第18話 冬野つぐみと人出品子の場合
翌朝、目を覚ましたつぐみはスマホを手に取り画面を見る。
沙十美のスマホから、友人用のグループトークに連絡が入っていた。
「昨日は、みんなに心配かけてしまって本当にごめんなさい。恥ずかしい話なんだけど、もう子供じゃないのに手足口病になってしまいました。症状としては私の場合、口の中と足の発疹がとてもひどいの。文字通り、人前には出られない状況になっています。特に口の中が本当に痛い! お母さんがびっくりして駆けつけてくれているので、ご飯などの心配はありません」
手足口病にはつぐみはかかったことはない。
文章を見て、かなり痛そうだと考えながら画面をスクロールしていく。
「発疹が引くまでは学校をお休みします。口が痛くてお話は出来ないけど、家の中で退屈しているんだ。だからグループトークや個別のメッセージには喜んで対応するよ! というかむしろ送ってね。みんなもお大事に。では!」
その後のグループトークには、沙十美に対するお見舞いメッセージや休んだ分の課題の話、症状を尋ねるトークが続く。
つぐみもグループの方には「痛いの大変だね! お大事に」と無難な文章を入れておいた。
引っ込み思案の自分には、こちらのグループのトークに入るのはやはり難しい。
沙十美の個別メッセージの画面に移り、文字を打ち込んでいく。
「手足口病ってそんなに大変なんだ! 手ってことはスマホ持つのも大変なんじゃない?」
数分後に返信が来た。
「痛いよ~。だからスマホはベッドに置いて打ってるよ」
穏やかな文面にほっとしながら、つぐみも返事を送る。
「あの時に会った二人の子だけど、沙十美のことを心配していたよ。女の子の方がシヤちゃんっていうのだけどね。驚かせてしまってごめんなさいって言っていたよ」
「私、あの子に酷いことしてしまったわ。急に突き飛ばしてしまったのは私なのに」
「シヤちゃん全然、気にしてなかったよ。それでもし良かったらだけど。彼女に私、ハンカチをプレゼントしたいの。元気になったら、一緒に買いに行かない?」
「いいわよ! 私も彼女に謝らなきゃいけないと思っていたから。でも恥ずかしいから、発疹がなくなるまでは外に出たくないの。それまで待てるかしら?」
「うん、大丈夫だよ。無理しないでゆっくり治していってね」
「ありがとう。部屋で結構、退屈しているから。いつでもメッセージ送ってくれても大丈夫だからね」
「おっけ。また連絡するね!」
つぐみはスマホを机に置き、一度だけ深呼吸をする。
「……学校に行く準備を、しなきゃ」
朝食を食べ終わり、一段落したところで再びグループトークを覗く。
こちらは相変わらずにぎやかな様子をみせている。
話題は、お気に入りのアクセサリーの話に移ったようだ。
沙十美が女性陣に、おすすめのお店を聞いている。
皆それぞれに、お気に入りのお店と商品を嬉しそうに話していた。
しばらくその様子を眺めながら、再び個人メッセージを沙十美へと送る。
「グループの方で、みんなにおすすめのアクセサリーを聞いていたね。やっぱり一緒に買った、あのお揃いのブレスレットは色違いでよかったよね」
返事は来るだろうかと思いつつ待つ。
先程よりは時間が掛かったが、返信が来た。
「そうね。ところでつぐみは、ファランジリングに興味はあるかしら? 今度、買おうかと思っているのよ。それもお揃いにしたいわね」
返信を読んでいくうちに、スマホの画面がじわりとぼやけてくる。
(……駄目だ。まだ、今は駄目だ!)
首をふるふると振るい、顔を洗いに洗面台へ向かい鏡を見つめる。
以前、沙十美と喧嘩をしてしまった時と同じ顔がそこにはあった。
鏡の向こうからの自分。
互いを見つめた後、目を合わせるのを避けるように視線を外していく。
とても酷い顔だ。
こんな顔で学校に行くべきだろうか。
いや、何があっても
しっかりしろ!
冬野つぐみ。
今の自分に何が出来る?
何をすればいい!
頭を働かせろ!
目を閉じて今、すべきことを考えていく。
出た答えをまとめ、その為の準備を終えると学校へと向かう。
学校はいつも通りだった。
ただ、沙十美がいないだけ。
坂田達のグループで、沙十美の手足口病の話題が少し出ていたくらいだ。
つぐみもいつも通りに講義を受けた後、別棟にある教員の研究室へと向かう。
目的の部屋の前に着くと息を整え、ノックをする。
「はーい、どうぞー」
いつも通りの間延びした声が聞こえたのを確認して、部屋へ入る。
「よっ、冬野君。今朝は電話くれてありがとうな。しかもわざわざ容器を取りに来てくれるなんて悪いねぇ」
品子は機嫌よさそうに、棚にある本を片付けていた。
「ほい、ご馳走様~。いや~。茄子の染み具合が、私の心にもがっちり沁みたね。やはり生姜はがっつり入っていないとな。冬野君はそこのところを、実によくわかってくれていた!」
空の容器をつぐみに渡すと、再び机の方へと戻っていく。
「それで、何か相談があるらしいけど?」
「……はい。でも先生の作業を邪魔してもいけないので、手短に済ませるようにしますね」
「悪いな。こちらの作業を続けさせてもらっても、大丈夫だろうか?」
机に置いてあった本を再び数冊かかえ、品子は棚に向かっていく。
「はい、お話が出来ればいいので。そのまま作業して頂いて大丈夫です」
「すまない」と品子は言うと、椅子に座るように促してきた。
つぐみが着席したのを確認すると、そのまま正面にある机に向かい書き物を始める。
ちらりとつぐみを見て、戸惑い気味に品子は口を開いた。
「学校だと、……言いづらいことかい? 少し待っていてくれたら、この後なら空いているから」
「いえ、こちらで大丈夫です」
(……むしろ、今でないといけないかもしれないから)
震えそうになる声を何とかおさえ、つぐみは平静を装う。
「そうかい? あぁ、そういえば千堂君。あの時、病院に行っていたみたいだな。しばらく休むと学校に連絡が来ていた」
「はい、私もグループメッセージで見ました」
「早く回復するといいな」
「……」
「冬野君、具合でも悪いのか? 保健室に連絡入れてお……」
「先生。どうして……」
うつむき話をしなくなったつぐみを心配して、品子は席を立つ。
「冬野君?」
下を向いたままのつぐみの目に、品子の靴が見える。
そばに来たのを確認し、つぐみはぐっと顔を上げた。
突然の行動に、品子は戸惑いの表情を浮かべている。
今だ!
つぐみは問いかける。
近くで品子の表情を見逃さないように。
「……先生、どうして先生が沙十美の携帯を持っているのですか?」
品子は。
その表情は最初に驚き。
次いで笑う。
――人出品子は、笑っていた。
「……お見事、私の二敗目だ」
◇◇◇◇◇
「まずは、どうして私が千堂君の携帯を持ってると思ったんだい?」
品子は再び机に向かっていく。
椅子に座るでなく、そのまま机に「よっ」と言って腰掛ける。
こちらが話すのを待っていると理解したつぐみは口を開く。
「……グループメッセージを読んだとき、不思議に思いました。声が出せない。これって声を出すことを避けたいって見えるんです。さらに手足口病は感染する病気です。彼女の家に行くのは
「それで?」
短く、いつもより低めの品子の声につぐみは動揺する。
だが、まだだ。
自分の知りたいことは、何一つ分かっていないのだから。
「これは沙十美ではないかもしれない、という疑念を持ちました。だから個別のメッセージで、まず二人にしかわからないことを送ってみようと思いました。そして私は、シヤちゃんの件を入れました」
「そして私は千堂君になりすまし返事を送った。変な所はなかったはずなんだがなぁ?」
不思議そうにつぐみを品子は見つめてくる。
「……いいえ、ハンカチです」
「ハンカチ? でもそれは、君が言っていた話じゃないか?」
「はい。でも沙十美がいなくなった後に、私が怪我をしてシヤちゃんからハンカチを巻いてもらっているんです。だから急にハンカチの話が出たら」
「彼女が本物なら『ハンカチって何?』と聞いてくるはずだと」
「そうです。そしてその後に送った、ブレスレットのメッセージ」
つぐみの左手首で、静かに揺れる流れ星。
そっと触れながら、言葉を続けていく。
「これは彼女のお気に入りのお店で、買ってきてくれたものです。お揃いの色の、アンティークゴールドのものを二つ」
「……なるほどね。ずいぶんと変わった文章だとは思ったんだよね。『色違いでよかったよね』。この言葉、どっちの意味でも受け取れるからさ。だからあやふやな返答を送ってしまった。そこで怪しさ確定って所か」
「ハンカチの件を知っているのはシヤちゃん、ヒイラギ君、そして……」
「私、というわけか」
「はい。大学の皆とのグループラインで、普通に学校の話に対応が出来ている。よって彼ら二人ではないと判断しました」
机からするりと下りた品子は、つぐみの方へとやって来る。
「……最初に千堂君のスマホのことを聞く時にさ。こうやって君の近くに来させたのはやっぱり作戦?」
「作戦ではないです。でも何か驚かせてから沙十美の話を聞こう。そうすれば、とっさにごまかしはしないだろうと思って行動しました。とっさの時って、表情に嘘か本当か出やすいから」
品子は目を閉じると、すっと手を上げる。
「……うっはぁ、参った参った。降参だね」
両手を万歳のようにして言った後、目を開き真顔になると品子は問う。
「……さて、これから私をどうするんだい。警察にでも連絡する? ……それとも」
品子はつぐみの正面に立つ。
「それとも、私が君をどうかしてしまおうか?」
ぐっと顔を覗き込み、にやりと笑ってくる。
その姿は、いつもの品子とは全く違うものだ。
「……それは多分、難しいと思います」
「どうして? ここには私と君しかいないよ。それこそ君をスーツケースなりに入れてしまえば、皆に知られることなく運ぶことだって出来るよ?」
品子はつぐみの手首をおもむろに掴むと、そのまま強引に引っ張り上げてきた。
急なことに抗えず、握られた手首の痛みに顔をゆがませながら、つぐみは立ち上がる。
座っていた椅子が、がしゃんと大きな音を立てて倒れた。
その物音にも動じることなく、品子は黙ってつぐみを見ている。
冷たい眼差しを受けるのに耐えられず、つぐみは目を閉じてしまう。
怖い、やっぱり怖い。
来るんじゃなかった。
ごめん、沙十美。
私じゃ、やっぱり駄目だった。
……このまま私も、行方不明になるのだろうか?
殺されてしまうのだろうか?
沙十美のように?
……いや!
まだ彼女に何があったかは分からない。
それを知るために、私はここに来たんだ!
ここまで来たらもう引き返せない。
……ここで後悔しても遅い。
だったら、それならば!
私はもがいてやる!
どれだけ見苦しかろうが、最後まであがいてやる!
生まれたのは強い決意。
思いきり歯を食いしばった後に目を開く。
その思いをもって、品子を見つめ返した。
「私っ! 総務部に寄ってからこの部屋に来ています。先生の研究室の場所を知らないから、教えて欲しいと聞いてから来ました。それも、栗生さんに聞いていますから!」
「……へぇ」
「だからこのまま私が行方不明になったら、まず先生が疑われます。先日の件があったばかりなので、栗生さんは私のこともしっかり覚えていてくれていました!」
品子は変わることなく、自分を冷たい目で見下ろしている。
ありったけの勇気を出し、そらすことなくつぐみはしっかりと見つめ返した。
「……全くもってすごいね、君は。推理と話術だけでここまでたどり着き、答えを完成させた。さらに保険までしっかりかけて」
品子の手の力がゆるみ、つぐみは解放される。
そのまま崩れ落ちるように、床にへたり込んでしまう。
逃げるなら今だ。
このまま部屋から出て、大声で助けを求めればいい。
そうは思うのだが、動揺が今になって体を駆け巡り、力が全く入らない。
(どうしよう。ここで大声を出せば、誰かに聞こえるだろうか?)
握られていた手首にふれながら、つぐみはこの後のことを考える。
そんな時に品子から掛けられたのは、あまりに意外な言葉だった。
「……すまない。いまさらこんなことを言うのは、本当に都合のいいことだとはわかっているが」
弱々しい声が聞こえ、顔を上げると品子が目の前にしゃがみ込んでいる。
「千堂君の行方は、私には分からないんだ」
そう言いながら、手を差し出してくる。
反射的に体をびくりとさせたつぐみに、品子はあわてて手を戻した。
その時に見えた品子の表情、それは。
「……先生、手を貸していただけますか? 私、驚きすぎて足に力が入らなくって」
泣きだしてしまいそうだった。
つぐみも。
……さきほど見た品子の顔も。
(きっと先生は沙十美の行方を、捜そうとしてくれている)
確信とまではいかないが、その思いをつぐみは抱く。
再び差し出されたその手を握り、ゆっくりと立ち上がる。
そっと手を離した品子は、ぽつりと呟いた。
「酷いことをした。許してほしいというつもりは無い。というか、今の私にこんなことを言う権利はないが」
品子は自分の手のひらをじっと見つめ、ため息をついた。
倒れていた椅子を戻し、座るよう促してくる。
つぐみが座るのを見届けると、品子は自分の机に向かう。
机の中から一台のスマホを取り出すと、つぐみへと差し出してきた。
それが沙十美のものであることに気づき、つぐみは息を呑む。
「先生、これは!」
「冬野君。今から私が話そうとしていることは君にとって、冗談ではなく人生を変えてしまうことになるかもしれない」
品子は再び自分の席に座ると、机の上で指を組み顔に近づけていく。
「このまま……。今日のことは全て忘れて、明日からまたいつもの一日を過ごすことを、私は勧める」
うつむいたまま語り続ける品子の表情は、つぐみからはうかがうことは出来ない。
「千堂君のことが心配なのは承知している。だからこそ君はここに来た。君みたいに優しい子には、相当な勇気が必要だったことだろう。それも踏まえてだ」
品子は再び顔を上げる。
ほんの一瞬、目が合う。
だが品子は唇をぐっと噛みしめると、つぐみから目をそらしてしまった。
「いや、お互いに考える時間が必要だろう。今日はもう帰りなさい。明日、『普通』の一日を過ごしたら、またここにおいで。それから、君の答えを聞かせておくれ」
聞きたいことは沢山あるのだ。
おそらく、話を続けて欲しいといえば品子は話してくれるだろう。
だがこれまでの様子から、つぐみには無理なのだと判断したのではないか。
動揺している今の自分には、これから語られる話は受け止められないということだろう。
これはきっと、品子の優しさだ。
そう理解したつぐみは小さくうなずく。
「大丈夫だ。明日、君が来るまでは私は逃げも隠れもしないよ。ただ千堂君のスマホは置いて行ってくれないか。他の者への返信を、君がやってくれるというのなら話は別だが」
「む、無理です。というか今までは、やっぱり先生がやっていたのですね?」
「あ~、大変だったね。彼女の履歴やら文調やら各個人のトーク履歴やら読みあさってさ、本っ当に大変だったな~」
さらりと棒読みで言っているが、それは大変な労力を必要とするものだ。
「え、えーと。先生がそのスマホを入手したのって、そんなに早い時期ではないはずですよね? それであの短時間で皆の特徴を掴んで、各々に返信している。それって……」
「まぁ、それは『企業秘密』ってやつで」
気が付けば品子は、すでにいつものペースに戻っている。
「というわけだ。はいはい、子供は帰る時間ですよ~」
つぐみは背中をぐいぐいと押されながら、部屋から追い出されていく。
「ではでは! また明日、来てくださいな~」
満面の笑みで、品子はつぐみを廊下に押し出した。
つぐみの背中を最後にポンと叩いて、品子はドアを閉めようとする。
だが自分にはまだ、言えていないことがあるのだ。
「先生。先生が、苦しさを吐き出せるところはあるんですか?」
「……ん~、何だい? 突然だねぇ」
「多分、先生の他に何人かの人がいて、そのスマホが先生の手に渡っているのだと思います。その人達とでもいいので話とか……。いろんなものを抱え込まずに……。えっと」
駄目だ。
うまく伝えられない。
ただ、先程の短い時間のふとした瞬間でも、品子がとても辛そうにみえるのだ。
何かを一人で抱えて、納めようとしているように見えて。
だから、そんなことは……!
伝えたい言葉を出そうと、つぐみは品子の顔を見上げる。
「冬野君」
そんなつぐみの額にとん、と品子の指先が触れた。
その瞬間、品子の後ろから風が吹く。
風を受けたつぐみの髪が後ろへとさらさらとなびいた。
状況が理解できないつぐみへと品子がささやく。
「さぁ、『早く帰らないと』。遅くなってはいけないよ」
――本当だ。
さすがに長居しすぎたようだ。
早く帰らないと。早く帰らないと。
「すみませんでした。では失礼します」
つぐみは一礼すると、それを見届けた品子がドアを閉める。
廊下を歩きながらつぐみは考える。
明日、自分はどんな答えを品子に出すのだろうと。
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