第232話 人出品子は裁かれる

 今日だけでリビングに入る際に、何度おどろかなければならないのだろう。

 目の前の光景につぐみはそう思わざるを得ない。 


『あ、冬野が来たぞー!』

「お帰りなさい、つぐみさん」


 さとみとシヤの声に迎えられ、とりあえずつぐみはリビングへと進む。


「ふ、ふゆのきゅん。いらいよー。たしゅけておくれよぅ」


 そこには正座をし、涙目でつぐみを見上げながら懇願こんがんする品子の姿がある。

 品子の頬はある人物の手によって力いっぱいに両端へと引っ張られていた。

 つぐみに背を向けて座っていたその引っ張りの主。

 ヒイラギが体勢はそのままで、ゆっくりとつぐみへと振り返ってきた。


 笑顔だ。

 やはり今日も、彼はいい笑顔だ。

 その笑顔がとても眩しいよ、ヒイラギ君。

 つぐみはそう思いながら、品子を直視することが出来ない。


「悪いな、冬野。もう少しで終わらせるからな。少し待っていてくれ」

「いやらぁ、痛ひよー。もういーらろう」

「あっはは~! 何を言っちゃってるんですか、品子さん。この程度で許されると思っているなんて、片腹痛かたはらいたいですよ。もうへそが茶を沸かして皆にご馳走ちそうしちゃうレベルですよー」


 ヒイラギと品子の近くに立っていた明日人が、これまた笑顔で両手をわきわきとさせながら「さて」と呟いている。

 そうして品子の後ろに回り込むと、そのまま脇腹をくすぐり出した。


「あひゃひゃひゃ! く、くるひぃ! んじゃう~」


 悶絶もんぜつしながら品子は笑い、同時に苦しんでいる。


「くっくっく。いいザマだなぁ、品子。俺に先程やってくれた分は皆が返してくれそうだ。これならば俺の出番はなさそうだな」


 悠然ゆうぜんと足を組みソファーに座っている惟之が、そう語りながら品子を見下ろしている。

 これで膝の上に猫がいたら完全に悪の組織のボスだ。

 サングラスとほとばしる怒りのオーラはまさにそのものと言っていいものだろう。


「って、ちょっと待って! そんなことを思っている場合じゃなかった!」


 ようやくつぐみはすべきことに気付く。

 急いで止めないと、このままでは品子が笑い死んでしまう。


「ま、待ってください! 先生が発動したのには訳があるのです! これは私の為にっ!」


 つぐみは飛び出すように品子の元に向かい、ヒイラギに後ろから抱き着くように止めに入る。

 ……はずだった。


 つぐみは勢いを止められず、そのままヒイラギの背中へとぶつかっていく。

 後ろなど見えていないヒイラギは、突然の衝撃に「えっ?」と小さく呟きながら体を前に傾けていく。

 それを目にしながら動くことのままならない品子が、「マジか」と言わんばかりの顔でつぐみとヒイラギを眺めている。


 そして運動神経の良さと、本能的に何かを悟っていたであろう人物。

 明日人は既に安全圏へと移動を済ませており、つぐみたち三人の様子を楽しそうに眺めていた。


「あはは~。おもぉしーろぅぉーーい」


 いつもの決まり文句のような明日人の言葉が、スローモーションでつぐみに聞こえてくる。

 交通事故などの瞬間は、ゆっくりになるとつぐみは聞いたことがある。

 それは本当なのだとヒイラギ達の上に倒れこみながら、その事故の原因を作ったつぐみは「ごめんなさーい!」と叫びながら思うのだった。



◇◇◇◇◇



「申し訳ございません。誠に申し訳ございません……」


 正座をしてつぐみはヒイラギと品子に謝っていた。

 

「いや、これは冬野君が悪いわけではないだろう? なぁ、ヒイラギ?」


 恐る恐るといった感じでヒイラギに組織のボス……、ではなく惟之がとりなすように言うのをつぐみはしょんぼりとして聞いていた。

 

「まぁ、確かに。冬野がもともとの原因ではないからな」


 言葉の端に緊迫感が多少はあるものの、ヒイラギは怒りをしずめてつぶやく。


「そうだよヒイラギー! ここは爽やかにさ、『いいぜ、冬野。だが次は背中からじゃなくて、そのまま俺の胸に飛び込んでこいよ』ぐらい言って……、いひゃい! ひゃめてぇ! ひいはぎぃ!」

「あっはは~、品子さん。こりずにまた今日もつぶされるんですか~。安心してつぶされてくださーい。治療しますからね~。ま、今回は気が向いたらですけど~」

「……さて、私は夕飯の仕上げに取り掛からなければ」


 これからの展開を思い、つぐみは立ち上がると台所へと移動する。


『冬野、おてつだいするぞ!』


 つぐみの後ろをさとみが、ぱたぱたと効果音がしそうな歩き方でついて来ている。

 そんな彼女の頭を撫で、つぐみは彼女にしか出来ないであろう「お手伝い」をお願いしておく。


「そうだねぇ、今日はお寿司だから後はお吸い物を運ぶだけなんだ。それでね、多分もうすぐ先生がいっぱい泣くと思うの。そうしたら、さとみちゃんは先生の頭をなでなでしてあげてくれる?」


 さとみは、つぐみの話にきょとんとした表情を浮かべた。

 その直後、リビングから品子の絶叫が聞こえてくる。


「はいっ、さとみちゃん。さっそくだけどお手伝いの時間だよ。たぶん先生ね、凄く大泣きしてるからお願いできるかな? あ、もし先生に変なことされたら靭さんかヒイラギ君に言うんだよ」


 つぐみの言葉に目の前の可愛らしい少女は、口をきゅっと結ぶ。

 そうして少し考えたあとにつぐみへと目を合わせると、握った拳を胸の前に持ってくる。


『しなこ、なでなで。しなこがへんなら、これゆきか、ひいらぎ君に、おはなしっ!』


 元気に叫びリビングへ戻って行くさとみをつぐみは見送る。


「うん、さとみちゃん完璧。しかもワンフレーズごとにぴょこぴょこと動く手が、とても可愛いよ。百点満点だね。その可愛い行動はもう、満点以外に考えられないよ」


 つぐみはそう呟きながら、吸い物を届けるために汁椀の準備をはじめるのだった。

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