第119話 アイスは甘いだけじゃない

「つぐみさん。お風呂、次どうぞ」

「ありがとね、シヤちゃん。では先生、ちょっと失礼します」

「うん、ゆっくり入って温まっておいで〜」

「はい! では行ってきます」


 穏やかに進む会話を品子は見守っていく。

 いつも通りの生活が進んでいる、様に見える。

 だが今日の出来事は、この家に居る全ての人間に大きな影響をもたらしているのだ。


「品子姉さん。聞きたいことがあるんです」


 シヤが品子の隣に静かに座る。

 その表情には、惑いが見え隠れしている。


「何だい? 彼女がいないこのタイミングでとは、つまり今日の話かい?」

「……はい。リードで私は、ずっとつぐみさんの会話を聞いていました。男に襲われていた時、つぐみさんはずっと謝っていました。恐らく、ご自身のお兄さんに」


 どうやら倉庫では、シヤには聞いてほしくなかった会話があったようだ。


「ずっと『叩かないで』とお兄さんに対して言っていました。品子姉さんはその、……事情を知っているのですか?」

「あぁ、知ってるよ。でも言わないよ、私は」

「それはどうしてですか? 私がまだ未熟だからですか?」


 そう言って、ぐっと唇を噛んだ後にシヤは品子を見上げてくる。


「違うよ、そんなに知りたいのならば。シヤが直接、冬野君に聞けばいい」

「そ、それは……」

「だろう? シヤは自分が話していないことを、第三者から話して欲しいと思うのかい?」

「いいえ、それはっ! ……確かに、間違っていますね」


 シヤの声はだんだん小声になり、うつむいてしまう。


「『間違っている』とは言えない。ただもう少しだけシヤは、待っててもいいんじゃないかなと私は思うよ」


 いま話題にしている彼女はきっと。

 ようやく一人きりになった風呂場で、泣いているだろう。

 怖かっただろうに、痛かっただろうに。

 皆に心配をかけまいと、いつも通りに振舞っていたあの子。

 惟之も言っていたが、成長するのをそう急がなくてもいいのに。

 ……もう少し、私たち大人に頼ってくれてもいいのに。

 品子はそう願ってならない。


 恐らく祖母以外の彼女の周りにいた大人は、今まであの子に『頼る』ということを許さなかったのだろう。

 本来なら彼女を守るべき『家族』という存在ですらも。

 シヤと話しながら、品子の中に芽生えてくるもの。

 冬野家の人間に対する、重い、黒くどろどろとした負の感情。

 これだけは「間違っている」と言えるだろう。

 品子は自身を律するように、ぐっと拳を握りしめる。


「品子姉さん。私がつぐみさんに出来ることって何なのでしょうか?」


 シヤの言葉に品子は驚きを覚える。

 彼女がここまで他人に関わろうとするなんて、少し前なら想像も出来なかった。

 つぐみの存在が、ここの皆にとって日々大きくなっていくのを嬉しく思う。


 そしてそれと同時に恐れもする。

 彼女がもし品子達の前からいなくなるようなことがあれば、シヤはどうなってしまうのだろう。

 十年前のあの時のような、感情を無くした人形のような姿になってしまうのだろうか。


(……いや、違う)


 品子は、そっとシヤの頭に触れ優しく撫でた。

 不思議そうな顔をしながら、見上げてくるシヤに笑いかける。

 ヒイラギがそばにいない今、それでも立て続けに起こった出来事をシヤは。

 この子は逃げることなく受け入れ、成長を続けているのだ。


 様々な人に出会いこの子は、この子達は強くなろうとしている。

 ならば品子が、大人がすべきことは。


「そうだね。とりあえず冬野君がお風呂から出てきたら、三人でチョコアイスを一緒に食べるんだ。それから今後、彼女が助けて欲しいとか話を聞いてほしいと言ってくる時がきたら。その時はきちんと向き合い、聞いてあげることなんじゃないかな」


 まずは、見守ろう。

 そして助けて欲しいとこちらに手を伸ばしてくれたら。

 その時は、しっかりと手を握ってあげよう。

 ……そしてまず何より、私自身が。

 この子達を守れるように、強くなろう。

 新しく生まれた誓い。

 それをしかと抱きしめ、品子はもう一度シヤに笑いかけた。



◇◇◇◇◇



「……よし!」


 鏡を見て、思っていたより目が腫れていないことにつぐみはほっとする。

 お風呂から出る前に、しっかり冷水で顔を冷やした甲斐があった。

 最近はよく泣く機会があったので、すっかり目の腫れを戻す方法にけてしまっている自分が悲しい。

 倉庫で見た品子と明日人の顔。

 今日のような悲しい顔を、もう二度とさせてはいけない。

 これからは、自分の行動に責任があるという自覚をしっかり持とう。


 いつまでも自分だけが守られてばかりでいる。

 この状況に正直もどかしい思いはある。

 だが、つぐみには発動能力が無いのだ。

 余計なことをすれば、今日のようにかえって迷惑を掛けてしまう。

 今後は、一人で勝手に危険な所に出向かないように心がける。

 そして品子達に意見を聞かれたら答えられるように、これからも観察力を高めていく。

 今、自分に出来ることを着実に行っていこう。


 ずいぶんと風呂で時間をかけてしまった。

 次に入るはずだった品子は、さぞ待ちくたびれているだろう。

 洗面台の扉を開け、廊下に出ようとしたその時。


「ふーゆーのーくぅーん」

「きゃあああ!」


 扉の前で品子が文字通り、待ち構えていた。

 人がいると思っていなかったつぐみは、思わず大きな声を出してしまう。

 その声に驚いたシヤが、廊下に飛び出してくる。


「つぐみさん、一体どうし……。あぁ、品子姉さんの仕業ですか」


 呆れたように呟くシヤをみて、品子はなぜか嬉しそうだ。

 シヤに関することなら、何でも嬉しいのだろう。

 つぐみはつい、くすりと笑ってしまう。


「ねぇねぇ、皆でチョコアイス食べようよー! お風呂上りはやっぱ、甘いのでしょ」

「え、それは構いませんが。……でも先生、まだお風呂に入ってないですよ?」

「大丈夫! 入った後にも食べるから! べつばらだもん!」


 別腹の意味が、つぐみの知っている意味とは違っている。

 だがお風呂上がりのアイスは、確かに格別だ。

 半ば連れ去られるかのように台所へ向かい、気が付けば三人でアイスタイムを楽しんでいた。

 つぐみが食べながら感じたこと。

 三人で食べるアイスは甘いだけでなく、なんだかむずむずとした温かい気持ちも味わえる。

 この日の、この時間を。

 品子の笑顔と真顔で黙々と食べ続けるシヤと過ごした、愛おしくてたまらないこの瞬間を。

 これからもつぐみはきっと、大切に思い続けることだろう。

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