第160話 さとみはおそれをなす
『しなこ! きいているのか! いろいろ教えるのがせんせいと言っていただろう! せんせいをしろ!』
ようやく落ち着きを取り戻したつぐみは、小さなさとみが品子に詰め寄り、手をぶんぶんと振りながら怒っているのを見つめる。
思わずヒイラギとシヤの様子を見てみれば、以前に話を聞いていたとはいえ、やはり蝶が人間に代わったという事実に混乱しているようだ。
驚いた様子で、つぐみと同様に二人の会話を聞いている。
品子は両手を前に出して、「まぁまぁ」と言いながらさとみを何とかなだめようとしていた。
「さとみちゃん、これはえーと。冬野君を困らせようとしてしたことではなくってね」
『しなこは言ってたじゃないか! 冬野と私が大好きだって! あれはうそなのか!」
「いやいやいや、二人とも大好きだよ! 今だってぎゅってしたいと思うくらいにね! ……今、してもいいかな?」
『そうなのか! してもいいな! ……ってちがうぞ、しなこ! してほしいが今はだめだ! 私はおこっているからな! ……でも後でならいいぞっ』
「そうなの! やったね! さとみちゃん大好き! なでなでしていい?」
『しなこ! なでなでも後だ! ……後でなら、してもいい!』
「そうなの! やったね! 後でいっぱいするよ!」
後半から品子は、明らかに楽しんでいる。
真剣な表情のさとみと、にやにやと嬉しそうにしている品子を見てつぐみはそれを悟った。
さとみがかわいそうになり、つぐみは話をしている二人へと近づく。
「さとみちゃん、大丈夫。私、もう泣いていないよ」
つぐみはさとみの前に立つと、目を合わせてから頭をなでる。
「心配してくれてありがとう。そして来てくれてありがとう。私、待っていてよかった」
そのままつぐみはそっと彼女を抱きしめていく。
さとみは嫌がる様子もなく、そのままじっと身を委ねている。
「冬野君ずるーい。私は後でって言われたのにー! ねぇ、さとみちゃん。私も、もういいでしょ? ね? ね?」
答えを待つことなく品子は、さとみの後ろに回り込むと、つぐみの背中に手を回してそのまま抱きしめてきた。
自分と品子との間にサンドイッチ状態になってしまったさとみは、目を白黒させている。
『く、くるしい。これはぎゅっとはちがう。せまいだ!』
その言葉は、つぐみと品子の心を必要以上に興奮させるものとなる。
これによりさとみは、二人に更に強く抱きしめられることになったのだった。
◇◇◇◇◇
『はぁ、はぁっ、ここはっ! ここはこんなにこわい所なのか!』
一同はリビングに移動し、さとみは息も絶え絶えといった様子で、つぐみと品子のことを離れたところから見てきている。
あの後つぐみと品子はヒイラギとシヤの二人に、さとみから文字通り引きはがされた。
ヒイラギがつぐみと品子をぐっと押しやり、シヤはさりげなくさとみを連れて離れていくではないか。
これ以上さとみに近づかないようにとつぐみ達はヒイラギに宣言されてしまった。
ヒイラギは警戒しながら、つぐみ達を睨みつけてくる。
「何だろうね、この扱いは! あまりにひどいではないか! なぁ、冬野君!」
「そうですね、私達はただ可愛いものを
「黙れ! そう言った言葉は、相手の意思を確認してから言いやがれ」
自分達へと鼻息も荒くヒイラギが放った言葉に、品子は負けじと反論する。
「ふっふーん! 私はさっき、さとみちゃんに後からぎゅってしていいって言われてましたー! だから確認済みですぅー」
「あぁ、先生! ずるい。私もしておけばよかった!」
思わずつぐみがさとみの方を見ると、シヤが彼女の頭をなでているのが目に入る。
「なっ、シヤちゃんずるい! 何でさとみちゃんの頭を、なでなでしているの!」
「怖かったね。おねえちゃんがなでなでしてもいい? と確認及び当人からの許可済みです。したがって問題ありません」
つぐみの言葉に動ずることなく、無表情でシヤはさとみの頭をなで続けている。
だがつぐみは、シヤの目が普段よりとろんとしていることを見逃さない。
「先生、シヤちゃんは堪能しています! イナフに堪能していますよ! これはけしからんことです!」
「そうだね冬野君、これは確実に独禁法違反! しかるべき場所に抗議だ!」
「黙れよ、お前ら。この子に本格的に嫌われる前に、理性を取り戻せよ」
「そうです、お二人共。大人になりましょうよ」
つぐみの目の前でシヤはさとみを自分の膝の上に座らせて、彼女の髪を編み込み始めている。
「ず、ずるいよ、シヤ。先に会っていた私ですら、その域に辿り着けなかったというのに。お前はあっさりとそこに行くなんて!」
「そうだよシヤちゃん。先生の理論で行けば、もっと先に会ったのは私なのに〜!」
「お前ら……」
つぐみ達を呆れた表情で見ていたヒイラギが、明らかに侮蔑の表情に変化していく。
「はっは~ん、ヒイラギ。その顔はさては、自分もなでなでしたくなったんだな? この中でしていないのはお前だけだもんなぁ!」
挑発的な品子の言葉に、ぴきぃんという音でもしそうな張りつめた空気をつぐみは感じる。
しばしの沈黙の後、ヒイラギが笑みをたたえて言う。
「……そういえば俺。退院してから、まだ一度も発動していなかったなぁ。……俺もリハビリが必要だよな」
ヒイラギの手に突然、延長コードが現れるをつぐみは目にしてしまう。
「ヒイラギ君。今、使いましたよね。確実に、『
「ひ、ヒイラギ! いや、ヒイラギ様。あの、私はですね……」
危険を感じたつぐみは思わず叫び、そんな自分の横では品子は上ずった声でヒイラギに話しかけている。
「問答無用っ! 品子! てめぇは己の発言に後悔と責任を持ちやがれ!」
「え、何で、私まで! ヒイラギ君。私、さっきの先生の発言には関係していないよ! いや、ちょっとだけ『そうだよな。ヒイラギ君はツンデレだから、やりたくても出来ないのかな』とか思っちゃったりしたけど」
「……冬野。お前はもう少しその垂れ流しにしている思考を、公に出すという事を控えろ。さて、お前らにはちょっとした地獄を見せてやるよ。なぁに『ちょっとした』ものだ。ささやかなものではあるが、ぜひ堪能してくれ」
ヒイラギはにんまりと自分達へと笑いかけてくる。
それは『悪魔の笑み』と呼ぶにふさわしいとつぐみは思うのだった。
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