第259話前の職場と今の職場を比べて批判する保育士に反抗してみた3
石取サチホは憤慨しながら、園長室へ向かっていた。
そもそものルールを作った園長こそが元凶なのだ。直談判をし、園の改革に乗り出さなければ。そうなれば、同僚の保育士達にデカい顔はさせない。
「失礼致します」
職員室に乗り込んで、1番奥の大きめのデスクに座る園長へ歩み寄った。
「? 石取先生、どうしましたか」
園長は初老の男性だ。老眼鏡を外し、見上げてくる。ふんわりとした優しげな表情にいらっとした。彼には園を引っ張ってゆくという覚悟が足りない。
「実は先程」
石取は食い気味に菅谷奏介や他の保育士達とのやり取りを話した。
「そういうわけです。ここの園はどういう教育を」
「ああ、高坂あいみちゃんの。菅谷君なら、前に高坂さんと一緒に私のところに挨拶に来ましたよ。あいみちゃんの家の事情が複雑で大変なので、お迎えに来ることがあります、とのことで。……礼儀正しいし、暴言を吐くような子には思いませんでしたけど」
当然だが、石取は自分に都合の良いように話を盛っていた。
「それは園長先生が騙されているのです!」
園長は眉を寄せている。もう一押しだ。
「とにかく、有害なあの高校生と関わりのある高坂あいみという園児も園から排除すべきです」
と、その時。
「あのー、園長先生。面接の方が」
おずおずと声をかけてきたのは新人保育士だった。彼女に連れられて職員室に入ってきたのは神経質そうな中年女性である。
「ああ、
そんな園長の言葉を最後まで聞かずして、
「人見先生!?」
「石取先生!」
園長は彼女らを交互に見る。
「……お知り合い、でしたか?」
石取は頷く。
「ええ、前の園で主任を努めていた……優秀な保育士です」
数日後。
石取は人見と組んでこの保育園の改革に乗り出していた。
ごねる保護者にはすかさず退園勧告で黙らせる。同居保護者以外に園児は絶対に渡さない。口ごたえする保育士は二人で口攻撃すれば大抵は大人しくなる。
園庭へ向かうため、二人は並んで歩いていた。社会人1年、2年目の保育士達はすでに石取達の言いなりだ。後は園長やベテラン保育士達をどうやって丸め込むか。
しかし、時間の問題だと、石取は思っていた。
「!」
園庭へ出ると、知っている顔に目が止まった。保護者の輪の中で和やかに雑談していたが、向こうもこちらに気づいたらしく、はっとした顔をした。
石取と人見は強気で歩み寄った。
「お久しぶりですね、
茨城と呼ばれた保護者はあからさまにむっとした。
「……なんでこの園にいるのよ、無能保育士」
「あらあら、モンスターペアレントな性格もご顕在ですか。私達が来たからには、好き勝手させませんよ」
「モンスターって何? うちの母のお迎えを断って、時間すぎに迎えに行ったら退園しろとか、頭がおかしいでしょ? あんたらの保育園、潰れたくせに」
石取と人見はぴくりと眉を動かした。
「まったく。お迎えに来られないなら、子供を預ける資格はないでしょう?」
人見の攻めに石取も頷く。
「ルールはルール、守っていただかないと無法地帯になります」
人見はため息を吐いた。
「そういえば、お宅のお子さんはお迎えに来た別居のお祖母様を見てついて行こうとしていましたよ? 普段の教育が成ってませんよね」
茨城は涙を溜めていた。
「なんなの、それ。あの子はおばあちゃんが大好きで、よく遊びに行ってるんだから、ついて行こうとするのは当然でしょ!? それに、夫が事故で亡くなって、私は仕事を」
「子供より仕事ですか。連れ去り目的だったらどうする気でした?」
茨城が顔を引きつらせた。
「何、言ってんの?」
石取はにやりと笑った。攻めが効いている。
(そうだわ。見せしめに、この保護者を子供と共に排除して、園全体にこのルールを)
そう思った時。茨城の前にすっと誰かが滑り込んで来た。うつむき加減である。
「あなたはこの前の。そういえば、いきなり暴言を吐いてきましたよね?」
「もしかして、石取先生が言っていた菅谷とか言う高校生?」
「ええ、そうです。彼は」
奏介がとんでもない形相で2人を睨み上げた。
「!」
「っ……」
二人は息を飲んだ。
「あんたら、調子のりすぎ」
奏介は自分の顔の前にスマホをかざした。
タップした瞬間、大音量で動画が流れた。
「野並先生がこの高校生達に高坂あいみさんを引き渡さそうとしていたんです。前の保育園は徹底していましたよ? 例え祖父母だとしても同居していなければ他人ですからね!」
「あのですね、高坂さんがどうしても仕事を抜けられなくなったので代わりにお迎えに来てもらったんですよ。7時半を過ぎてしまうから、と。それに、高校生は義務教育を終えてますし、問題ないと思いますよ。」
「そんなの、なんとしても保護者に7時に来るように念を押せば良いでしょう。時間を守らせる。そうしないと保護者は甘えて来ますからね! 前の保育園はきっちり管理していました。出来ないなら退園勧告でしょう」
「もちろん、そういった園もありますけどこちらの菅谷君はお迎えに来る可能性があると高坂さんからお話を頂いていますし、名前も園の方に登録済みですよ」
「そんなことをしてるから、誘拐やらなんやらで子供達が危険に晒されるんですよ。保護者も保護者です。自分で来られないなら子供なんて預けなきゃ良い」
「なっ、保育園は働く親御さんのためにあるんですよ?」
「何言ってるんですか。ここは子供が社会性を学ぶための場です」
「そんな考え方」
「前の園はそういうスタンスでした。ここの保育園は何から何まで成っていませんよ、まったく」
「こんな子供に、しかも性犯罪を犯しそうな輩に引き渡すなんて」
園庭にいた保護者達がざわついた。それと同時に仕事帰りの、特にスーツ姿のパパママ達が睨みを効かせてきている。
「同僚の保育士、仕事をしている保護者、子育てを手伝ってる祖父祖母他色んな人達をまとめてバカにした上に俺への名誉毀損。どんだけやらかしてるんですかね?」
石取はふんと鼻を鳴らした。
「名誉毀損? 子供のくせに何を」
と、奏介の背後からスーツの男性が歩み寄ってきた。
「初めまして。私、こういう者です」
すっと二人に差し出された名刺、そこには。
『山田法律事務所 弁護士 山田範忠』
石取は顔を引きつらせた。
「は……?」
「人を犯罪者呼ばわりしといて、ただで済むわけないでしょ。ここにいられないようにしてあげますから、覚悟してくださいよ」
と、その時。園の建物から園長が歩いてきた。
「一体なんの騒ぎですか?」
「え、園長! この高校生が弁護士なんかを呼んで」
園長は目を細める。
「弁護士、ですか? 先程の音声が関係しているのですか?」
「そうです。以前、性犯罪者なんてことを堂々と目の前で言われたので、弁護士さんにお願いしました」
奏介が言うと石取が睨んできた。
「ん? なんですか、何か言いたいことがあるならどうぞ。保育士さん」
「ひ、卑怯なことをぉ!!!」
「こうなる前に、なんとか出来たでしょ。自業自得」
掴みかかる勢いだが、園長がこほんと咳払い。
「菅谷君」
奏介がそちらを見ると園長は深々と頭を下げていた。
「当園の保育士が大変失礼なことをしてしまい、誠に申し訳ございません。ここはどうにか場を収めていたただけないでしょうか」
「園長先生に言われたら、何も言えませんね。分かりました。頭を上げて下さい。俺みたいな子供にすることじゃないですよ」
頭を上げた園長は口元で少し笑った気がした。石取達へ視線を向ける。
「石取先生、それと人見先生」
「は、なんで私まで!」
「会議室へ来て下さい。弁護士さんにまで迷惑をかけて。私としても、とても不快です」
温厚そうな園長の目が怒気を含んでいた。彼女達は意気消沈で連行されて行った。
建物へ入ったところを見送ってから、
「すみません、ありがとうございました」
「これで良かったのかな?」
山田弁護士が困ったように言う。
「はい。園長先生にも許可取ってますし」
「あ、やっぱりか」
奏介は茨城と呼ばれた保護者に振り返った。
「すみません、横から入っちゃって」
茨城は目を瞬かせ、少しだけ目を擦った。
「ううん。ありがとね、菅谷君」
「いえ。お疲れ様です」
すでにあいみはいつみが連れ帰っている。奏介は山田弁護士と園を後にした。
少し離れてから、山田弁護士は口を開いた。
「もしかしてあの場にいた保護者も」
「クレーム入りまくってたらしくて、困ってたんですよね、園長先生。今日、この時間にゴタゴタ起こるのは、保護者には通達済みだったんです。居合わせたくない方は時間をずらして下さいと園長先生が配慮してくれて」
奏介はにやりと笑ってスマホを振った。
「……目的はあの保育士達を……合法的にクビに」
「今の時代は、クビを切るって結構難易度高いですからね。あの人達、性格的にごねそうだし」
「は、はは。いやぁ、恐ろしいな、君は」
奏介は少し考えて、
「あの、山田さんが本気でやったら保育士の資格剥奪出来ます?」
山田弁護士は息を飲み込んだ。
「ほ、本気かい?」
「まさか。俺は他人のためにそこまで出来ませんよ。あ、相談料だけはお支払いしますね。ほんとに訴える気はないので」
元々、脅しのために少し協力してもらっただけなのだ。
「あぁ、料金は良いさ。私は今回、名刺を見せただけだったからね」
「そう、ですか? とても助かりますけど。なら今度何かお礼をしに伺います」
「そこまで気にしなくても大丈夫さ」
山田弁護士とはそこで分かれた。
後日、石取と人見はクビを切られ、近隣の保育園にもその悪行が知れ渡ったらしい。もはやこの地域で就職は出来ないだろう。
※山田弁護士は番外の土岐afterに登場した人です。
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