第108話 倉庫にて 2

 連太郎は何も言わずしゃがみ込むと、つぐみの手首と足首を縛っていたスカーフを解いていく。


「あ、ありがとうございます」


 連太郎は無言でそのまま立ち上がると、スマホで誰かに連絡を取りはじめた。


「はい、冬野さん見つけました。井出さんはじき、こちらに来ると思います。あと、彼女の着替えの準備をお願いしたいと伝えてください」


 つぐみは改めて自分の姿を見下ろす。

 泥や埃で、確かに外を歩きづらい格好だ。

 立ち上がろうとして、腹の痛みに気づく。

 もう少し座っていた方がいい。

 そう判断し、再びそのまま床に座る。

 その矢先、倉庫の奥の扉が開く音が聞こえてきた。

 見回してみると、先程までいた男がいない。

 男がここから逃げ出したということか。


 あの時の鈍い音。

 恐らく、男の腕の骨が折れた音なのではないだろうか。

 もう一人の男はどうなったのだろう。

 いずれここに戻ってくるのは間違いない。

 それまでにはここを出なければ。

 今後の行動を考えていると、再び扉の方から音がする。


「つぐみさん、九重君! どこにいるんだ!」

「井出さん、こちらです。そのまま奥に来てください」


 明日人の声に連太郎が返事をしていく。

 やがて足音が近づき、明日人の姿が現れた。


「つぐみさん! 大丈……」


 つぐみの姿を見た明日人は、言葉を失っている。

 つぐみ自身が分かるだけでも左頬に三本の傷、熱をもった右頬、埃だらけで腹の部分に靴の跡がくっきりと付いた服。

 明日人は、かなりショックを受けてしまっているようだ。

 自分のパーカーを脱ぎつぐみの肩に掛けると、そっと抱きしめてくる。

 その顔は今にも泣きだしてしまいそうだ。


「ごめんね、ごめんなさい。……僕のせいだ。僕があの時、外で待っててなんて言わなければ……」

「いいえ、それは違います! 井出さんは何も悪くありません。私が今回、勝手な行動をして……」


 慌てて言葉を返すつぐみに対し、感情の無い、冷ややかな声が頭上から響く。


「その通りです。これは冬野さんの責任です」

 

 明日人が顔を上げ、連太郎へと声を荒げる。


「連太郎君! 何でそんな!」


 つぐみに触れている明日人の指に、力がこもる。


「冬野さん。ここを見つけられたのはなぜだと思いますか? 木津シヤさんのリードと惟之様の鷹の目があったからです。あなたの勝手な暴走のせいで、二人の発動者が使わなくていい力を使わされたんですよ」


 見上げた連太郎の顔は、ずっと無表情のままだ。

 つぐみを一瞥いちべつした後、背を向けて連太郎は続ける。


「恐らく井出さんは、あなたに言ったはずです。追いかけるな、その場に居ろと。違いますか?」

「……はい、その通りです」

「どうしてそれを守らなかったのですか? その結果が今なんです。あなたが自分で解決する力を持っていたなら、好きにすればいい。でも何も持っていないあなたが余計な行動をしたために、何人の人に迷惑を掛けたか。あなたはそれを知るべきだ」


 こちらを見ようともしない連太郎に、つぐみは小さく答える。


「……本当に、その通りです。私には発動の力も、先程のように襲われた時に対応できる力も、何も持っていません」

「……自分は一度、戻ります。品子様がもうすぐ車でこちらに迎えに来るでしょう。井出さん。申し訳ありませんが、それまで冬野さんの傍にいてください」


 連太郎の声が響く中、つぐみはうつむいたまま動くことが出来ない。


「うん、わかった。ありがとうね、つぐみさんを助けてくれて」


 明日人が、連太郎に声を掛ける。


「自分は何もしていません。あと、冬野さん。井出さんは部外者であるあなたに治療を施すと、組織に罰せられます。決して井出さんの治療を受けないようにしてください。……これ以上、自分の大切な人達に、迷惑を掛けたくないのならば」

「……はい、わかりました」

「失礼します」


 連太郎はそのままつぐみを一度も見ることなく、倉庫から出て行った。



◇◇◇◇◇



「つぐみさん。あのね、九重君は君を傷つけたいというつもりではないんだ。一緒に君を探している時、本当に彼は心配していたんだよ。だから、勘違いして欲しくないんだ」

「はい、それは分かっています。九重さんは、優しい人ですから」


 明日人はつぐみの隣に座り、ずっと手を握っている。


「井出さん、服が汚れてしまいます。私はもう大丈夫ですから」

「うん、わかってるよ。でも僕が座っていたいんだ」

「……はい、ありがとうございます」

 

 明日人の優しさに、つぐみは感謝する。


 言葉が途切れないように。

 つぐみが辛いことを考えないでいられるようにと、気を遣ってくれている。

 腹の痛みはもう感じない。

 今ならもう立てるだろう。

 明日人の顔を見てからそっと手を放し、足に力を入れて立ち上がってみる。


(……よし、大丈夫そうだ。きちんと体は動く)


 自力で立てたことにほっとする。

 もう一人の男が帰って来る前に、ここから早く出なければ。


 そう考えていると、部屋の奥の方から再び扉が開く大きな音がする。


「冬野君! 明日人! どこにいるんだ?」


 品子の緊迫した声に明日人が答える。


「品子さん。こっちです。声のする方に来てください」


 まもなく現れた品子は、手に紙袋を持っていた。

 つぐみを見て、一瞬だけ苦しそうな表情を浮かべた後、口を開く。


「着替えを持ってきた。冬野君はこれに着替えてくれ。私と明日人は出口の方で待ってるから、終わったら出てきてくれるかい」

「わかりました。すぐに着替えます」

「何かあったら呼んでね。あ、僕じゃなくて品子さんの方ね」


 言葉の一つ一つに、明日人の心遣いを感じる。


(落ち込むのは後だ。今はこれ以上、心配を掛けないようにしなければ)


「はい、何かあったら呼びます。先生だけでいいですからね」

「あぁ、そうだな。明日人は一人で待ってればいいさ」

「何かあったら、でしょ。ちぇ~、僕だけ仲間外れかぁ」


 二人で話しながら出て行くのを見送り、つぐみは紙袋を開くと着替えを始めた。

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