第231話 人出品子は力を試す
「ふぅ、いっぱい泣いたなぁ」
鼻をすすりながら、つぐみはハンカチをそっとまぶたに当てる。
ようやく自分が泣き止み、話も終わったということでつぐみ達は和室から出て廊下を歩いていた。
品子はそのまま皆のいるリビングへ。
つぐみはパンパンに腫れてしまったまぶたを冷やすため、洗面台へと向かうつもりだ。
だがその為には、一度リビングを通過する必要がある。
さすがに腫れた顔を、皆に見られるのは恥ずかしい。
そうつぐみが考えていると、品子からある提案をされたのだ。
「冬野君。まぶたの腫れは私に責任があるからね。皆をこちらに引き付けておくから、君はその間に洗面台に行けばいい。なぁに、私に任せておきたまえ!」
そう言って品子はぱちりとウインクをして、颯爽と廊下を歩いて行く。
やはり頼もしい。
後ろ姿にも自信があふれている様だ。
つぐみはそう思いながら後を付いて行き、リビングの手前までたどり着く。
品子はちらりとリビングの方を覗きこむと、つぐみを振り返り小声で囁いてきた。
「うんうん、皆が揃ってリビングにいるね。よし、準備はいいかい? 冬野君」
「はい。ですが、私はどうしたらいいのですか?」
「んっふふ~。君はここで待っていればいいよ。あ、調整はするつもりだけど、少し下がっててもらおうかな」
「調整? 下がる? どういうことですか?」
つぐみの言葉に品子は返事もせずに、にやにやと笑っている。
何かの事前運動のように、それはもう嬉しそうに両手をぶらぶらと大きく振っている。
次第につぐみの心に嫌な予感が広がっていく。
――そしてその予感は、的中してしまうのだろう。
その思いと、言われた言葉が重なりつぐみは一歩うしろへと下がる。
「んじゃ、人出品子、いっきまーす!」
ばさりと一気に髪を解くと、品子はリビングへと駆け込んでいった。
「あれ、品子? お前にしては珍しく髪を解いてるんだな。ってえっ、何だその手は?」
「品子さん、まさかあなたっ……!」
ヒイラギと明日人の声に、品子がかぶせるように叫ぶ。
「みんな~。おやすみなさーい! 倒れこまないようにゆっくり座ってー。よく寝てくれよー!」
「え? 先生、まさか……?」
今度は惟之の叫びがつぐみの耳に聞こえてくる。
「おいっ、品子! お前っ、それは服務規程いは……」
惟之の声が途切れ、その後に訪れたのは静寂。
リビングに行きたくない、つぐみは心からそう願わずにはいられない。
「冬野くーん! こっちに来てもいいよー!」
呼ばれてしまった。
なんだか嬉しそうな品子の声が、リビングから聞こえてくる。
この状況から逃げたくても、もはや逃げ場所はない。
しかもこれに関しては、自分も一枚噛んでいる。
いや、噛まされてしまっているのだ。
諦めてリビングへと向かい、つぐみは部屋を覗き込む。
「う、うわぁ」
そこには、にこにこと満面の笑みの品子の姿が。
そして座り込んで眠りこんでいるヒイラギ、シヤ、惟之、明日人、そしてさとみの姿があった。
「皆、眠っているのですか?」
「うん、そうだよ。さぁ、冬野君! 今のうちに冷蔵庫から保冷剤を持って洗面台へゴーゴー!」
『何だ? 冬野はせんめんだいにごぉするのか?』
「そうだよ〜って! え? ……ええっ!」
品子の驚く声に、つぐみも思わず声がした方へと目を向ける。
シヤの隣でちょこんと座り、こちらを眺めているさとみと目が合う。
そう、目が合っているのだ。
「な、どうして……?
そう言って品子は、惟之の傍に座り込むと彼の頬をつねる。
「うん。これだけの刺激を与えても目が覚めない。間違いなく発動は成功しているね」
そう言いながら、つねっている手をどんどん上へと引き上げていく。
惟之が目が覚めたら大変なことになるとつぐみは思わず目を伏せる。
「せ、先生? つねらなくても、体を揺するだけでもよかったのでは?」
「え? あぁ、ごめんごめん。ついうっかりね、手がつねっちゃったよ〜」
「そんな『手が滑った』みたいな発音で言われましても」
つぐみが話しかけたために、品子は惟之の頬をつねったままで振り返っている。
あろうことか自分のせいで、惟之にさらなる負担を掛けてしまった。
「あぁ、靭さんごめんなさい。後で改めてきちんと謝ります」
そう呟きながらもつぐみが改めて思うのは、さとみ以外は眠りについているのは間違いないということ。
「さとみちゃんは、皆みたいに眠くならなかったの?」
つぐみの問いかけに対し、さとみは不思議そうに首を傾げて答える。
『だってしなこがすわってねろって言ったら、みんながそうしたから。だから私もやろうと思ったんだ。でもねむねむじゃなかったし、まだ歯みがきしていないからな。歯みがきしてからしか、おやすみはしていけないと知っているぞ』
えっへんと胸を張って答える、愛らしい姿。
つぐみも品子もついへらへらと笑い、さとみの頭をなで続けてしまう。
「……い、いけません! 今はそんなことをしている場合ではなかったです」
我に返り、まだへらへら世界に漂っている品子をつぐみは現実へ引きずり戻す。
「と、とにかく。この子には発動か効かないということではないでしょうか?」
「うーん、そういうことだよなぁ。その辺り惟之にも報告しとかなきゃなぁ」
うなりながらも品子は、再びさとみの頭をさわさわと撫で始めている。
そんなつぐみ達の耳に玄関のチャイムの音が響いた。
「おっと、このチャイムはお寿司屋さんかな? とりあえず冬野君は、洗面台に行っておいで。受け取りは私が済ませておくよ。さとみちゃん。私と一緒に、お寿司を運ぶのを手伝ってくれるかい?」
品子の言葉に元気いっぱいの少女は右手を真っ直ぐに上へ伸ばし、元気に返事をしてくれる。
『いいぞ! お手伝いは大事って大きな私も言っていたからな! やるぞ、お手伝い』
「あはーん、さとみちゃんはいいお返事だね! では我々お寿司運び隊は出発進行するよ。冬野君、一旦解散だ」
「はい、ではもう少ししたら合流しましょう。あ、そうだ! お寿司の準備が出来たら、皆さんを起こして下さいね」
つぐみの声かけに品子がびくりと肩を震わせる。
「あ、ああ。……も、モチロンダヨ。フユノクンモキヲツケテネ!」
品子が途中から、日本語の発音がおかしくなってきている。
多分、皆が起きてからの自分がどうなるかを考えているのだろう。
……まさか、ここまでの行動をこの人は考え無しでやっていたのか。
いやいや、さすがにいくらなんでも。
そう思いながらつぐみの頭の中には、今まで品子がしてきた数々の行動が走馬灯のように駆け巡る。
「……ありうる。先生なら、ありうる」
『あれー、しなこどうしたんだ? しゃべり方がへんだぞ! しなこもしゃべるのがむずかしいのか?』
「うん、さとみちゃん。その考えはある意味、今の先生には大正解だよ」
とりあえず、自分は洗面台で顔を洗って心と体をリセットしよう。
その後は皆の様子を見ながら、出来るだけ品子のフォローを心がけよう。
フラフラとおぼつかない足取りで玄関へと向かう品子と、その後ろをぴょこぴょこと歩くさとみの様子を見送り、つぐみは洗面台へと向かうのだった。
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