第373話 人出清乃は理解する
また皮肉を言われると思っていただけに、
思わず見やった先では、清乃が光の無い瞳を十鳥へと向けている。
いくら秀でた力を持った虎であろうが、勝てぬ相手がいること。
ようやく彼女も、それに気づいたということか。
急激な心の変化に、違和感はある。
だが娘のことを指摘され、元来の心の弱さが今になって出てきたこと。
あわせて、媒体と同様に瞬発力に優れてはいるものの、彼女の能力には持久力がないという欠点がある。
力を使い切り、降伏せざるを得なくなった。
大方、そんなところであろう。
何より、攻撃が当たることのない自分が負けることなどないのだ。
些末な抵抗をされたところで、たいした障害とはなるまい。
結論を出した十鳥は、穏やかな口調で答えていく。
「もちろんですよ、清乃様。私に従い大人しくするということであれば、それはお約束いたしましょう」
きっと彼女は、この母子を最大限に利用し、自身の喜びを満たすことだろう。
もっとも、いましがた清乃にした約束。
これが高辺の性格から考えるに、どちらも存命である状態で果たされることは難しいだろうが。
視線の先では清乃が、諦めの表情をくっきりと浮かべている。
それを眺める十鳥の心に、次第に
「人出様は、私の媒体をご存じですか?」
放心した目を自分へと向ける清乃に、十鳥は続ける。
「私の媒体は『猫』。あなたの媒体と共通するものも多いですね。骨格や瞬発力。どれも私が、あなたの媒体に勝るものはありません。ですが」
言葉を途切れさせ、清乃へと皮肉な笑みを向ける。
「それなのに今、あなたは私にひれ伏し、見下ろされている。それってどんな気持ちなんでしょうかね?」
「……気持ち、ですか」
力のない声で、清乃が口を開く。
「私と同じ動きをされただけで、発動がかき消されてしまう。猫の媒体だけで、ここまでの力が発揮できるとは思えません。さぞ特別な才や、尽力があったのであろうとしか」
今や彼女は完全に屈し、十鳥を称えることで、娘に会わせてもらおうとしている。
実に愚かではないか。
だが、心地よい称賛を聞くのは悪くはない。
従順なその態度に免じて、少しは教えてやってもいいだろう。
それを理解したところで、どうせ彼女には何も出来ないのだ。
改めて十鳥が勝てない相手であるということ。
それを知らしめ、無力さを思い知らせてやることにしよう。
「私は一条に所属してからずっと。この十年の間、皆様の発動を調べつくし、模倣してきました。その結果、私は勝つべくしてここに立ち、あなたを見下ろしているというわけです」
高辺より貸与された特殊能力。
使いこなすのに、どれだけの努力と時間を費やしてきたことか。
そんな自分へと、おそるおそるといった様子で清乃が問うてくる。
「それは技を模倣し、こちらの発動をかき消すということでしょうか? 私の技を知られている以上、あなたに抗うことはできなかったと」
次第にうつむいていく清乃の態度に、十鳥はこみあげる笑いを押さえきれない。
「その通りですよ。最初からあなたには、敗北しかなかった。それだけの話です」
『……ふぅん、そういうことか』
聞こえたのは、いつもよりもわずかに低い声。
見下ろした視線の先で、彼女はゆっくりと顔を上げてきた。
十鳥の背筋を、ぞくりとしたものが駆け抜ける。
目の前の女の唇からは、ひどく歪んだ笑みが生み出されていた。
「……なるほど、理解いたしました。そういうことでしたら」
清乃は立ち上がると、人差し指をまっすぐに伸ばし、十鳥へと向けてくる。
「言ったではないですか。私には攻撃は無効であ……」
十鳥の言葉など知らぬとばかりに、向けられた指が軽く横へと振られた。
苛立ちを抱えながらも、同じ動きをもって発動をかき消してみせる。
――そのはずだったのだ。
左肩に走るのは、痛み。
驚き肩先へと右手を伸ばせば、ぬるりとした血が自分の手を染めていく。
まさかの出来事に、十鳥は叫ばずにはいられない。
「馬鹿な! なぜこんなことが」
『あぁ、そうだ。実に愚かな話じゃないか』
声は、清乃から聞こえてくる。
だが彼女は普段、このような言葉遣いはしていない。
それでは一体、この声の主はどこなのだ、誰だというのだ。
怒りと混乱をにじませ、十鳥は叫ぶ。
「だ、誰だっ! お前は、……お前は人出清乃ではないのか?」
十鳥の言葉を聞いた『清乃』が、口を開く。
「えぇ、私は人出清乃ですよ」
わずかに間を置き十鳥へと、ほんの少し低くなった声が向けられる。
『まぁ、確かに。この体は清乃のものだからなぁ』
痛みすら忘れ、十鳥は立ちすくむ。
確かに聞こえたのだ。
――彼女の口から『二つの声』が。
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