第195話 小さな変化
「ううっ、ひどい! ひどすぎるよ、こんなのって!」
品子が鼻をすすりながら、車を運転している姿をつぐみは後ろの席で眺める。
あれから文字通りに力いっぱいに顔を握り潰された品子を、すぐに明日人が治療していた。
今は明日人を自宅へ送っていく最中だが、品子はあれからずっと泣き続けている。
「あはは。でも、もう痛くないでしょう? 品子さんは強い子だから、泣いたらだめですよー」
助手席では明日人が、楽しそうに品子へと話しかけている。
「よ、よかったですよ。井出さんがいてくれて。保冷材もハンカチも要らないですし……」
慰めにもならないフォローを後部席から入れながら、つぐみは改めて明日人の治療の力の凄さに驚く。
あれだけ赤く腫れていた品子の頬は、今はすっかり元通りになっている。
「自業自得だろ。なにが『上官としてびしっと』だよ。というか今まで惟之さん一人でよく頑張っていたな……。次に会う時に俺、謝ろう。『不出来な従姉がすみませんでした』ってな」
「なんでだよ! 私、頑張ってるじゃん! めっちゃ頑張ってるだろう! なあ! シヤ!」
「頑張っている人は普通、従弟からは顔を潰されたりしませんけどね」
「はーん、そんな冷たいシヤも大好きー!」
「……品子、お前さ。井出さん送り届けた後に、また潰されてみるか?」
両手をわきわきとさせながら、品子に話しかけるヒイラギの隣でつぐみは笑いをこらえようと唇に力を入れる。
だが品子がおびえたようにピタリと話すのをやめる姿に、耐えられず思わず吹き出してしまった。
ふと隣のヒイラギを見れば、左手の甲の部分が赤く腫れあがっているのがみえる。
突き飛ばされたときの怪我であろうかと、つぐみが聞いてみようとしたその時、明日人が前方を指さした。
「あぁ、そこです! 僕の家。ありがとうございます~、品子さん」
「オッケー明日人、今日はお疲れ様。さて、後部席に三人は狭かったろう。明日人が降りたら誰か一人、助手席においでよ」
品子の提案に、シヤが反応する。
「では私が行きます。兄さんやつぐみさんが隣だとからかわれますから。そうなるとまた、一波乱ありそうですからね」
「あはは~、さすがシヤさん。でもそれも面白いから見てみたかったなぁ。でもそうしたら僕、帰れなくなっちゃうね!」
皆のとりとめのない会話を聞きながら、つぐみはヒイラギに問いかける。
「ヒイラギ君。手の甲が腫れてるみたいだけど、大丈夫?」
ヒイラギは「あぁ」と小さく呟き、左手を上に掲げる様にして眺めている。
「転んだ時にさ、机にぶつけたんだよ。ちょっと腫れてきてるみたいだな。でもこんなの平気だか……」
「やっぱりそうなんだ、……痛そう」
思わずヒイラギの左手を握り、明日人に声を掛ける。
「井出さん。ヒイラギ君の治療をお願いできますか?」
つぐみの問いに明日人は、笑いながら答える。
「僕は別に構わないよ~。じゃあ車を降りたら治療しよっか~」
「いいよ。これ位で井出さんの手を
「でもっ! こんなに腫れて、痛そうなのに……」
あぁ、どうかこの痛みが早く治りますように。
そう思いながら、つぐみは握ったままのヒイラギの左手を見つめる。
「うんうん、大丈夫だよ。きちんと僕が治し……」
前を見てのんびりと話していた、明日人の言葉が急に途切れる。
どうしたのかとつぐみが声を掛けようとしたその時、明日人はがばりと振り返る。
その顔は、いつもの穏やかなものとは全く違うとても真剣な表情だ。
「つぐみさん! 君は今、何をした?」
「え、何をって? 何もしていませんけど?」
「……ヒイラギ君。左手の痛みは今、どうなってる?」
「え? えっと、少しだけですが和らいだ感じはしますね。何でだろう?」
ヒイラギは不思議そうに、自分の左手を見つめている。
だがつぐみには彼の手の甲は、相変わらず赤く腫れたままに映る。
「どういうことだい、明日人? つまり冬野君が今、ヒイラギに治療をしたということなのか?」
車を停めた品子が、ヒイラギの方を見ながら明日人に尋ねる。
「うーん、僕にもよくわからないんです。さっき後ろから、というかヒイラギ君の方からなにか今までに感じたことの無い気配がしたんです。びっくりして振り返ったら、つぐみさんがヒイラギ君の手を握っていたから。それで思わず、あんな尋ね方をしてしまいました。うーん、治療なのかなぁ。僕は、何を感じたんだろう?」
突然の出来事に戸惑いながらも、明日人は皆へ説明をしている。
だがつぐみはその時は手を握っていただけで、何もしていないのだ。
木津家での明日人からの治療の指導の時に言われていた、『指先が温かくなる』という感覚すら、感じられなかったのだから。
「治療したとは違うと思います。ヒイラギ君の手は、腫れも痛みも引いてませんし」
「んー、でも確かに痛みは弱くなっている気がするんだよなぁ。一体、どうなっているんだろう?」
かざすように手を上げ、ヒイラギが考え込んでいる。
「そうだ。お腹が痛い時って手を当てると、痛みが和らぐ時ってあるじゃないですか。それと同じ理論ですかね?」
つぐみの考えに品子がうなずいている。
「あー、うんうん。文字通りの『手当て』ってやつだね。ヒイラギは冬野君に手を握ってもらって、癒しを施されたってことかねぇ?」
くくくと何だか嬉しそうに品子が笑いながら話すのを、ヒイラギが睨んでいる。
「先生、このままだと本当に第二回の『
心配そうに品子に話しかけるつぐみに、それまで黙っていたシヤが問いかけてくる。
「つぐみさん、反動というか何か痛みや違和感など今、感じるものはありますか?」
「ううん、今のところは無いよ。あの、ちなみに今の私の、……前髪は?」
「大丈夫です。マキエの特徴は出ていません。いつものつぐみさんです」
シヤの返事に、ほっとしながらつぐみは前髪に触れ目を閉じた。
瞼に触れている、自分の手の温もりを感じる。
でもこれは明日人の言っていた、発動の兆候である温もりとは違うもの。
閉じた目の中の、小さな暗闇の中でつぐみは思う。
発動が出来るわけでない、姿だけはマキエになれる自分。
――自分という存在は、いったい何なのだろう……?
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こちらのお話にて、第四章は完となります。
次話より章終わり恒例の番外編をお送りいたします。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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