫画だと思うなら来るなっつーの」

「わざわざ金払って見て、ディスってんでしょ?」

「どんだけ暇なんだよ。時間無駄にしてるくせに偉そう〜」


 今更慌てるあゆ。

「ち、違、こいつが煽ってくるから」

 指を指すが、すでにそこに奏介達の姿はなかった。


 ファン達は、好きな作品を全力でディスった女性の写真を撮ったり、SNSで呟いたりし始め、夕方には長見あゆのSNSアカウントが炎に包まれたのだった。






 ファン達の様子に呆気に取られているあゆを放置して、映画館の外へ出ると、先に出ていたいつものメンバーが待っていた。

「ねぇ、なんかすっごい声聞こえたんだけど」

 わかばの問いに、詩音と水果も頷く。

「敵陣で敵チーム貶すとか勇気ありすぎだね」

 と、ヒナ。モモも完全に引いているようだ。

「あれ、ヤバいんじゃないか? ファンなら怒るだろ」

 真崎苦笑。

「あの、皆さん」

 長見が前へ出た。

「せっかく誘ってもらったのに、うちの姉がすみませんでした。菅谷君にも迷惑かけてしまって」

 他メンバーはお互い顔を見合わせ、それぞれ苦笑。

 奏介は息を吐いた。

「ま、長見のせいじゃないからな」

「そ、そうだよ。僕もちょっとは言い返してやったし!」

「根黒はもう少し頑張れ」

「なんで!?」

 奏介はなんとなく映画を思い出す。

(結構面白かったな)

 いい映画だった。



 数日後。

 あゆは自室のベッドの上で布団を被っていた。

「……ううっ」

 定期的にスマホの通知音が鳴っている。あゆのSNSアカウントへのコメントが途切れず来ているようだ。

 本名も特定され、広まってしまった。


『俺の一番好きな漫画をディスりやがって!』

『こっちは生き甲斐なんだよ、ふざけんな』

『一生許さないからな!』


 コメントは、誹謗中傷というよりは、作品を貶したあゆへの批判。

 自分達が好きな作品を馬鹿にされたことへの批判。


「悪かった。悪かったって」


 映画館にて。敵意に満ちたあの視線に貫かれる感覚は思い出すだけでも体が震える。きっと、大勢の人を敵に回してしまった。

 もし襲われたら、一人じゃ勝てない。絶対に。


「そんな、つもりじゃ」


 ふと、慧の顔が浮かんだ。DVDを捨てられたと分かった時の曇った顔。


「っ……!」


 一人の、弱い、ファンだと思っていたが、彼にはたくさんの味方がいたのだ。

 後悔しかない。


※次回綾小路問題のオマケ投稿します。

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